首を刎ねろ!
首をくくれば、そのままねじり切れそうな。
少女は金色の髪をふわりとゆらして、廊下に置かれた木製の椅子に腰を下ろして船を漕ぐ。
初冬の空気が足元を冷やすのか、彼女は足首までの長さのドロワーズをはいた両脚を胸元に抱えるようにして眠っている。
肩に掛けられたケープに顔を埋めた彼女は、早い冬の夕暮れ間近の午後の日差しに寝息をたてていた。
「……こんなところで居眠りするんじゃない」
書類の束を抱えたブルーノ・シュトレッケンバッハは、低くそう言ってから彼女の肩を揺らして腕時計を見やった。
不安定な少女の体はそのままころりとシュトレッケンバッハの腕の中に落ちてきて、思わず彼はファイルを放り出して華奢で痩せた体を抱き留める。
危うくそのまま床に墜落するところだった。
「……マリー!」
叫ぶように彼女の名前を呼んだ男の声に驚いたのか、それとも抱き留められた衝撃に驚いたのか、いずれにしろそのタイミングで目を醒まして、マリーはぱちりと長い睫毛を震わせると自分の体を受け止めている男を見上げる。
「どうしてこんな時間に居眠りをしていたのだね?」
「どうしてって……」
厳しげなシュトレッケンバッハの言葉にマリーが口ごもった。
「国家保安本部の規則に、勤務時間内の居眠り禁止を付け加えなければならんかね?」
前にも同じようなことを言われたような気がする。
首を傾げた少女の痩せた体はひどく軽くて、それがシュトレッケンバッハを困惑させた。
こんなにもやせ細った少女がこれから何の問題もなく生き残っていけるのだろうか。
世間は伝染病で充ち満ちている。
「ごめんなさい……」
マリーが怪我をしないようにと、少女の体を抱き込んでいたシュトレッケンバッハは、彼女を抱き起こしながらその首筋に目を奪われた。
ドイツ人男性なら片手でくびり切れそうな細い首。
少し力を込めれば彼女の息の根など簡単に止めてしまうことができそうなほど心許ない骨格に、シュトレッケンバッハは眉間にしわを刻んで黙り込んだ。
「今日はもう帰りなさい」
居眠りをしなければ体力が続かないのであれば、少し休養をとるべきだとシュトレッケンバッハは思った。
実際にマリーはよくやっている。
シェレンベルクの部下として占領地や中立国を成人男性と同じようにハードな勤務をこなしている。
彼女の体格と体力を考えれば、男たちと同じように勤務をこなすのは限りなく無理なことなのである。
「……はい」
マリーが素直に応じて、それから間もなくプリンツ・アルブレヒト・シュトラッセを退勤していった。
翌日、興味深そうな顔をした刑事警察と国家秘密警察のふたりの警察官僚がシュトレッケンバッハの執務室を尋ねたのは余談だ。
「マリーを押し倒したという噂を聞いたのだがね」
アルトゥール・ネーベのいたずらっぽい言葉に、シュトレッケンバッハは一瞬だけ言葉を失って、青い顔しているゲシュタポ・ミュラーと発言者を見やってから咳払いを鳴らした。
「……冗談も大概にしてもらいたいものだ」
そう言ったシュトレッケンバッハの脳裏に、少女の細い首の印象だけが蘇った。
頼りなくて、不安ばかりを感じさせる細い首。
白い肌の張り付いた骨の印象ばかりがひどくシュトレッケンバッハの脳裏に焼き付いて残像のように閃いて消えていった。