マリーといじめっ子
「あら、ごめんなさい」
つっけんどんに言われてマリーはアパートメントの階段でよろめいた。
引っ越して以来時折出逢う同年代の年頃の少女は、褐色の髪と瞳が印象的だ。
ちなみに付け加えて言うならば決して不細工なほうではなく、むしろ可愛らしい見た目に入るだろう。
「いいえ」
マリーは目を丸くして、金色の睫毛をまたたかせるとそう言ってから赤い犬と共に階下へと降りていく。
そうするとフィールドグレーの制服を身につけた長身のハンサムな金髪碧眼の男が待っているのだから、また背後から刺々しい視線を向けられるが、人付き合いに関してひどく鈍感なところがあるマリーはそんな視線を気にする素振りもない。
翌日も、さらに翌日も、かなり強めの当て身のようなものを階段で受けて華奢なマリーはとうとう階段から足を踏み外す羽目になった。
「……あっ!」
「少佐殿!」
よろめいたマリーに、階段を段飛ばしで駆け上がってきた親衛隊下士官は咄嗟に少女の小さな体を受け止めてから、よろめいた拍子に首に巻き付いてしまったマフの紐に目をみはる。
危うく首つりになるところだったかもしれない。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫よ、あなたが助けてくれたもの」
にっこりとほほえんだ彼女に反し、青年はぎろりと階段の上にいる少女をにらみつける。
怪我もしなかったから良かったようなものの、へたをすれば怪我どころではなく打ち所が悪ければ命を落としていたかも知れない。
「悪ふざけも大概にしろ……っ!」
マリーの護衛部隊の親衛隊下士官の怒鳴り声を受けて、褐色の髪と瞳の少女はさっと顔を真っ白にすると、そのまま廊下の奥へと消えていく。
後日、その「事件」について聞かされたマイジンガーは激怒して、補佐官を務めるハインツ・ヨストの元に怒鳴り込んだ。
「マリーの顔に傷のひとつでも残ったらどう責任をとるつもりだ!」
どう責任をとると、怒鳴られてもヨストの判断するところではない。
せいぜい武装親衛隊出身のハンサムな護衛官が身の回りにいることに、年頃の少女が嫉妬したとかそんな程度のものだろう。
「マイジンガー大佐も落ち着きたまえ」
手のひらを下に向けて、諫めるように軽く振りながらヨストが告げると、マリーの横で彼女の仕事にあれやこれやと指示を出していたヴェルナー・ベストが視線を滑らせる。
「気に入らんのか?」
ベストが問いかけた。
「当たり前だ」
彼女を守ると誓った。
ヨストの執務机に両手をついていたマイジンガーは、面白くなさそうな視線をふたりの法学博士に放ってから鼻から息を抜く。
「ならば、今回の件で全権を与える。それで気が治まるなら好きにしたまえ」
ベストがそう言うとヨーゼフ・マイジンガーは軽やかに踵を返した。
「感謝します」
「マイジンガー大佐」
マリーが彼を呼ぶ。
「なんだ?」
「お土産待ってるわ」
「了解した」
その夕方、クッキーの包みを手にしてプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセに戻ってきたマイジンガーだが、翌日からマリーは階段の上から突き飛ばしてくる少女と出会うことはなくなった。
「最近、近所の乱暴な子がいないの」
「さて、引っ越しでもしたのではないかな?」
マイジンガーは少女の言葉にそううそぶいた。
「紅茶飲む?」
「いただこう」
執務室の片隅で、マリーとマイジンガーの他愛のない会話が響いて消えていった。




