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お兄さんは心配だ

 この状況はいったいなんなのだろう。

 一応、上官という形になっているヴァルター・シェレンベルクが籍をおく泣く子も黙る政治警察――国家保安本部に部隊の訓練の進捗について報告に訪れたオットー・スコルツェニーは目の前の状況にいつものように沈黙した。

 シェレンベルクのような聡明さはない、という自覚はしているが、長身の武装親衛隊員もまがりなりにも学士であってそれなりの教養は有している。

 だから、目の前にいる連中が、いわゆる「どうしようもない人種」であるというのはすぐに見て取った。

 無教養で傲慢なゲシュタポの「ユダヤ人の専門家」であるアドルフ・アイヒマン親衛隊中佐と、冷徹で無慈悲が服を着て歩いているミュンヘン警察上がりの政治警察であるヨーゼフ・マイジンガー親衛隊上級大佐。

 なんでも先日、プラハでの功績で昇進したらしい。

 もっとも、「功績」と言ったところで、特殊部隊の隊長でしかないしがない戦争屋には、上層部の事情も一般親衛隊を含めた国家秘密警察の事情など知った話ではない。

 前置きはともかくとして、スコルツェニーはそんなわけで、目の前の状況に思考を巡らせたのだった。

「とりあえず、マリーが午後のお茶でもしているだろうから一服していきたまえ」

 確かに一服には違いない。

 スコルツェニーはそんなことをちらりと考える。

 誰も「タバコを一服」とは一言も言っていない。

 目の前に出されたバウンドケーキと紅茶はともかく、スコルツェニーは同席するふたりの無粋な男たちにかすかに片方の眉を跳ね上げる。

 アイヒマンもマイジンガーも、同様に「良い噂」のほうが少ない。

「マリー少佐、君は恋人のひとりやふたりはいないのか?」

 なにげなしに聞いたスコルツェニーに、アイヒマンがカチャリとカップを打ち合わせたような耳障りな音を立てた。

「いないと変ですか?」

「いや、いてもおかしくない年頃だと思っただけだ」

 無意識に胸元のタバコに指を伸ばしながら、そこがタバコを吸う席ではないことを思い出してスコルツェニーは思わず舌打ちする。

 胸もなければ尻もない。

 女性としての魅力など感じはしないが、マリーだって年頃の女の子なら恋愛に関心くらいあるのではなかろうか。

「べ、別にマリーの年齢でそんなに慌てて恋愛などしなくてもいいだろう」

 もっともらしく言ったのはアイヒマンだが、その辺に妻以外の愛人を作りまくっていた彼が言っても説得力は皆無だった。

 そんなことをマイジンガーも感じたのか、フンと侮蔑するように鼻を鳴らした。

「まぁ、彼女が恋人を作りたくてもカルテンブルンナー大将方が目を光らせているから、そうそう簡単に恋愛どうのという話には運びにくいだろう」

 などと冷静に言っているつもりのマイジンガーのほうも、わずかに顔つきが険しくなっているのを、スコルツェニーは見逃さなかった。

 これだから、この駄目親父どもは……――。

 とも思ったが、相手が階級が上である以上、余分な罵詈雑言は黙っておくに限る。

 それが世渡りというものだ。

 一説には親衛隊員の士官たちや、国防軍の士官たちとのパーティーになどにも、カイテル元帥などの高官たちが彼女をエスコートするらしく、若い連中は近づくのも不可能という難攻不落を保っているらしい。

 このふたりも自分たちが権限を握っている側であれば、パーティーのエスコートと称してくっついてくるだろうな、とスコルツェニーは冷静に分析した。

「まぁ、悪い虫が寄ってくることはなかろうから心配はいらないが」

 まともな虫も寄ってこなさそうだ、と、スコルツェニーは思っても言わなかった。

「マリー少佐、世の中、主張すべき事は主張することも大切ですよ」

 やんわりと紅茶のカップに唇をつけながら、武装親衛隊の学士様は指摘した。

「もちろんそうするわ」

 マリーがにこりと笑う。

 わかっているのかいないのか。

「お兄さんは心配だ」

 スコルツェニーはマリーの素直な笑顔に、力が抜けたように視線を天井に上げてから口の中だけで、誰にも聞こえないようにそれだけ言った。

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