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ゲシュタポ・ミュラーと職権乱用

「女は馬鹿ばっかだ」

 インテリなど全員、炭鉱にぶちこんでダイナマイトで吹き飛ばしてやればいい。

 そうまで豪語した生粋のインテリ嫌いだ。


 それだけではない。

 なにかと男の権力を、まるで自らの持ち物であるかのように振る舞いをする馬鹿で愚かな女どもが大嫌いだった。


 自分の実力でのし上がったのならともかく。

 女という生き物は、自分の男――あるいは夫であり、父であり、恋人でもある――の握る権力を、さも自分も行使する権利があるとでも思っている。


 それがハインリヒ・ミュラーは愚かだと思う。

 もちろん、ミュラーはその自説を他者に押しつけるつもりなどさらさらないし、自己主張したところで無意味なことだ。

 古来、征服者はこう言ったそうではないか。


 ――敗者を制圧した勝者の男は、敗者の女に制圧されるのだ。


 要するに征服者は女を強硬な手段で妻として、結果的に家庭内から敗者に征服されるというやつである。

 女という生き物は、無力でありながらしたたかだ。

 そんなしたたかさが、ハインリヒ・ミュラーの鼻についた。


 寡黙な警察官僚。

 スフィンクスとも呼ばれる男は仏頂面で頬杖をついて、執務机を太い指先で軽くたたく。それから壁に掛けられた時計の針を確認してから、ミュラーは表情を改めた。

 どんなに女が愚かだと侮蔑していても「彼女」だけは話が別だ。


 なぜかって?

 彼女は男の権力を乱用したりはしないし、ほかの女たちのように着飾ることに執着するわけでもない。

 もちろんそれらはミュラーの思い込みだったが、彼女自身に非があるわけでもない。


「ハイドリヒ少佐がお見えになりました」

 秘書の声が聞こえて、ミュラーはいつもと変わりない声色で「通せ」と短く告げた。

 別段、秘書などに気を遣ってやる義理もない。


 ちょうど昼の十二時過ぎだ。

 この日は彼女と昼食の約束をしていて、何日も前から楽しみにしていて予約をしていたのだ。

「マリーと食事をしたい?」

 彼女の首席補佐官を務めるヴェルナー・ベストからはものすごく不審な顔をされた。


「貴官はいつもマリーと一緒に食事をしているのだから、たまには俺と食事をしたっていいじゃないか」

「わたしがマリーと食事を一緒にしているのは、そうしないと食後に逃亡される恐れがあるからという事情だけなのだが」

「別に貴官からマリーをとろうとしてるわけでもあるまい」


 そうミュラーが言えば、ベストは笑顔ひとつなしにぎろりと元同僚の秘密警察長官を流し見た。

 なにか言いたそうだったが、結局黒い手帳のページを眺めてから、彼女の明いているスケジュールを教えてくれた。


 本当であれば、ベストやヨストの左遷組などからマリーの主導権を握ることができたのかもしれないが、そうしなかったのはヒムラーの指令で少女の補佐官として

法律家のベストとヨストが抜擢されたからだ。


 そうれなければゲシュタポ・ミュラーの強権を発揮していたかも知れない。


 ドイツで規則は絶対だ。

こんにちは(ハロー)、ミュラー局長」

「やぁ、よく来たね」


 鉄面皮で有名なミュラーの声音がうきうきとした彼の内心を反映してか、かすかに弾む。

 なにせ、何日も前から彼女と一緒に食事をとるのを楽しみにしていたのだ。


 面白みのない警察官僚としての生活の中で、それくらいの楽しみがあったって罰のひとつもあたらないはずだ。

「このあいだ行ったときに君が気に入ったといううまい肉団子(クネーデル)の店を予約しておいたから食べに行こう」

 胃腸の余り丈夫ではないマリーは、肉料理が全般的に得意ではない。

 もっと食べさせてやりたいとも思うが、そうすると大概、腹を壊すのだ。


 そんな彼女に、食べられる肉料理と言えば、野菜のたくさん入った肉団子(クネーデル)やハンバーグだったから、無闇矢鱈と消化の大変な肉料理ばかりチョイスする陸軍の参謀将校たちと比べて、自分の選択には間違いないはずだと意味不明な確信を抱いていた。


 本当は野菜ばかりではなく、肉をたくさん食べさせてまるまると太らせたいというのが親心だが、食べると腹を壊してしまうのでは本末転倒だ。

「でも、ベスト博士が……」

「ベスト中将の許可ならもらっているから心配いらん」

 国家保安本部を空けてしまうことを気にしている彼女に苦笑したミュラーがそう言うと、マリーはひどくうれしそうな顔をした。


 ちなみに彼女の本命はそのレストランででるスープとケーキだ。

 ミュラーにしてみれば、スープの方はさっぱりしすぎて腹に軽すぎるため彼女がどうして気に入ったのか理解しかねたが、彼女が気に入って食が進むのであれば否やはない。

「本当に?」

「もちろん」


 やった! と言って両手を万歳させて喜んだ彼女が駆け足でコートを取りに執務室へ戻っていくのを見届けてから、ミュラーはマリーを喜ばせることに成功して素直に鼻の下を伸ばしたのだった。


「まぁ、午後三時までに戻ってくればいいだろう」

 ベストは確かそう言っていた。


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