マリーと腹痛の関係性
診断は腹痛。
ゲープハルトの狭い執務室を追い出されたヨーゼフ・メンゲレは仏頂面で唇をへの字に曲げる。
紙一枚しか挟まれていないのではないかと思えるような薄いファイルを開いて、廊下で待ち構えていたエルンスト・カルテンブルンナーにそう告げた。
「腹痛?」
訝しい顔をしたカルテンブルンナーにメンゲレはしゃちほこばった顔つきで、どんな顔をしたらいいのかわからないとでも言いたげにかすかに肩をすくめてみせる。
ゲシュタポのアドルフ・アイヒマン同様に、要は小心者で相手を良くも悪くも選んでいる小物のメンゲレには、カルテンブルンナーに対してはぞんざいな態度を見せることができなかった。
「ゲープハルト中将はそのようにおっしゃっておりました」
相手は国家保安本部の長官――政治警察のボスだ。
「しかし、どうして腹痛など。別にその辺の浮浪児でもあるまいし、拾い食いしたわけでもなかろう」
しばらく考えあぐねた末にカルテンブルンナーが独り言のようにそう呟くと、唐突にバタリと大きな音を立てて急な診察室と化したゲープハルトの執務室の扉が開かれた。
普段は壁際に置かれたついたてが、二人がけのソファを遮るように据えられている。
どうやら診察は終わった様子だ。
「なんでも」
ぶっきらぼうにそう呟きながら、鼻から息を抜いたゲープハルトは丸い眼鏡の奥から鋭い視線を走らせて、改めて口を開く。
「なんでも昨日は通常業務の後に、陸軍参謀本部でいつものお勉強会だったそうだ。終わってから、あの図体ばかり立派な参謀将校の連中と夕食をとったらしくてな」
忌々しげなゲープハルトの言葉に、カルテンブルンナーは「なるほど」と合点がいった。
もちろん、決して図体ばかりが立派というわけではない。
参謀将校の、ハルダーの執務室に集まるような高級将校たちだから、誰も彼も歴戦の軍人たちだ。
だからこそ内容が問題なのだ。
「全く、参謀将校共はマリーの胃袋が自分たちの胃袋と同じだとでも思っているのか」
――要するに食べすぎだろう。
全くもってけしからん、とひとりで怒っているゲープハルトにカルテンブルンナーはほっと肩をなで下ろした。
食べ過ぎが原因で腹痛を起こしたというのも問題がないわけではないが、世の中は伝染病が蔓延している。
腸チフスにでもかかったりしたら大変な事になるだろう。
「ここはひとつ、君らの胃袋とマリーの胃袋の出来は違うとはっきり言ったほうが良いと思うがね。カルテンブルンナー大将」
「……――あ、あぁ、うむ。そうだな」
おそらくハルダーやグデーリアン辺りが、「沢山食べろ」などとせいぜいマリーにけしかけたのだろう。
伝染病ではないと安堵したからか、半ば上の空でゲープハルトの苦言に耳を傾けていたカルテンブルンナーであった。