第二話 ファミレス『満員御礼』もよろしく!
場所は変わって、片山荘の炊事場。
四角いテーブルを囲むようイスに腰かけ、僕たちは改めて自己紹介をすることにした。
「あたしは二号室に住んでる天王寺あすか。梢と同じ十五歳だ。クラスも梢と一緒だぞ!」
えっへん、と胸を張るあすか。
飾り気のない白いブラウスがピンと伸びる。……まあ、胸の大きさはかなり残念な感じだけれど。
それでもこの娘、かなり可愛い部類に入ることは間違いないだろう。
さっき、自分で『可憐な美少女』なんて言ってたけど、小柄だし、華奢だし、ミニスカートから伸びる脚もしなやかだったし、なるほど、確かに『可憐な美少女』ではある。
……実際は人を――自分よりも遥かに大柄な男性を微塵のためらいもなく蹴りまくる、なかなかに勝ち気な女の子なわけだけれど。
「はっ。な~にを無い胸張ってやがる」
デリカシーのない大男の発言。
それにあすかが食ってかかるのは必然だろう。
「無い胸とはなんだ! 気にしてるのに!」
しかし、彼女の頬を右の掌でぐいと押しやり、彼は自己紹介を続けてみせた。
「オレは五号室の佐野力也。十七だ。趣味は筋トレ――」
「えええええっっっっ!?」
彼の言葉を遮って、僕は玄関口でのときに続き、また大声を上げてしまった。
「僕と同い年!? その体格で!?」
いや、確かに彼、学ランを着てはいるのだけれど、だからって高校生とは、ちょっと僕には思えなかったわけで。
ともあれ、僕と同い年というその事実は彼――力也にとっても意外だったようだ。だって、
「ええっ!? てめえ、オレとタメか!?」
驚きの表情を隠そうともせずに、僕の顔を指差してきたのだから。
「マジかよ! つーかてめえ、もっと肉食えよ、肉! 小さすぎるだろ、身体!」
そんなことない、とは言い返せなかった。
だって、僕の身長は163センチ。高校二年生男子の平均と比べて明らかに低いのだから。
けれど、
「力也……さんは何センチ、ですか?」
「オレか? オレは189センチ」
でかい。わかっていたことだけれど、でかい。
なんだ、この敗北感……。
ず~んと沈み込んでいた僕に、その原因である力也さんが声をかけてくる。
「つーかよ、『さん』はやめろよ、『さん』は。タメなんだから呼び捨てでいいって。丁寧語もいらねえ」
「そ、そう? ええと、じゃあ……力也」
「おうよ!」
ニカッと笑みを向けてくる力也。
なんだ、思ってたよりいい奴じゃないか、力也。でも……
「『てめえ』呼びは、そのままなんだ……」
「へ?」
「……って、あっ!」
ついつい口に出してしまっていたらしい。
僕は慌てて口を手で押さえるも、そんな行動に意味なんてなくて。
ちょっとだけビクビクと力也の顔色をうかがってしまう僕。
すると彼は、少しだけ決まり悪げな表情を浮かべていた。
「あー……、悪りぃ。ついついそのままになっちまってた。まあ、呼び方はじきにシフトしていくだろうから、あんま気にしてくれるな」
「え? あ、うん……」
と、そこで僕たちは、ずっと無言でいるあすかに同時に気づく。
示し合わせるでもなく、同じタイミングで目を向けると、
「このバカと同い年……。理緒が、このバカと同い年……。人類の神秘だ……」
なんか、うわごとのようにブツブツと漏らしていた。
というか、人類の神秘って……なに?
「察してやれ、理緒。きっとあすかは『人体の神秘』って言いたかったんだ」
「あ、ああ。なるほど……」
まあ、確かに身長差がありすぎるからなあ、僕と力也。
ともあれ、今度は僕が自己紹介をする番だ。
「ええと、僕は立川理緒。彩桜学園に転入するにあたって、ここを下宿先……っていうのかな? そういうのに勧められて来たんだ。親に」
それに「はい」とあすかが挙手して、
「理緒は梢の『はとこ』なんだよな? お爺ちゃんが同じってやつ」
「あすか、それは『いとこ』だよ」
「……ああ、そうだったそうだった。お父さんが同じってやつだった。危うく間違えるところだった」
まだ間違えていない、とでも言いたげなその態度もすごいけど、
「あの、それだと『きょうだい』になっちゃうからさ。僕と梢ちゃんは『曾お爺さん』が同じなんだよ」
「うん、そうだそうだ。それだった。うん、間違えてないぞ。もちろん間違えそうにもなっていない」
どれだけ認めようとしないんだ、この娘は……。
と、呆れ混じりにそんなことを思いながら、ふと気づく。
僕、あすかのことを呼び捨てにしちゃってたよな? 問題、ないのかな……?
首を傾げる僕に、今度は力也が質問を投げてきた。
「にしても、なんで彩桜に転入なんてすることにしたんだ? いまは春休みだから時期的にはおかしくねえが、オレたちはもうすぐ三年だぞ? 受験勉強に精出さなきゃいけねえ年齢じゃねえか」
ごもっとも。
「うん、そうなんだけどね。僕、絵本作家を目指してて。で、僕の地元って田舎でさ、だからなのか専門の学校ってのがなくって。でも彩桜の大学部にはあるって聞いたから」
「は~、絵本作家ねえ~」
「あはは……。親からは安定した職に就けって言われてるけどね。ともあれ、彩桜は高等部から入っておいて、エスカレーター式に大学部を受けたほうが受かりやすいって聞いたから。それで、今年のうちにって」
「なるほどな。……ん? じゃあ、あれか? 将来は大先生か? ……こうしちゃいられねえ! 理緒、サインくれ! 時間がたっぷりあるいまのうちに!!」
なんか本気っぽい力也に、僕は一瞬戸惑う。が、
「気が早すぎだろ、ぼけぇっ!」
そんなものは、あすかが力也を蹴り飛ばしたことで、すぐに頭から消えてしまった。
「ちょっ、だから暴力はダメだって、あすか!」
これにはどうしても声を大きくしてしまう。
けれど、蹴られた力也のほうはこともなげに、
「気にすんな、理緒。いつものことだ。それにあすかの蹴りは別に痛くはねえんだよ。そりゃ、全体重乗せられりゃあ少しは効くが、いまのなんて軽く小突かれたようなもんだ。ポテチ食ったあとのだって、実際は痛くもなんともなかったし」
「なんだとおっ!?」
肩をすくめながらの力也の言葉に、あすかが激昂した。
それを見て、彼は「やべっ」と漏らす。
「いままで、効いてるってことにして上手くやりすごしてきたのに、つい口が滑っちまった……」
「お前はもうちょっと反省しろおぉぉぉぉっ!!」
イスに座ったまま、げしげしと力也に蹴りを入れまくるあすか。
その体勢じゃ痛くないってわかっているのに立ち上がったりしないのは、痛い思いをさせる気なんて毛頭ないからなのか、頭に血がのぼってその事実を忘れているからなのか……。
……とりあえず、前者だと思っておくことにする。
「悪い! 悪かった! や、マジで効いてるんだって! 痛てえって!」
力也は力也で、そう顔をしかめているけど、確かに目を見ると『やれやれ』って感情を読みとることができた。
どうやら、本当に痛くないらしい。
もっともそれは、しっかり筋肉がついている力也だからなのであって、僕が同じことをされたら痛いに違いないのだろうけど。
あすかはそれからも力也をしばし蹴り続けていたが、いい加減に疲れたのか、やがて肩で息をしながらイスに深く腰かけた。
そして、そのタイミングを見計らったかのように開く、炊事場の扉。
「おはよ~」
聞こえてきたのは眠そうな声だった。
それに応えるのは力也とあすかの二人。
「おっす」
「おはよう」
口許に手を当てて、漏れるあくびをかみ殺しながら、その闖入者はにっこりと微笑みを向けてくる。
「まあ、正確にはもう『おそよう』の時間だけどね。午後一時を過ぎてるから」
その人は、すれ違った誰もが思わず振り返って二度見してしまいそうなほどの美貌を持つ、ものすごい美少女だった。
まだ少し肌寒い季節だからか、着ているのは暖かそうなセーターとズボンだけれど、それを野暮ったく感じさせない魅力が彼女にはある。
いかにも柔らかそうな髪は栗色。緩やかなウェーブを描いて腰のあたりまで伸びていて、それが彼女の表情と相まって、少しばかりの元気の良さと清楚な雰囲気とを醸しだしていた。
彼女は僕という存在に一瞬だけ目を留めて、訝しげな表情を浮かべたけれど、それよりもと台所のほうに歩いていく。
僕のほうから声をかけたほうがよかっただろうか。
そうも思ったけど、でも、やっぱりなんだか気後れしてしまって……。
そんな僕を見て、気を遣ってくれたのだろうか、後ろ姿を目で指しながら、力也が彼女のことを教えてくれる。
「あいつは岩波美花。六号室の住人だ。『満員御礼』っていうファミレスでバイトしてる。あ、歳はオレらよりひとつ下の十六な」
うう、やっぱりいい奴だ、力也。
僕、彼とは上手くやっていけそうな気がするよ。
そんなふうに深く静かに感動していると、美花さんがちょっとだけむくれた表情で見てきているのに気がついた。
彼女はミルクティーの入ったカップを四つ、お盆に載せて、テーブルの空いているところ――つまりは、僕の向かいにつく。
それからひとつずつ丁寧に僕たちの前にカップを置き、イスに腰かけた。
「あ~あ、ちゃんと私が自己紹介しようと思ってたのにな~」
なだめにかかるのは、もちろん力也だ。
「そうむくれんな、美花っち。いいじゃねえか、手間が省けたと思えばよ」
「むう、な~んか納得いかない……」
残念。美花さんの機嫌は回復しなかった。
しかし、別に大事ってわけでもないからか、彼は彼女のご機嫌とりもほどほどにカップに口をつけた。
「かあ~っ、うめえ~っ! お前、紅茶淹れるのはマジでうめえよな~!」
実にストレートな褒め言葉を口にする力也。
「……おだてても、なにも出ないからね?」
もう、紅茶が出ているけどね……。
「うん、美味しい。いつもどおりの美花の味だ」
あすかによる、ストレートな褒め言葉第二弾! それに少しだけ頬を緩ませる美花さん。
「……そ、そう? ファミレスで働いてるんだから、これくらいはね。まあ、やってることはレジと料理運びくらいで、店にはドリンクバーがあるわけだけど……」
あ、ちょっとだけ落ち込んだ。
それでも、あともう一押しで機嫌は直るとみた。
同じことを思っているのか、力也とあすかも僕に目を向けてきている。人数的に考えても、その『最後の一押し』は僕がやるべきだろう。
そう思い、『美味しいよ!』という言葉を準備しながら、カップを持ちあげる僕。
「……っ!」
しかし、その言葉は口にできなかった。
美味しくなかったわけじゃない。むしろ逆だ。
どうも人間というのは、本当に美味しいものを口にすると、安易に『美味しい』なんて言えなくなるらしい。
それでも、『美味しい』という感情は表情から伝わったらしく、美花さんは顔を綻ばせた。
「ところで、あなたは新入りさん? 見たことない顔だけど」
「え? あ、うん! えと、立川理緒っていいます」
「私は岩波美花。よろしくね。あと、ファミレス『満員御礼』もよろしく! 客入りみてると、いつ潰れてもおかしくないような感じのお店だから」
「うん、わかった。今度食べに行かせてもらうよ!」
『絶世の』を頭につけてもおかしくないくらいの美少女が相手だからなのだろうか、僕は妙にテンション高く返してしまった。
それを力也たちにからかわれるかと思ったのだけれど。
「……なあ、あすか。理緒の奴、生きて帰ってこれっかな」
「信じよう。さすがに客の命に関わるような料理を出すようなところじゃない、あそこは。……あたしはもう絶対に行かないけど」
な、なにかな? その不穏当な会話は……。
少しだけ、冷や汗が背をつたう。
矛先を逸らそうと思ったのだろうか、力也はいま思いだしたように、
「そうそう。美花、こう見えても理緒はお前より年上だからな。年下に感じるだろうけど」
「ふうん、そうなんだ。……ショタ系って、それはそれで需要あるわよね?」
「いや、そんなことをオレに振られてもわかんねえよ。そもそも、ショタってなんだ……」
「それは――」
「いや、疑問に思ったんじゃなくて脱力しただけだよ! 説明いらねえよ!」
「ちえ~っ。……あ、ところでさ、梢ちゃんはどこにいるの? 今日、まだ見てないんだけど」
それは今日、僕がここに来てからずっと訊きたいと思っていたことだった。
形としては、ここの大家である梢ちゃんを頼って上京してきたことになるのだから、彼女にはできるだけ早く会っておくべきなはずで。
美花さんの問いに答えたのは、ちょっと意外なことにあすかだった。
「梢は黒江とフィアリスを連れて、三人で買い物に行ってるぞ。なんかすごく嬉しそうに出ていった」
それに相づちを打つのは力也。
「ふうん。じゃあ、今夜は理緒の歓迎パーティーかね。……食費が浮くぜ、助かった!」
「お前の頭にはそれしかないのか!」
「仕方ねえだろ。今月ピンチなんだからよ」
それ、もう何回も聞いたなあ……。
まあ、それは置いておくとして。
「ねえ力也、このアパートにある貸し部屋って、確か全部で六つだったよね? じゃあ、その黒江って人とフィアリスって人で住人は全員?」
じゃないと、僕の住む部屋がないことになってしまう。果たして力也は、
「おう。というか、なんでそんなこと知ってんだ? お前」
「ここには昔、何度も遊びに来てたんだよ。ある時期を境に、全然来なくなっちゃったんだけど」
その言葉に美花さんが割って入ってくる。
「ある時期って?」
「あー……、それは、えっと……。お爺さんがなくなったとき、かな……」
ちょっとだけ重くなる、炊事場の空気。
美花さんも申し訳なさそうな表情をしているし。
それを見ていると、僕のほうが逆にいたたまれなくなってしまい、わざと明るい声を出す。
「でも、別になにかがあったってわけじゃないんだよ、本当に」
これは誓って本当だ。
お爺さんが亡くなったことに関して、僕にトラウマなんてものはひとつもないし、それは梢ちゃんだって同じなはず。
もともと、遠く離れた地に住んでいたんだ。
親が連れてきてくれなくなれば、疎遠になるのは当たり前のこと。
その、はずなのに……。
『――起こったことよ セピアにかすめ』
不意に、廊下に立つ二つの人影を幻視した。
ひとりは、綺麗な金色の髪をポニーテールにした、十代後半の少女。
もうひとりは、黒いスーツを身にまとった、二十代後半の男性。
誰なのだろう、この二人は。
いつなのだろう、このときは。
そして……
『――心の傷あと もう増えることのないように』
そして、なんなのだろう、この胸騒ぎは……。
いかがでしたでしょうか?
この先も基本、ハイテンションにドタバタ劇を繰り広げながら、この物語は進んでいきます。
でも、それだけでは済まないのが、ルーラークオリティ。
それはそれとして、今回は新キャラも登場。
名前だけなら、片山荘に住む住人全員が出てきました。
中には、すでにそのキャラ知ってるよ、という人もいらっしゃるのではないでしょうか。
こういう演出、僕は大好きなんですよね(笑)。
それでは。