第三話 僕の部屋は何号室?
それからも炊事場でダラダラやっていると、午後も三時を過ぎようかという頃に、アパート全体に聞こえるくらいの音量でチャイムが鳴った。
四人で玄関口に向かってみると、そこにはトラックの運転手さんとおぼしき人の姿がひとつ。
どうやら、ここで生活するにあたって必要な僕の荷物が、宅急便で届いたようだった。
といっても、ダンボール箱の数はそれほどでもない。
「なんだこりゃ!?」
だというのに力也は、どういうわけか驚愕の声をあげていた。
「なに大声出してるのさ、力也。ダンボール箱、たったの十八箱じゃない」
あのあとも炊事場でグダグダと話をしていたせいだろうか、彼に対する怯えなんてすっかりなくなっていた僕は、なんでもない口調でそう返す。
けれど力也からしてみれば、なんでもないなんてことはないらしく。
「たったの、じゃねえよ! なんだ十八箱って! 一体なにが入ってんだよ! 男なら服なんて一着か二着で充分だろうしよ!!」
それはさすがにない、とあすかと美花さんが同時に首を横に振る。
けれど、驚いているのは二人も同じらしく、
「あのさあ、理緒くん。花も恥じらう女子高生である美花さんでも、引っ越しでダンボールを十八箱使うとかは、さすがにしなかったんだけどな~……」
「多いな。これは多い。なんだ? 理緒は物を詰め込むのが苦手なのか? 収納下手なのか?」
「そんなことはないよ。ひとつひとつ、ちゃんと隙間なくギッシリ入ってるって。……まあ、そのせいでだいぶ重くなっちゃったんだけど」
そう口にしながら、僕は力也にちょっとすがるような目を向けた。
これを僕ひとりで自室まで全部運ぶのは、さすがに無理だろうと思ったから。
その視線を向けるのと彼が動くのとは、果たしてどちらが早かっただろうか。力也は「うし!」と黒い学ランの裾を軽くまくって、
「……って、重っ! マジでなにが入ってんだよ、これ!」
持ち上げられはするし、足取りも確かなのだけれど、それでも力也は再び驚愕の声をあげた。
僕は一言で、簡潔に答える。
「……本」
「本!? 嘘だろ!? なんであんな紙の束がこんなに重いんだよ!? これ、中に入ってるのは絶対に飛行機だろ!!」
そんなのダンボールには入らないよ、いくらなんでも……。
というか、ただの高校生が飛行機なんて持っているわけがないし。
しかし、そんな僕の思考に反して、あすかはコクコクとうなずいていた。
「そうだな。絶対に飛行機だ。いや、宇宙船かもしれない」
「……宇宙船ときたか。それならこの重さも納得だぜ」
納得だぜ、じゃないよ力也……。
どうやら、この二人はどちらかというとボケ属性で、突っ込むのは主に僕と美花さんの役割みたいだった。
けれど、その美花さんが突っ込む気配はなく……。
「……って、おいこら! なにこっそりと自分の部屋に戻ろうとしてやがる、美花!」
「うわ、なぜバレたしっ!」
見れば、抜き足差し足忍び足、といった感じでこそこそと退散しようとしていた彼女が、額に汗をにじませながらこちらを向いていた。
「いやほら、こういうのって女の子の仕事じゃないと思わない? 特に私、筋力ないし」
「あすかよりは力あるだろ、お前。ほら、一番軽いやつでいいから運べって」
「ちえ~っ……」
とぼとぼとこちらに戻ってくる。それから取り繕うように僕へと笑顔を向けてきた。
「よお~しっ! お姉さん、頑張っちゃうよ~っ!」
「一応、僕のほうが年上なんだけどね……」
苦笑して、僕もダンボールに手をかける。
「…………」
……どうしよう、持ちあがらない。これは困った。
「ごめん、誰か一緒に持ってくれないかな?」
集中するのは、呆れの感情のみが込められた視線、視線、視線……。
『呆れ混じり』じゃないのが、正直キツい。
少しして、代表するように力也が口を開く。
「なあ理緒さんよ、なんで自分でも持ちあげられないくらい、大量に本を詰め込んだんだ?」
「トラックに乗せたりとかは、全部、業者の人がやってくれたんだよ。……あれ? 飛行機か宇宙船ってことで話がついたんじゃなかったの?」
「ばーか、あんなの冗談に決まってるだろ」
いや、言われてみればそのとおりなんだけど、力也のキャラを考えると、本気で信じ込んでいてもおかしくないかと思って……。
実際、
「なにいっ!? 宇宙船じゃなかったのか!?」
あすかは心底ショックを受けたように目を見開いているし。
かぶりを振って、僕は彼女に否定の言葉をかける。
「違うよ。宇宙船を持ってる高校生なんて、普通はいないし」
「飛行機でも、ないのか……?」
「うん、飛行機でもない」
「そうなのか……」
廊下にしゃがみ込み、あすかはなにやら『の』の字を描き始める。
……あれ? 彼女、ものすごくテンションが下がってる?
「これを部屋に運んだら、アンドロメダかイスカンダルのどっちかに連れてくからと言ってくれたから、あたしは……。それなのに……」
「言ってない、言ってない。そんなことは誰も言ってない」
な、なんというアホの子だ……。
「というわけで、あたしは帰る。さようなら」
緩慢ともいえる動作でゆっくりと立ちあがり、その直後にあすかが走りだそうとする。けれど、
「そうやって、お前も逃げようとすんじゃねえっ!」
襟首を力也に掴まれて、彼女の逃走は失敗に終わった。
すごいのは、彼がダンボールを片手で抱えたまま、というところだ。
その体格、見かけ倒しじゃないんだな。すごいぞ力也。
「離せ、こらっ! というか、なんであたしが逃げようとしたってわかった! 実に自然な動きだっただろ!?」
「脈絡がなさすぎたんだよ。あそこで「あたしは深く傷ついたーっ!」とでも言って、いきなり走り去っていれば、さすがのオレでも捕まえられなかっただろうぜ」
「くぅっ、あたしの醸しだしていた『さりげなさ』が裏目に出たのかっ!」
「いまの行動のどこにそんなもんあったよ。……ったく、どいつもこいつも友達甲斐のない奴らばかりだぜ。――なあ?」
『なあ?』って僕にふるのはやめてよ。この荷物、本当なら僕ひとりで運ばなきゃいけないものなんだからさ。
「でも真面目な話、これ、めちゃくちゃ重いぜ? 女連中にはキツすぎるだろ。本が入ってるってことは、分解できるタイプの本棚だって持ってきてるんだろうし」
「ああ、うん。ご名答。あとは服と布団と、日用品くらいのものだけど」
「日用品? ダンベルとかか?」
「なんでダンベルが日用品のカテゴリに? 違うよ。CDラジカセとか、そういうのだよ」
「そんなもんが必要なのか……」
「力也は聴かないの? 音楽とか」
「あいにく、そういうのの良さはサッパリわからん」
そんな会話をしながら、僕と力也は廊下を歩いていく。
力也はひとりで、僕は美花さんと一緒にダンボール箱を持ちながら。
「……って、あれ? あすかは?」
「あいつ、今度こそ逃げやがったか……?」
「逃げたわね、絶対」
まあ、無理に手伝ってもらうのもなあ。
と、そう言って二人をなだめようとした直前。
「お~い! 物置きにこんなのがあったぞ~!」
褒めて褒めて、と言わんばかりの表情で、あすかがガーッと台車を押しながら走ってきた。
なるほど、あれにダンボールを乗せて運べば、確かにいくらかは楽ができそうだ。
でも、ここは木製の廊下。痛んだりはしないのだろうか?
もっとも、そんな心配をしているのは僕だけのようで、
「でかしたぞ、あすか!」
「あすかちゃん、最高!」
力也と美花さんは口々に彼女を褒め称えていた。
ついさっき、恨み言を口にしようとしていなかったっけ? この二人。
ともあれ、三人がそれでいいのなら僕も気にしないことにする。廊下のことも、恨み言のことも。
「ところでよ、理緒」
積めるだけダンボール箱を積んだところで、力也が僕のほうに顔を向けてきた。
「これ、本が入ってないダンボールは何箱あるんだ?」
「ええと……確か、三箱だったかな」
このあたりの記憶はけっこう曖昧だ。
力也じゃないけど、服とかは僕にとっても割とどうでもいいし。……もちろん、さすがに一着や二着でいいとは思わないけれど。
それはともかく、彼は僕の返答に口を大きく開け、三度、驚愕の表情を浮かべてみせる。……なんか、そろそろ見慣れてきたなあ。
「マジかよ。じゃあ、十五箱分も本を持ってきたのかよ。少しは実家に置いてこいよ……」
台車をガラガラいわせながら、ブツブツと呟く力也。
しかも、それには女子二人も同意らしい。
「まったく、一体何冊あるんだ」
「ないわー……。絵本作家が夢だっていうのはさっき聞いたけど、それでも十五箱はないわー……」
「みんな、そうは言うけどさ。これでも厳選したんだよ? 本当はもっとたくさん持ってきたかっ――」
『厳選!?』
三人の声が揃い、ものすごい大音量に。
それからも彼らは口々に、
「厳選したのにこれかよ!?」
「一体、本を何冊持ってるんだ、お前! 本に埋もれて死ぬのが夢なのか!? 絵本作家になるっていう夢は嘘だったのか!?」
「……全部持ってきてたら、部屋には入りきらなかったでしょうね、絶対に。ちなみに、実家にはあとどのくらい本があるの?」
「う~んと……親が持ってるのも含めていいなら、軽く十倍はいくかな」
「十倍かあ。あはははは……」
少し虚ろな瞳になって、乾いた声を漏らす美花さん。
ちなみに、このアパートは正方形に限りなく近い形をしており、西には大家の部屋と炊事場があり、北には一号室と二号室と三号室が、東には四号室と五号室が、そして南には六号室と物置き、それと用途不明の一室が、という具合に部屋が並んでいる。
で、いま僕たちが向かっているのは、アパートの東側。
「そういえば、まだ聞いてなかったけどさ。僕の部屋は何号室?」
余ってる部屋があとひとつだというのは知ってるけど、それがどこかは知らなかった。
東に向かってるんだから、四号室か五号室のどちらかなのだろうけど。
「四号室」
あすかが端的に答えてくれる。
しかし、そうかあ。四号室かあ。
一番不吉な番号の部屋なんだなあ……。
僕の表情から考えを読みとったのだろうか、隣を歩く美花さんが右手を縦にして軽く頭を下げてきた。
「ごめんね。理緒くんの前に片山荘に入ったのは私なんだけどさ、そのときに四号室と六号室しか空いてなくて、私が六号室もらっちゃったんだ」
「そんな、謝ることはないよ。なにも悪いことはしてないんだから」
そんな僕の言葉に追随するように、力也が口を挟んでくる。
「そうそう。それに四号室はオレの部屋の隣だ。なにかあったらすぐに駆けつけてやれるじゃねえか。なあ? そう考えりゃ四号室ってのも悪くはねえだろ? 理緒」
笑顔を向けてくる彼に「そうだね」と笑って短く返し、確かに彼だったら、どんな非常事態が起こっても頼りになるだろうな、と偽りなく思う僕。
実際、荷物を率先して運ぼうとしてくれたのも力也だったのだし。
生活していくうえで、これからも色々と頼ることになりそうだ。
ぶっちゃけ、同性だからっていうのも含めて、このメンバーの中で一番気兼ねなく話ができるのも力也だし。
それからも、雑談しながら次々とダンボール箱を四号室へと運び入れ。
同じ男同士ということで、最後の仕事である荷解きまで力也に手伝ってもらっているそのうちに、ここの大家である梢ちゃんが帰ってきた。
一体、何年ぶりの再会になるのだろうか。
思えば彼女の写真を実家で見た覚えはない。
一緒に遊んだ幼い頃の記憶だって、実のところはあやふやだ。
だから僕の胸のうちは、期待が半分、不安が半分という感じだった。
これは、『出会い』ではなく『再会』だというのに――。
今回は引き続き、理緒と力也、あすかと美花の四人が繰り広げるドタバタ回でした。
前回のラストで漂っていた重そうな雰囲気はまったくのゼロ!
段ボール箱の描写に関しては、理緒に共感するか他のメンバーに共感するかが分かれるかもですね(笑)。
そして、とにかくメインヒロインが出ないなあ、あはははは……。
ではでは、また次回!