金髪の野獣 II
執務室、という名の物置部屋のような薄暗いそこに、マイジンガーは夜遅く還ってきたと思ったらそのままソファにひっくり返って眠り込んだ。
いくら歴戦の猛者だからとは言え、三日も眠っていなければ眠けも襲ってくると言う者である。
ぐぅ、といびきをたてながら眠り込んでいる禿げ頭の男は、どれだけ眠り込んでいたのか、ふとふわりと香った花の香りに薄く瞼を上げた。
ナウヨックスとマイジンガーの執務室はマリーも出入りしているから、彼女の香りが漂ってもなんらおかしな話ではない。
だからそのまま睫毛をおろして眠りに戻ろうとした中年男の神経に、人間の気配が知覚された。
国家保安本部には多くの捜査官や情報官が日夜関係なく出入りしていたから、館内に人の気配があることはそれほど珍しいことではない。
だけれども、そこはマイジンガーの執務室だ。
自分も他者から嫌われているという自覚をしていたマイジンガーだったから、その執務室に人が訪れるなどよほどのことだ。
とはいえ、別に自分を襲撃するような物好きもいないだろうと高をくくった彼はそのまま眠けのままに腕を組んだままで夢の中へと舞い戻っていく。
「見ぃ~つけた!」
まるで悪戯をする相手を見つけたような少女の声に目を醒ます。
今やすっかり日も昇っていて、時刻は朝を過ぎたことを教えられた。
当然、彼の上司に位置する彼女も朝からの出勤で昨夜は当直などしていないはずだ。
ついでを言うと、彼女の当直を補佐官ふたりがだまって許すとも思えない。
「……マ、リー?」
「襲っちゃうぞー!」
猫耳のカチューシャをつけた少女の姿にマイジンガーは思わずぱちぱちと目をしばたたかせてから金髪の少女を見つめ返す。
ほとんど体重を感じさせない少女の体が自分に危機感もなく乗り上がってきたことを感じて、マイジンガーは咄嗟に少女の胸ぐらをつかまえるとそのままソファに押し倒すようにして態勢を入れ替えた。
不意の衝撃にキャンと悲鳴を上げたものの、それほど彼を恐れてもいない彼女はまじまじと警察官僚の男を見上げてからにこりと笑い返した。
マリーはいつでも屈託のない笑顔を浮かべている。
「男を襲うときは気をつけろと、あれほど言っている」
低く少女の耳元にささやきかけてやれば、色気の欠片もない彼女はくすぐったそうに首をすくめてから笑い声を上げた。
これがマイジンガーだったから良いようなものだ。
もしも自制のきかない若い連中だったらどうなるだろう。
「食われるのは女の方だぞ」
骨張った細い胴体を辿るように手のひらを滑らせたマイジンガーはそう囁いてやってからフンと鼻から息を抜いた。
「ドキドキした?」
やれやれと体を起こしたマイジンガーに間抜けな声で問いかけてくる十代の少女は、ぱちくりと長い金色の睫毛をまたたかせた。
「するか」
素っ気なく答えてから、マイジンガーはわざと背中を彼女に向けると、制服のポケットを探ってタバコを取り出した。
マッチで火をつけながら、壁を睨み付けて肩越しに視線を流す。
「色気もかけらもないのに、男を襲おうなんて百年早い」
言い捨てたマイジンガーはカッとブーツの踵を鳴らしながら少女を振り返れば、そこにあったのはソファに腰を下ろしたままでマイジンガーの姿を見上げるマリーの姿だ。
「意地悪ー……」
ふくれっ面で唇を尖らせた彼女の頭を大きな手で軽くたたく。
本音を言えば、少しだけ。
彼女の瞳にドキリとした。
危うく本当にそのまま押し倒しそうになって、彼女は部署長であることと、年齢が二十歳にも満たないことを思い出した。
なによりも、気がかりなのはゲープハルトの報告書だった。
おそらく、彼女は今のままでは正常な男女関係を交わすことができない。
それは体型的な問題であり、体力的な問題であるとも。
「とにかく、君はもしもつきあいたい男ができたなら、誰かに相談をしたほうがいい」
そうしなければ、彼女は健康を害することになるだろう。
わざと一線を引くような物言いをしたマイジンガーは廊下から聞こえてきた足音に鋭い視線を走らせた。
「あ! ベスト博士だわ……!」
その足音にマイジンガーの背中に隠れるように飛び上がって移動した彼女の言う通り、扉はすぐに開かれて首席補佐官のヴェルナー・ベストが姿を見せる。
「ここにマリーはいるか?」
「こちらに。中将閣下」
マイジンガーがふたつ返事で応じれば、少女は百面相をして元警察官僚の男たちを見上げて口を開けたり閉めたりを繰り返す。
「今日はこれから会議があると言っていたはずだが」
冷ややかに告げられて少女は口答えもままならないまま、唇を尖らせるとうつむいた。
「来なさい、君の仕事だ。マリー」
片手を差し伸べられて、不服そうな少女はそれでもベストに言葉を返すこともなく、自分の片手をその手に重ねた。
そんなヴェルナー・ベストとマリーを見送ってからマイジンガーは深々と溜め息をついた。
マリーを組み敷いているところをベストに見られなくて良かったということと、もうひとつは余分な心配だ。
「色気なんてなくても襲う奴は襲うからなぁ……」