金髪の野獣
ぬっと顔を出した少女は金色の前髪をヘアピンで留めている。
「……どわっ!」
「びっくりした?」
ナウヨックスは突きだした少女の顔に飛び上がって相手の顔を見直すと、青い瞳を瞬かせたマリーはそっとコーヒーカップを差しだした。
「当直?」
「仕事が終わらなかったので、残業です」
「そう」
「……少佐殿がコーヒーなんて飲んでいるところは見たことありませんが」
あくびをかみ殺しながらナウヨックスが机の上の書類を横にどけながら姿勢を正す。
彼女は一応、ナウヨックスよりも階級が上に当たるわけだから、本来はもっと相手に敬意を払わなければならないはずだが、当の彼女はナウヨックスの態度を気に掛けている様子もない。
「苦いの嫌いー」
「そうですか」
眉間にしわを寄せた彼女の様子にアルフレート・ナウヨックスは目尻をおろした。
「苦いのが嫌いなら、クリームを沢山いれればいいんじゃないですか?」
そう告げるナウヨックスにマリーは唇を尖らせた。
「クリームなんていつもおいてないじゃない」
「……そういえばそうですね、すみません」
ぺこりと頭を下げたナウヨックスにマリーはにっこりと笑うとパンを差しだした。
「朝ご飯持ってってあげれば喜ぶぞって、マイジンガー大佐に言われたから」
「……はぁ?」
間の抜けた言葉を返しながら、ナウヨックスが首を傾げると少女はニコニコと笑顔をたたえて良い香りのするライ麦パンを彼の鼻先へと突き出す。
少女の深い青色の瞳にナウヨックスは意地の悪い考えを巡らせた。
――マリーに朝食の差し入れを受けて喜ぶのはマイジンガーくらいだ。
そこまで考えながらナウヨックスは彼女を見返すと、差しだされたパンを受け取ってそれにかじりつく。
「ベスト中将も新年早々徹夜しているから差し入れ持って行ってあげると喜ぶと思いますよ」
「そうするわ、マイジンガー大佐に朝聞いたからちゃんと用意してきたわ」
ひらひらと紙袋を振ったマリーは屈託なく笑ってから、やはり焼きたてのパンで自己主張する。
準備万端といった様子に、さすがのナウヨックスも苦笑した。
しかめつらしいヴェルナー・ベストだが、内心ではマリーに心を許していることをナウヨックスは知っていた。
「ベスト博士も寝てるかしら」
「寝てないと思いますけど?」
「そうかなぁ……」
行ってきます。
ひらひらとライ麦パンの紙袋を振った彼女に、ナウヨックスは眠けのままにひらりと片手を振って、一礼する。
一応、ナウヨックスの上官にあたるわけだから不躾に振る舞うわけにもいかない。
「ベスト博士ー!」
執務机につくベストの背中に少女は「がおーっ」と声を上げて「襲いかかっ」った。
「……っと、マリーか」
驚いた顔をしたベストが思わず振り返りながら少女の軽い体を抱き留めると、持っていたコーヒーカップをひっくり返しそうになってフギャンと妙な声を上げる。
寝起きのせいなのか、彼の声はわずかに掠れていた。
ひっくり返しそうになった少女の手の中のコーヒーカップを受けとめて、ヴェルナー・ベストは息を吐き出すとかすかに笑う。
「気をつけなさい、人を驚かすときに熱いコーヒーなんて一緒に持つんじゃない」
叱りつけるような彼の言葉に少女は笑い返した。
「君はそそっかしい」
「ベスト博士、寝てないって聞いたから差し入れ」
差しだされたコーヒーとライ麦パンを受け取って、ベストは椅子に腰掛けたままで伸びをする。
「すまんな」
時計を見れば時刻は朝の八時だ。
「誰に聞いた?」
「マイジンガー大佐が教えてくれたの」
猫の耳のカチューシャをした彼女は、流れるようなまっすぐの金髪を揺らしながらベストの横に椅子を引き寄せて座ると、彼の手元にある書類を覗き込んだ。
「プラハの?」
「年末までに終わらせるつもりだったのだが、思ったよりかかってしまった」
「ふ-ん」
「これがヒムラー長官への最終報告になる」
ベストの言葉にマリーは、いつものように明るい笑顔をたたえるとベストの気難しげな横顔を見つめて数秒考え込んだ。
「いつも、ありがと」
そう告げて頬にキスをした。
「礼なら、……今年も仕事に精を出してくれればそれで構わん」
わざとらしいぞんざいな彼の言葉にマリーは眉をひそめると不満げな顔をした。
これまでも容赦ないベストの仕事量に振り回されているのだ。
それが今以上に仕事をしろと言われるなど、心外だと言いたげだ。
「お仕事嫌い……」
「嫌いでもなんでも、君はここの部長だ」
素っ気なく告げるが、ベストは少女にキスをされてわずかに心が気ぜわしくなったことを無表情の下に押し込めて、マリーに応対した。
「……キスは」
気易く他の男にしないように。
そう言って彼は少女の頭を軽くたたいた。