名前の無い日
私はアルバイトが好きではない。
働く事自体好きじゃないし、その分自分の好きな事をしていたい。
でも、学生さんはお金が無い。
大学生にもなれば親からは一人暮らしの仕送りくらいなもので、それ以上の迷惑をかけてしまう事の申し訳なさも身についた。
だから私はせめて将来のための貯金を今のうちからこつこつと貯めたり、遊ぶためのお金くらいは自分で稼がなきゃと、アルバイトをはじめたのだ。
それでもやっぱり働く事は億劫だ。
だからせめて平日だけに働いて、土日はたっぷりと遊んでいる。
先日私がカフェのアルバイトをしていた時、中学生くらいの男の子がお菓子を買いにきた。
私の店ではコーヒーと合うお菓子も売っている。
どれも店長が焼いたもので、そういう意味でここの店には菓子職人がいる、というのも売りだ。
どのお菓子も美味しくて、私は休憩の時にこっそり食べている。
その男の子はどれにしようか悩むことなく、スコーンの包みとアーモンドクッキーをレジに置いた。
私はマニュアル通りに「店内でお召し上がりになられますか?」とお菓子のバーコードを通しながら聞いた。
2つのバーコードを通しても返事がなかったので、私はその時初めてちゃんと男の子の目を見た。
男の子は私の目を真っ直ぐみて、顔を横に振った。
む、返事をしてくれたっていいじゃないか。
そんな事が頭の中を過ぎった。
「2点でお会計540円でございます。」
私はお菓子を店のお洒落なロゴが入った紙袋に入れて差し出した。
「540円、丁度頂戴いたします。こちらレシートでございます。」
男の子は素直に受け取る。
「ありがとうございます。またのお越しをお待ちしております。」
男の子は袋をもって、小さな声で「ありがとうございます。」と呟いた。
実際私はその声が聞こえなかったのだけど、男の子の笑顔が不思議と綺麗で、少し嬉しくなった。
男の子は急ぐことなく店を出た。
私はなんとなくその姿を目で追った。
すると男の子は、店の前で待っていた中学生ぐらいの女の子の元に歩み寄った。
カップルかな、と私は懲りずに見ていると、私は少しびっくりした。
男の子は女の子に手を使って話しかけた。
女の子もそれに手を使って答えた。
この店のお洒落な紙袋が揺れている。
話が終わったのか、カップルは手を繋いで歩いていった。
私は目を奪われていて、並んでいたお客様に「いいですか」と声をかけられるまで呆けていた。
「失礼致しました。ご注文をお伺いいたします。」
定例文を口にしてお客様の顔を見るけれど、私の脳裏には先ほどの光景がびっしりと刻まれていた。
もしかするとあの男の子は喋れなかいのかもしれない。
だから返事が出来なかったのかもしれない。
そう思うと私の小さな心に罪悪感が芽生えたけれど、すぐに私は思いなおす。
あの笑顔を見たら何も思えないな。
だって、きっと彼らには素敵な時間が流れているのだから。
私はお客様の注文受け、店長の焼いた美味しい菓子を洒落た紙袋に入れ渡すことが仕事だ。
この数分間のドラマを他人に譲ることはできない。
私は少しだけだけど、この先訪れる未来に向けて頑張ろうと思い直した。