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アドルフ・アイヒマン

 ――……ものすごく、羨ましい。


 内心でそうは思ったものの、外見上は冷静さを装ったままで彼はちらりと視線を横に走らせた。

 なるべく早く歩き去らなければならない。

 けれども、決して急ぎすぎてはならないし、いつもよりも遅くなってもならない。

 普段通りを装わなければ、また「あの男」に侮蔑の眼差しを向けられる。


 ――あの、生え抜きのエリート。


 器用に少女のまっすぐな金色の髪に指を差し入れて両サイドを編み込んでやっているヴァルター・シェレンベルクは、アドルフ・アイヒマンの視線に気がついたらしくちらと青い瞳を上げてから唇にくわえたゴムで器用に少女の髪をくくってやった。


 そこから、魚の尻尾のような三つ編みを作って顔の両わきに垂らす。


 腹が立つほどなんでもできる男に、アイヒマンは口の中だけで舌打ちした。


 大学に在籍していた頃からハイドリヒに目をつけられていた超エリート。

 顔も良ければ人当たりも良い。

 頭脳明晰、スポーツ万能。そんなエリートを絵に描いたような青年は国家保安本部に所属する前からひどく女にも男にも評判は良かった。


 実際、彼自身、自分が他者から評判が良いことをわかっている節もあった。

 だからなおさら、アイヒマンはシェレンベルクに対して腹を立てた。

 ギナジウムを卒業することもできなかったおちこぼれ。

 ハイドリヒやミュラーがアイヒマンを評価しても、シェレンベルクは決してそうではなかった。


 侮蔑するような冷ややかな眼差しで、シェレンベルクはアイヒマンを見つめた。


 そして結果的にその実力差が、そのまま階級の差として形になったこと。

 そんなことがわからないほどアイヒマンも馬鹿ではない。


 シェレンベルクに対するアイヒマンの感情はともかくとして、少女の髪をまとめてやっている年下の青年の姿にアイヒマンは苛立った。


 なんで苛立っているかって?

 そんなこと、彼が彼女のまっすぐな金髪に触れているからに決まっている!


 わざとらしくこつりと靴の踵を鳴らしたアイヒマンは、シェレンベルクに軽く頭を下げるとそのまま少女と青年に背中を向けた。


「アイヒマン、女は贈り物だけで籠絡できると思うなよ。特に貴様みたいな低能なぞ、ていの良い金づるとしか思ってない女も多いからな」


 冷たいシェレンベルクの声が嘲るように廊下に響く。

 しかし、声を荒げて反論したい気持ちになるのをかろうじてこらえるとアイヒマンはシェレンベルクを振り返ってから、目を伏せた。


 絶対的なものは階級だ。

 シェレンベルクは少将で、アイヒマンは中佐である。

「ねぇ、シェレンベルク? アイヒマン中佐をいじめちゃだめよ」


 クスクスとマリーが笑う。

 きっと悪気はないのだろう。

 そんなことはわかっている。

 けれどもアイヒマンは傷ついた。


「アイヒマン中佐、この間のぬいぐるみありがとう」

「なんだ、”また”プレゼントをもらったのか?」


 言葉を交わす声が聞こえる。

 彼らの傍から足早に立ち去りながらアイヒマンはしょんぼりと肩を落とした。

 別に彼女を性的な対象として見ているわけではない。


 ただ自分に笑いかけてもらいたいだけだ。


 彼女に格好悪いところを見せてしまった。

 そう思うと気が重くなって、アイヒマンは長く溜め息を吐きだした。

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