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マリーと東京

ドイツからの登場はマリーとベスト、シェレンベルクとマイジンガー。日本からは大島浩、731部隊元隊長石井四郎となっています。

 薄での浴衣を身につけてマリーははき慣れない下駄をからんと鳴らしながら隣を歩くマイジンガーにつかまった。

「足の指、痛い……」


 眉をひそめて言ったマリーは片手に持つ内輪でパタパタと顔を仰いで溜め息をついた。

 高緯度にあるベルリンの湿度になれているマリーにとって、東京は蒸し暑い。

 さらに言うならば彼女は自分の横で日本語訛りの英語で講義しながら歩いている日本人の医学博士にほとほと辟易していた。


「……――つまり、どんな政権でも、氷河期一歩手前の気候帯、要するに小氷期に入っていれば政権の継続は困難となる。それだけ民衆に不満が溜まり、統治しにくくなるわけだからな。そんな状況下にあって、我が国、日本の誇る江戸幕府は民衆の不満を最低限に抑え込み、政権を持続させ、明治帝の世を実現させたのだ……」


 満州に展開していた医療研究部隊の隊長、石井四郎中将の説明はさらに延々と続きそうで、マリーはまさにどうでも良いと言いたげに足に履いていた下駄をカランと放り出した。

「おや」

 その音に、石井が瞠目する。


「明日は晴れるな」

 マリーが蹴った下駄は綺麗に上を向いていて、それに対して彼が言うとそこでようやく日本人たちと比べるとずっと頭身の高いスーツを着た男がコホンと咳払いをした。

「……と、いいますと?」

「我が国の民間伝承で、下駄を蹴って上に向けば明日は晴れになるのです」

「なるほど」


 来日したマリーは華奢だから浴衣が似合うだろうと着せられたのだが、蒸し暑さと歩きにくさにすっかりまいっている。


 マリーとベスト、マイジンガーの案内役に抜擢された元関東軍防疫給水部本部長官は長々と大日本帝国の歴史を講義していた。

 あながち間違ってはいないが、マリーはまさしくどうでもいいという顔をして内輪でパタパタと顔を仰いでいる。

「暑いかね?」

 問いかけられてマリーはうんざりしたようにこっくりと頷いた。


「暑くて頭が溶けちゃいそう……」

「ではその辺でかき氷でも食っていこうか」

 チリンと鳴る風鈴の音を聞きながら石井と西洋人の一行は、木造の喫茶店に入って一番の年長者とも言える石井四郎がかき氷を四つ注文した。

 古い扇風機がお情け程度の風を送り出していて、マリーは蝉の鳴き声と、足の痛みと、浴衣の歩きにくさと湿度の高さに悲鳴を上げる。

「君の頭が溶けているのは別に東京に来てからのことではあるまい」

 辛辣なヴェルナー・ベストの声にマリーは頬を膨らませると、道の端に見覚えのあるハンサムな青年とひとりの日本人が並んで歩いているのを認めて手を振った。


「シェレンベルクー!」

「東京へ、ようこそ」

 ヴァルター・シェレンベルクの隣を歩いていた、陸軍中将の大島浩がほほえんだ。

「東京はベルリンと比べれば、また気候がかなり異なるから過ごしづらいかもしれんが、ゆっくりしていってくれたまえ」


 長い金髪を結い上げた浴衣姿の少女は人目を引いた。

 しかし、当の本人はそんなことに気にも留めずに目の前に運ばれてきたかき氷に青い眼を丸くする。

「こんなの初めて見たわ」


「日本の夏は暑い。風物詩ですな」

 スプーンで少しずつ。

 そう教えて石井は自分の前にあるかき氷を食べてみせると、マリーも彼の真似をした。

 氷の冷たさと、ほのかな甘さにマリーはすぐに嬉しそうな顔になってテーブルに身を乗り出した。

「石井中将」

「なんだね?」

「おいしいわ、ありがとう」

 石井四郎は、少女から謝意を示すキスを頬に受けてぽかんと口を開けて赤くなってから、今度は青くなると周りを見渡した。


「に、日本でキキキ、キスなど人前でするものでは……」

「別にほっぺたにされたくらいだから動揺する程度のものではなかろう」

 長く沈黙を守っていたマイジンガーがやっとその段になって口を開いた。

「ハグもだめ、キスもだめ。いろいろと日本は制約が多い」

 芸者がいるのに。

 マイジンガーの言葉に大島が笑い出した。

 夏だというのに熱い茶を飲んでいる大島は、「ハイドリヒ嬢に日本文化を教えてこなかったのかね?」と問いかけた。

「別に教えるほどのものがあるとは思っていませんので。それにどうせ教えても無駄です」

 一刀両断したシェレンベルクに、大島と石井は顔を見合わせる。

 確かに言葉で異文化を理解しようとしてもなかなか難儀だし、昨日の今日では頭にも入らないだろう。


「この手のものは体験するのが一番です」


 下駄になれていないマリーは親指と人差し指の股に傷を作ってしまったが、これは石井四郎直々に治療してとりあえず事なきを得た。


「マリー、夕日を見てご覧。真っ赤に燃えているようだろう。下駄も表になったし、明日は良い天気になる」

 ホテルの窓から石井に東京都内の街を教えられた少女は、最後にそう説明された。

「……夕焼けが真っ赤だと、明日は天気が良いの?」

「そうだな、これも民間伝承だ」

「ふーん」


 変な国。

 マリーはそう言って浴衣の裾から伸びる足で畳を蹴った。

「とりあえず、暑いの……」


 ゆっくりとマイジンガーがマリーのために内輪を動かしている。

 そうしてから、東京の蒸し暑さの中で、マリーは心地よい風を受けながら日本製の誇りに包まれた高級ホテルの部屋で深い眠りについた……。


この小話は本編からのさらにifです。

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