Marie's Adventures in Wonderland
ぽんっと放り出された場所にマリーはぱちりと目をまたたいた。
「サー・スペンサー=チャーチル!?」
素っ頓狂な声を上げた少女は、放り出された場所に呆然として青い瞳をまん丸にすると、少し分厚い肉のついた背中の上で、きょろきょろと辺りを見回した。
「……――最近の子供は、礼儀もなっとらんのか」
全く今の子供はこれだからなっとらん。
ぶちぶちと独白しながら、背負う形になった羽根のように軽い体にを問答無用で引きずり下ろしながら、こめかみに青筋を浮かべて怒りをこらえている。
「どうしてこんなところに子供が……」
「どうしてって、わたしのほうが聞きたいわ」
金色のまっすぐな顔を揺らしながら地面におろされた少女は唇を尖らせて目の前の禿げ頭の男に訴える。
「ここはどこなの?」
無遠慮に問いかけた少女に対して、ウィンストン・レナード・スペンサー=チャーチルは鼻白んだ。
「ここはわたしの屋敷だが、どうして一般庶民の子供なぞがここにいるのだ」
一般庶民、というのはチャーチルには物言いですぐにわかった。
目の前にいる少女に貴族の素養を感じない。
貴族としての礼儀を教え込まれていない一般庶民の出身だ。
「知らないわ! ウサギを追いかけていたら穴に落っこちたんだもの!」
年齢はいくつくらいだろう。
うさぎを追いかけていたなど、どこぞの童話作家でもあるまいし。
「……――不法侵入とは良いご身分だな」
「だからー……」
マリーとチャーチルの言葉は全くかみ合わない。
白いたくさんの見慣れないレースが縫い付けられたドレスのようなスカートに、やはり真っ白な袋袖のブラウス。
ピンクのボレロを身につけて、一見しただけではどこかの貴族の姫君のようにも見える。
だが、チャーチルは生粋の貴族の出身だからこそ、そんな衣服には騙されない。
「ウサギを追いかけてたら、穴におっこっちたの」
小さな子供。
そんな相手にいちいち怒り狂っていても仕方がない。
「とにかく、わたしはこれから陛下にお目にかからねばならん。君のような子供の相手をしている暇はないのだ」
貴族の子供でもなさそうだが、裕福な家に盗みに入った乞食でもなさそうだ。
さてどうしたものかと悩んだチャーチルだったが、懐にしまいこんだ時計の針を確認してから溜め息をついた。
「時間がないから、君のことは使用人に任せることにする」
「あ、その時計……っ!」
チャーチルの言葉を無視して少女が彼の金色の懐中時計に手を伸ばした。
「遅れちゃう遅れちゃうって、ウサギが見ていた時計よ」
「……ルイス・キャロルじゃあるまいし」
少女の台詞に毒気を抜かれた。
思わず、チャーチルは自分の懐中時計に触れられるままになったその瞬間だ。
――敵は、殺せ……。
ぞっとするほど冷たい声が響いたような、そんな気がした。
ピンク色の唇を彼の頬に寄せ、振れるだけのキスをする。
右の手のひらで無礼にもチャーチルの禿げ頭に触った少女は笑ってみせた。
「お茶会に遅れちゃう……」
金髪の少女がチャーチルの前で両脚でぴょこんと跳ねたその一瞬。
彼が手にする懐中時計からまばゆい光が放たれた。
「またね」
金髪の少女――マリーはそうして彼の目の前から「消失」したのだった。