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5、リーズ村(5)

素直に教えを仰ぐ子供に、ふむ、とムク爺は手で軽く顎に触れる。


初めてこのシュリィを見た時、自分を見ても泣かない様子に珍しいとは思ったものの、他の村民ほどには騒がなかった。


赤子であろうと人である。

生き物である限り、十人十色、反応は様々であって然るべきなのだ。


と、その時は考えたものだが。


(なかなか面白く育ったのう)


というのが最近の感想である。


最初におや、と思ったのは、シュリィがたまたま他の子供が地面に書いている文字を見てなんと読むのかと尋ねた所を、これまた偶然通りかかったムク爺が見かけた時だった。


初めて見るだろう文字を、文字だと正確に認識している様子だった。


子供が土の上に木の棒でなにかを書いた。

それがわけのわからないものだった。

ただの落書きと思っても仕方がない。


小さな子供がそれを文字だと判断したのだから、なかなか骨がある。


あるいは既に親に教わったかと尋ねてみればシュルヴェステルもリリーもまだ時期が早いだろうと、一文字も教えてはいないと言う。


この子は自力で、口から発せられる音の連なりが記号に表されるのだと気付いたのかもしれない。


ムク爺はそれから何かと質問をするシュリィに、なるべく様々なことを教えてやるように気にかけた。


すると今日、その子供は国の名を聞いてきた。


ふむ、ともう一度考える。


「シュリィは、国家という概念を知っておるのじゃのう」


「・・・・え」


ぱっと顔を上げた子供の顔を、じっとムク爺は凝視する。


こんな辺鄙な土地にいて、自給自足に近い生活を送る村民たちの毎日で、滅多に国家規模の話は大人の口に上らない。


シュリィは焦った。


ムク爺は、シュリィが子供らしくない子供であることを、誰より一番知っている。


「・・・ものがたり」


「ふむ?」


「おかあさんがねるまえにきかせてくれるものがたりでいってた」


咄嗟に出てきた言い訳に、シュリィは我ながら拍手したい気分だと思った。


そうだ。随分前のことだけれど、確か「その国のお姫様は、たいそう美人で、」みたいなことを言っていたから、この言い訳で多分大丈夫だろう。


後押しするように、無邪気に見えるようにっこりと笑う。


若干頬が引きつっている気もしなくはないが、押し売りの如くにこにことすると、ムク爺は「物語のお」と、得心いったように何度か頷いた。


それを見てそっと息を吐いたシュリィ。

密かにちらりと老人の顔色を窺うも別段常と変わりない。

彼女は再び胸を撫で下ろした。


しかし老人は、気づいていない体を装いながらも、幼い子供のそんな様子を視界の隅にしっかりと捉えていた。

やはり、ともう一度ひとり頷く。


この子供はどうも、子供の域を超えて賢い。

時折見せる判断は、大人のそれと同じで、この年でそれだけ理論立てて考えられれば、小さいこの村のこと、恐らく才児と騒がれても良い程だ。


それがこの子は「利発ないい子」、村での評判はその程度止まりである。


それは、他でもない、当人自身のせいだろう。


シュリィは子供らしく振る舞うことにやたらと気を配っているようだった。

子供の範疇をわずかでも外れるような片鱗が自分にあることを、ちらりとでも気付かれたくはないらしい。


現に、3才児にして自主的に文字をムク爺に習いはじめたかと思ったら、密かに自分でも勉強しているのか既に多くの文字を身に着けつつある。

そしてそれを大人に知られないように、知っている文字でも、どうもとぼけて見せているようなのだ。


年の功、シュリィがあるいは何かをひた隠しに胸へ秘めているのかもしれない、ということを彼は薄々勘付いてはいたのだが、


(・・・本人が言わないのなら聞くまいよ)


その深い懐そのままで、老人は子供の言動を口を閉ざして見守っていた。




何食わぬ顔でムク爺はさて、と話をもとに戻した。


「このリーズがあるのはセレナティエ王国じゃ。またの名を、ハレ=アズィーロとも言う」


「・・・またのな?」


「もともとはハレ=アズィーロこそがこの国の名じゃった。それが、長い歴史の中、とある王の代で遷都と共に改名してのお。今となっては、セレナティエともハレ=アズィーロとも呼ばれる。」


「どっちでよべばいいの?」


「どちらも。使う頻度はあまり変わらん。」


好みじゃ、好み。

と快活に笑う老人に、いいのかそれで、と思わずシュリィは心の内で突っ込む。


(・・・いや、でも、にほんもにっぽんとか言うよね。・・・それにしてはセレナティエとハレ=アズィーロじゃ違いすぎなんじゃ・・・?)


眉をひそめひとり思案するシュリィには目もくれず、ムク爺はふつりと笑うのを止めた。


途切れた声に気付いて顔を上げると、彼は珍しく真剣な顔をしている。

唐突に変わった空気に、シュリィはぎくりと身を揺らした。


狭くはないムク爺の家はムク爺の笑い声がなくなると、途端にしんと静まり返った。


「・・・ムクじい?」


「シュリィ」


「・・・はい」


しかとこちらに顔を向けたムク爺の様子に何かを感じて、自然とシュリィは居住まいを正す。

すぐ近くにある窓が風にあおられてかたかたと音を立てた。


「このリーズはの、辺境の地じゃ。国の堺にある」


「こっきょう」


「そうじゃ。土地柄、リーズは栄えておらんが、確かにここは他国と隣接する土地なんじゃ」


わかるかの、と聞くムク爺に、


「うん」


と頷く。

リーズの土地柄は既に聞き及んでいた。

だから自分の近辺の情報に満足してしまって、目先のことに必死でうっかり国のことを失念していたのである。


「このリーズと接する隣国の名は、イズ=トゥーロ皇国という」


「いずつーろ」


「イズ=トゥーロじゃ。トゥーロ」


「いず、とぅーろ」


「よろしい。・・・この皇国じゃが、セレナティエとはあまり仲が良くない。」


「なか、わるいの?」


「悪い。・・・因縁の仲と言っても過言じゃなかろうて。長い歴史、幾度となく剣を交えてきた国じゃ」


(剣を交えるって・・・戦争、よね)


にわかにきな臭い話になってきた。


28年、平和ボケとも時折称される国で安穏と過ごしてきた。


加え、リーズ自体が穏和な村である。

戦争なんて言葉はおよそ縁遠い。


当惑した顔で、ただこくこくと頷くシュリィに、けれどムク爺の顔は変わらない。


普段はこの村そのものを表すかのように穏やかな表情が、今は静寂を湛えていた。


「今は休戦中じゃがの、国境では小競り合いが起こることがある。リーズは何もない村じゃから、被害を受けることは珍しいがの。・・・シュリィ、」


しんとした声で名を呼ばれて、シュリィはびくりと身構えた。


村の外れにあるムク爺の家はもともと静けさに包まれたような家なのだが、今はどこか一気に薄暗くなったような気がする。


ムク爺がいつも座る揺り椅子のゆらゆらとした動きに目が行く。


今日に限って、ぎいぎいというその音が耳に付いた。




「心を、強くなさい」




一際静かな声だった。


ムク爺の独特なしわがれた声。


それが響き渡り一層深くなって、シュリィの小さな胸にぶつかってくる。

その勢いと力強さに彼女は膝の上に乗せた両手を握りしめて、目を大きく見開いた。


何故、そんなことを言うのか。


問いかけるようにムク爺の瞳を探すが、老人の表情は揺れない。微動だにしない。

そこから明確な何かを読み取ることはできない。


・・・よく理解はできないが、とにかく大切なことなのだ。


そんな彼の様子からそう解釈したシュリィは、部屋を支配するかのようなこの空気に対抗するように、なるべく厳かな心持ちで表情を正してその細い首をたてに振った。


「はい」


じっと彼女を見つめていた瞳が、ふと見えなくなる。

ムク爺が、いつものように笑った。


「よろしい」


途端に慣れ親しんだ空気に戻る部屋にシュリィは安堵すると同時に、どこか腑に落ちない。


シュリィが「ムクじい、」と呼びかけようとした時、



バンッ



と景気よくムク爺の家の扉が開いた。


「シュリィ!ここにいた!」


唐突に響いた元気な声に、思わず驚きで凍りついたシュリィとは反対に、ムク爺は板についた様子でまず窘める。


「・・・・アビー、ノックをしなさいといつも言うとるじゃろうが」


「うん。ごめん、ムク爺」


すかさず謝罪を口に乗せたものの、恐らく反省はしていないだろう。


アビーは悪びれた様子もなく少し照れたようにおちゃめな笑顔をムク爺へ向けて、すたすたと部屋を横切るとシュリィのすぐ隣に立った。


「シュリィ、またムク爺のところにいる」


そこでようやく我に返ったシュリィも声が出た。


「・・・・アビー」


「外でも遊ばなきゃだめだって」


もう、とお姉さん風を吹かせる彼女に、ムク爺が溜息をつく音が聞こえる。


「アビー、お前さんも少しはシュリィを見習って文字を覚えんかい」


「はあーい」


聞いているんだか聞いていないんだかの返事をするアビーは、既にシュリィの片手を取っている。

馬耳東風を見事に表したような体である。


左手首を軽く握られ、半ば引き上げられるように立たされる。


話の途中であったシュリィはおろおろとムク爺の顔を見るのだが、彼女の視線を受け止めた老人は闊達な笑い声をあげた。


「しかしアビーが言うことも一理はある。体力は何より必要じゃの。どうもシュリィは一人じゃあ散歩くらいにしか行かん。ほれ、アビー。シュリィを連れまわして来なさい」


「了解!」


本人そっちのけで行われる問答に、ひとり置いて行かれるシュリィの手を長老から大義名分をもらったアビーはぐいぐいと引っ張って開け放たれたままになっていた扉の方へ足を伸ばす。


彼女に引きずられながら、シュリィは慌ててムク爺を振り返った。


「ムクじい」


アビーの勢いに流されっぱなしで、面食らっている彼女は抵抗もしないでずるずると外へ引かれていく。


外に出ると日の光に一瞬目が眩む。


扉を隔てた向こうは薄暗く、揺り椅子に腰かける老人の顔は陰ってよく見えないが、投げられた声はいつもの通り穏やかだった。


「子供は遊びが本分じゃよ」


その言葉にとうとう追い出されたのを感じたシュリィは大人しくアビーに従って足を進めることにした。


一歩前を行くアビーの背中に顔を向け直す。

彼女は機嫌よく鼻歌を歌っていた。


そんな少女を視界に、先程のムク爺の言葉の意味を考える。


おおよそのあたりはついていた。


国境では小競り合いが起こることがある。

その火種がリーズに飛んでこないとは限らないから用心しなさい。


つまり、そういうことなのだろう。


子供に伝えるにはいささか物騒な話だし、なにより命に関わることなのかもしれないから、ムク爺のあの厳粛とも言える表情はわからなくもない。


わからなくもないのだが、なまじ、争いとは程遠いところから来たから、いまいち実感は湧かなかった。


(地震みたいな感じかな。天災に備える心持ち、みたいな)


自分なりに解釈して、伏せていた目を上げたシュリィは切り替えるように歩く足に力を入れた。






しかし、シュリィは理解していなかったのだ。


その言葉のほんとうの重みは彼女が思っていたよりもずっと強大なものだった。

彼女は真実、実感していなかったのである。



シュリィがムク爺の言葉の真意、その想いに気付いたのは、結局、これからだいぶ後になってからのことだった。


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