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作者: 彼樹成

 津村は夜の町を急ぎ足で歩いていた。

仕事を終えたばかりで体はとても疲れていたが、焦る気持ちに自然と疲労がかき消されてゆく。

『まずいな、今日はマキの誕生日だというのに』

商店街のシャッターが次々と閉められてゆく音が、津村にはタイムリミットを刻む秒針のように感じられた。


 津村がマキと結婚してから早くも5年が経つ。贅沢な暮らしではないけれど、これまで2人で楽しく暮らしてきた。そして、もうじき3人で幸せに暮らす予定だ。

津村は未来に向けて一生懸命に働いている。同僚からは仕事に熱心になると周りが見えなくなると言われることもあるほどだ。そしてそれが裏目に出たのか、津村は今日の今日までマキの誕生日のことをすっかり忘れていた。毎年誕生日にはプレゼントをあげることになっているから、買えなかったなんてことになればマキは落ち込むに違いない。津村は冷や汗が止まらなかった。何でもいい。プレゼントだけは確保しなければ。

そう思いながら歩いていると、1軒の小さな花屋に目が留まった。

『そういえば今まで花をプレゼントしたことはなかったな。もう他をあたる時間もないし、今年は花を贈ることにしよう』


 津村が店に入ると、奥のレジから店員が笑顔で近づいてきた。

「何かお探しでしょうか」

「妻へのプレゼントに花を贈ろうと思ってるんですが、何かおすすめはありますか」

「奥様へのプレゼントですか。 素敵ですね」

「いえいえ。今まで花をプレゼントすることがなかったものですから、妻がどんな花が好きなのか全然わからなくて」

津村の話を聞いて何かを思い出したのか、店員は少しお待ちくださいと言って奥のほうに消えてしまった。


 しばらくして店員は1本の青い花を持って戻ってきた。

「お持たせいたしました。おすすめのお花ということでしたら、こちらなんていかがでしょう」

店員は津村にその青い花を差し出した。

花のことは少しもわからない津村だったが、一目見ただけでこの花には何か人を惹きつける力があると感じた。

「これは、バラですか?」

「いえ。これはラ・ヴィといって、とても不思議な花なんです」

「不思議というのは?」

「それは、プレゼントした時にきっとお分かりになりますよ」

そう言われると、津村はますます気になった。商売上手な店員だ。それに店の閉店時間も少し過ぎてしまっているので、これ以上迷っている訳にもいかない。津村はこの花を買うことに決めた。

「ありがとうございます。奥様も喜んでくれると思いますよ」

津村は花を片手に家へと急いだ。


 津村が玄関を開けると、マキが出迎えてくれた。

「あなた、お帰りなさい」

「ただいま」

津村は背中に隠し持っていた花をマキに渡した。

「まあ、素敵なお花じゃない!」

「お誕生日おめでとう」

「ありがとう」

マキは喜んでくれているみたいで、津村はホッとした。花屋に駆け込んだ20分前の自分にナイスプレイと言いたくなった。


 この花の不思議が分かったのは、それから2人で食事をしていた時のことだった。

「ところで、この花はなんていう名前なの?」

マキはシチューを啜りながら尋ねた。

「ああ、ラ・ヴィという花らしいよ」

「そうなんだ。今まで見たこともなかったわ。でも私、こういう赤い花が好きなのよね」

「え、赤い?」

津村は赤いという単語に引っかかった。どう見ても淡い青色をしている。もう一度マキに聞いたが、やはり真っ赤な花だと答えた。

「どうしたの?」

黙って下を向いたままの津村を心配しているのか、マキは不安げな口調になっている。

「そういえば花屋の人が、これは不思議な花だって言ってたんだよ。僕には薄い青色に見えるんだけど」

「ウソでしょ。そんなことがあるの?」

「わかんないけどさ。前にテレビで男と女では見える色の種類が違うって言ってた。もしかしたら、この花もそんな感じの仕組みを利用してるかもしれないよ」

「すごいね。面白いね」

マキは興味深そうにを見つめている。とりあえず気味悪がられなくてよかった、と津村は胸をなでおろした。後からネットなどで調べたりしたが、この花のことについて書かれてあるサイトは見つからなかった。


 次の日、津村がいつものように家に帰ると、出迎えてくれるはずのマキの姿がなかった。

「ただいま」

少し大きめの声で言ってみたが、やはり返事はない。不審に思って奥のほうを見ると、リビングから光が漏れているのに気付いた。津村がドアの隙間からそっとリビングの中を覗くと、そこにはマキの姿があった。しかしなぜかテーブルに突っ伏していて、どうやら泣いているようだ。マキから少し目を移すと、その理由はすぐにわかった。今朝マキが嬉しそうにテーブルの上に飾ったラ・ヴィの花びらがなくなっていて、花瓶に茎だけが残っている状態だったのだ。枯れてしまったのだろうか。それとも、マキの不注意か何かでこうなってっしまったのだろうか。いずれにしても、これだけ泣いているということは、マキはよっぽどこの花を大切に思ってくれていたのだろう。花のことはかわいそうだが、津村はマキのことを微笑ましく思った。

「そんなに泣かなくてもいいよ」

津村はわざと明るい口調で言いながらリビングに入っていったが、マキは相変わらず突っ伏して泣いたままだった。

「花は残念だけど、また買えばいいよ」

そう言いながら津村は花瓶の中の茎に触れた。

その瞬間、津村は自分の目を疑った。1枚の透明な花びらが、ラ・ヴィからひらひらと舞ったのだ。花びらはマキの頭の上に落ち、初めてマキが顔を上げた。

花は枯れてなどいなかったのだ。ラ・ヴィという言葉の意味を思い出したとき、津村はすべてを理解した。


 なぜ花びらが透明なのかということを。そして、なぜマキが泣いているのかということを。

津村氏はとある製薬会社で働いていると思います。

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