第四話 イリスフィールみたいなことを言いおって
『かんぱ~いっ!』
片山荘の大家である梢ちゃんが帰ってきてからすぐ。
僕たちは南にある用途不明の一室に集まることになった。
そこには、一体いつの間にやったのか、簡素ながらも飾りつけがなされていて。
「理緒、飲め! 梢が買ってきてくれたものだ!」
あすかが笑顔で、勢いよくガラス製のコップを突きだしてきた。入っているのはオレンジ色の液体。
ありがたく手にし、これは僕のための歓迎会なのだと、いまさらながらに実感する。
まあ、梢ちゃんに挨拶をするのもそこそこに、というのがちょっと残念ではあったけど。
用途不明だった一室は、どうやらこういったパーティーとかをするときにのみ使われているらしい。
でもその割には片づいているというか、常日頃から使っているような生活感があちこちにあった。
たとえば、ここは畳部屋で、床にじかに座布団が置いてあるのだけれど、それがだいぶ汚れていたり、とか。
そのことを隣に座る力也に尋ねてみると、
「ここの住人……っつーか、フィアリスは宴会好きでな。週に二、三回のペースで使われてんだよ、この部屋は」
とのことだった。
なるほど、とうなずく僕に投げかけられる声がひとつ。
「宴会ではない! 宴と言えと、いつもいつも言っておろう!」
きみは一体いつの時代の人間なのさ、と突っ込みを入れてしまいたくなるような台詞。
それを発しているのは、十代前半――中学生くらいの、華奢で可愛い容姿をした女の子だった。
身にまとっているのは、紫を基調としたワンピース。豪奢というほどではないものの品がある、まるで西洋の貴族が着るような、とでも形容できそうな。
しかし、それよりも僕の目をひいたのは、銀色の長い髪と、ふたつの赤い瞳だった。
明らかに、外国の人。
彼女は年寄り臭い言葉遣いながらも、鈴を転がすような綺麗な声で僕に話しかけてきた。
「初めまして、じゃな。わしの名はフィアリスフォール・アルスティーゼ・ド・ヴァリアステイル。長い名ゆえ、皆、フィアリスと呼んでおる。お主もそうするとよい」
「あ、うん。よろしく、フィアリス……さん?」
「さんは要らぬ。わしは一応、見た目だけならば十三じゃ。ほれ、お主のほうが年上であろう?」
「それは、そうなんだけど……」
なんか、得体の知れない威厳みたいなものがあるんだよな、彼女……。
下手に怒らせたら怖いかも。
……ん? 『見た目だけならば』? それは一体どういう――
「ともあれ、わしはここの一号室に住んでおる。黒江に次ぐ古参じゃな。――ところで、なにか質問はあるか? わしに回答が許されている限りのことであれば答えよう」
なんか、いちいち変な物言いをする女の子だなあ。
でも、困った。質問と言われてもとっさには出てこない。
かといって、せっかくの厚意を無碍にするのも……。
「えっと、じゃあ、好きなものは?」
悩んだ結果、なんだかものすごく無難なことを訊いてしまう僕。
「つまみと、酒じゃ」
「え? つまみ? 酒……?」
なんか、斜め上の答えが返ってきた。
「うん? 好物を訊いたのではなかったのか? ならば、宴じゃ。皆で騒ぐのはよいものじゃ」
「う、宴……?」
ダメだ。なんというか、この娘を見た目どおりの人間として扱っちゃダメだ。
彼女からは、こう、かなりのくせ者臭がする。
案の定、彼女はビールの缶を手にとって、コップに注ぎ……って、
「ちょっとおぉぉぉぉぉぉっ!? フィアリス、なにを飲もうとしてるのっ!?」
「じゃから酒じゃ。……なんじゃ? 血相を変えて」
「未成年でしょ、きみ!」
「見た目的には、な。実年齢は優に一億歳を超えておる」
「なにその言い訳!?」
思わず声を荒げてしまっていた僕の肩に、ぽんと美花さんの手が置かれる。
「放っておきなさいって。大丈夫、フィアリスが酔ったところとか、一度も見たことないし。……ときどき、私たちにも勧めてくるけど」
「ダメでしょ、それ! そもそも酔わないからいいってものでもないし!」
ああ、美花さんは常識人だと思っていたのに……!
他に止めてくれそうなのは、と周囲を見回す。
真っ先に視界に入ったのは、おかっぱ頭がやや地味な女の子、ここの大家の梢ちゃんだった。
けれど彼女には止めに入る気配がまったくない。ただただ困ったように苦笑しているだけだ。
と、思わず頭を抱えそうになったところで、ぷにぷにと頬を美花さんにつつかれた。
「あ~、なんかそのリアクション、どっかで見たことあると思ったら、入居したばかりの頃の私とまったく同じものだったわ~。懐かしいなあ、当時の私をみんなは、こ~んな感じの生暖かい目で見てたんだね~」
「あ、やっぱり美花さんも最初は止めに入ってたんだ?」
「そりゃあ、ね」
よかった、やっぱり彼女はまだ常識人の範疇からは出ていないんだな。
でも、諦めざるをえなかった、と。
けど……、
「僕は、諦めないよ。――フィアリス、飲酒は二十歳になってからだよ!」
「じゃから、実年齢は一億歳を超えておるというとるじゃろ……」
「嘆息しながら飲もうとしない! 一億歳だろうとなんだろうと、十三歳なんでしょ!?」
「うるさいのう。イリスフィールみたいなことを言いおって」
「イリスフィールって誰さ?」
「わしの同僚じゃ。わしと同じく、世界を維持するために創られた奴じゃよ」
その言葉に、思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまう。
けれど、彼女の表情は大真面目。嘘や冗談を言っているようにはとても見えない。
一体、どう返したものか……。
「ま、そのへんにしとけや、理緒」
割って入ってきたのは力也だった。
「フィアリスが酒飲んでるからって、別に誰に実害があるわけでもなし。放っとけって。勧められても断りゃ無理に飲ませられはしねえしな。……あと、こいつが若干、電波入ってるのはいつものことだ。気にすんな」
「それでいいのかなあ、力也ぁ……」
「いいんだって。酌だって黒江のおっさんが引き受けてくれてんだから。ほれ、お前に実害はひとつもねえだろ?」
「……一応訊くけど、力也は飲んでないよね?」
その問いに、彼はわずかに顔をしかめる。
「ビールなら一度だけ飲んだことあるけどな。苦いだけで全然うまくなかった。オレの舌はまだまだ子供だってことらしいぜ」
それでいいんだって。力也は確かに二十歳を超えていそうに見えるけど、実際は僕と同じ十七歳なんだから。
「……っと、なんだお前、全然減ってねえじゃんか。ほれ、じゃんじゃん飲め! じゃんじゃん!」
「それ、なんだかお酒を勧めてるみたいだよ、力也」
そう苦笑して、僕はオレンジジュースに口をつける。
それからはしばし、楽しい宴会の時間が続いた。
たとえば美花さんが唐突に力也の隣に来て、
「ところで力也くん、こんなものがあるんだけど」
ぱんっ! とクラッカーを鳴らしてみたり。
「力也、これやる」
と、あすかがグリーンピースを差しだしてきて、
「いらねえよ! お前、オレに嫌いなもの処理させようとすんのやめろよな! オレだってグリーンピースは好きになれねえんだよ!」
力いっぱい力也がつき返してみたり。
「力也、飲むのじゃ!」
試しに、なのか黄金色の液体をコップに注いで差しだしたフィアリスに、
「だからビールはもうこりごりなんだよ! 苦いだけじゃねえか、それ!」
と力也が怒鳴ってみたり。
「力也さん、いつものことながら大変ですね……」
そう苦笑する梢ちゃんに、
「梢っち、同情するなら席を替わってくれ……」
と力也が涙目になってみたり。
そして、あすかがそんな彼に、
「梢はあたしの隣に座るんだ! お前と替わられてたまるか、ぼけぇっ!」
なかなかに辛辣なことを言ってみたり……。
そもそも、席を替わったところで同じ部屋にいるのは変わらないんだから、ちょっかいは出され続けるだろうに。
と、苦笑混じりに心底『楽しそうだなあ』と思ったときだった。
「いやあ、力也くんは人気者だねえ。毎度のことながら」
隣に誰かが座る気配。
「まあ、その人気もこれからは二分されるだろうが」
見ればそこには、黒いスーツを着た男性が僕に向けて笑みを浮かべていた。
ええと、うん、短いですね。
すみません、そろそろまとめに入ってきているもので(汗)。
そしてメインヒロインである梢の影が薄すぎますね(滝汗)。
ともあれ、これで片山荘の住人が勢揃いしました。
いや~、大勢のキャラを一斉に動かすのはなかなかに難しかったです。
さて、前日譚は残すところあと一話。
どうか最後まで、欲を言えばそのあとに開始する『本編』までついてきてくださると嬉しいです。