野に咲くバラにも棘がある
マリーは怒っていた。
「だって!」
フォークを片手にして勢いよくテーブルをたたく。
怒っても大した迫力はないが発言の内容が大胆不敵だ。ナチス親衛隊全国指導者個人幕僚本部の執務室で、ヒムラーは青くなった。
ドイツ屈指の権力を持ちながら、ハインリヒ・ヒムラーという男には意志決定力に欠けるし、政府首脳部に対して発言する度胸もない。
「だって、ひどいのよ!」
もちろんマリーの方も、ヒムラーに言いつのったところで何の役にも立たないことはわかっているはずだ。
ヒムラーの権力など所詮のところ有名無実にすぎない。
「ヒトラーさんがね、ハルダー上級大将と仲が悪いっていうだけで今の地位から解任するかもっていう噂なの」
「し、しかし……。マリー、それは噂だろう?」
「でも、ヒムラー長官。ヒトラーさんはそれで何度も前の人たちを気に入らないっていう理由で首にしてるじゃない」
「……だが、わたしに言われてもな」
ナチス親衛隊全国指導者。
ヒムラーの地位はたったそれだけだ。
多くの陸軍の参謀将校たちが更迭されるのを目の当たりにしてきた。だからそんなヒムラーは、安易な発言が命取りになることも知っている。
もちろん、ヒトラーの側近だという謎の自信も手伝って、自分だけは大丈夫だという根拠もない確信も持っていた。
「ハルダー上級大将にひどいことをしたら、ヒトラーさんだからって許さないんだから!」
唇をとがらせて、頬を膨らませて言い放った彼女の青い瞳に飲み込まれて、ハインリヒ・ヒムラーは言葉を失った。
許さない――。
ならば、彼女はヒトラーをどうするつもりなのだろう。
国家元首たる男を相手に、たったひとりの小娘がなにをできるというのだろう。
「……優秀な人を、個人の感情で処罰するのは良くないわ」
マリーは意味深に告げて、口許だけでほほえんだ。
「”甘いお菓子”も好きだけど、”棘”は残されているべきよ」
ねぇ、そう思わない?
ささやくように少女が告げた。




