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Trick or Treat!!

 人の気配は感じていた。

 けれども、気がつかない振りをして執務机に向かっている彼は、子供の遊びにつきあっているほど暇ではない。


 子供は気楽で良いものだ。


「おかしをくれないといたずらするぞー!」


 椅子に腰を下ろした背後から両手の平で目隠しするように抱きついてきた華奢な体の重さにヴェルナー・ベストは「うーん」と書類をにらみつけたままでうなり声をあげた。


「マリー、これに署名を。丁度いいところに来てくれた」


 自分のデスクの上に山積みにされた書類の山を改めて見やると、眉をしかめて嫌いなものでも見るような目つきになった。


 誰だって仕事は嫌いなものだ。

 楽をして贅沢をできれば申し分ない。


 そんなことは周知の事実。


「朝から、今の今までどこにいたのだね? 余り、仕事もせずに徘徊しているとカルテンブルンナー大将に余分な規則を加えられるぞ」


 表情も変えずにそう告げたベストに背後から抱きついたままの少女は長い金髪を揺らすようにしてじっと、ベストの横顔を見つめる。


「……お菓子」


 じっと問い詰めるような彼女の眼差しに、ベストはやれやれと肩をすくめる。


 戦時中で物資も欠乏気味であるという状況をわかっているのだろうか?

 いや、彼女はわかっていないのかもしれない。


 まだ子供にとって、遠いどこかで戦争が行われているということなど大して問題にもならないだろう。


「マリー」

 咎めるような首席補佐官の言葉に、ベストは長い腕を伸ばして少女の背中を器用に抱き留めた。

「くだらないことを言っていないで仕事を……」


「ベスト博士がお菓子くれないなら、ヒトラーさんにもらうからいいわ」

 つまんなーい、とでも言いたげなマリーは、頬を膨らませたままでベストの肩にのしかかるとそのまま腕を伸ばしてサインを書き込む。

 自分の肩の辺りに感じた少女の重みに、照れくさいものを感じつつ、ベストの動きを止める結果になったのはマリーの爆弾発言による。


 ――ヒトラーさんのところでもらうから。


「マリー! ま、待ちなさい」

 ふくれっ面の少女がさらさらとペンが走る音をたててサインを書き込む手首を捕らえると、そのまま体を半回転させるようによじると少女を押さえ込んで、彼女の青い瞳を覗き込んだ。


「ヒトラー総統のところへ行くのかね?」


「そうよ? なにか悪い?」

「や、やめておきなさい……。総統閣下はお忙しいのだ」


「あら、あんな不規則な生活をしているから体調が良くならないのよ。ヴォルフ大将も言っていたわ。総統閣下が遅く起きるから御前会議が遅くて困るって」


 カール・ヴォルフが仮に本当にそう思っていたのだとしても、ヒトラーに面と向かって刃向かうことは、ベストは賛成できない。


 今までのナチス政権の「被害者」たちの末路をみれば一目瞭然だ。


「いや、だからといって、国家元首をからかいに行くというのは殺される危険もあると言っている」

「ヒトラーさんはそんなことしないわ」


 マリーはクスクスと笑った。


「”アドルフおじさん”は、そんなことはできないわ」


 底なし沼に捕らわれるような青い瞳で告げられて、ヴェルナー・ベストはふとぞっとした。



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