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3、リーズ村(3)

辺境の村、リーズ


国境の地域にありながら、交易の地点にさえならないほどの利便の悪い土地である。


自国の主要都市へ向かうよりも隣国の地の方が近いにも関わらず、恐らく隣国の人間にもその存在を多くは気づかれていない。


というのも、すぐ傍にある隣国との境は、越えるのも険しい山脈が堂々たる姿でどんと隔てるように構えているからだ。


二つ向こうの街には隣国へ続く主要街道があり、一つ前の村にも街道ほど立派ではないものの人が通れる道がある。

そんな中、わざわざ命を懸けて山脈を越えるのは余程の物好きか訳ありの人間くらいだ。


とにかく使い勝手が悪い。

だからリーズ村は人と物が行き交う土地にもならなければ、戦の拠点にもならない、人里離れた静かで平穏な侘しい村だった。


人は百人も住んでいない。

村人全員が家族のような、小さいながらも温かい村。

畑と小川とぽつんとした人家しかないほんとうにこじんまりとした平和な村。

自国の地図にも書き忘れられるような、のどかが取り柄のしがない村。


それが辺境の土地、リーズ村。


そんな辺鄙で穏やかな場所の村民、シュルヴェステルとリリーの娘として子供、シュリィは産まれた。







リーズには長老と呼ばれる老人がいる。


その正しい年齢を村の誰も知らないが、とにかく長く生きていることは確かだ。

それは彼を一目見れば誰にでもわかる。


老いた人は、腰を曲げたせいか体は小さくなり、皺ばかりの顔は目が隠れてどこにあるのかはっきりとはわからない。

その顔もところどころイボのようなものがあり、眉の上に大きなほくろがある。

歯もいくつか欠けていて、声も老人独特の音をしていた。


しかし彼にはその長い人生の裏付けとなる経験と豊富な知識、積み重ねられた実績と懐の深い穏和な性格があった。


長老、長老、と村の人間からはたいそう慕われている。


そんな老人の名をムク爺といった。


皆がムク爺ムク爺と口を揃えて言う。

一度も聞いたことがないので、ムク爺の本当の名をシュリィは知らない。

ムク爺のムクが何のムクなのか、いつかは訊いてみようと思う彼女である。


慕われているムク爺を、しかし村の幼い子供はやはり怖がった。


なにしろその外見は長い年月を生きたおかげで、確かに少しばかり恐ろしい。

暗闇でぼうっと立っているのを見たならば、大の大人も思わずびくりとするほどである。

小さな子供が恐れるのも無理はなかった。


村で生まれた赤子は、ある程度大きくなると村の人間に顔見せをするが、その際当然村の長老の下へも訪れる。


長老との初対面、泣かない赤子は今までひとりもいなかった。


皆が皆、ムク爺の顔を見るなり母親に縋って泣き喚く。

厄介なのはそれを面白がってムク爺が更に怖がらせようとするところだった。


それに便乗して周りの大人も小さい子供をからかう。

泣く子がまた声を大きくする。

それを見て元気元気と大人が笑う。


リーズの子は、どの子この子も通ってきた道だ。


が、ひとりだけ、それを覆した子供がいた。

それがシュルヴェステルとリリーが第一子、シュリィだった。





まだ母親のリリーの腕に抱かれた赤子は、ムク爺が顔を覗かせてもぴくりともしなかった。

ただじいっとムク爺の顔を見る。


当然シュリィの中身は28歳の野宮朱里なのだから、老人の顔を見たくらいで泣き喚いたりはしない。

その時彼女は間近にある老人の顔に隠れた小さな目をひたすら探していた。


ふうむ、と唸ったムク爺が、わっとシュリィを驚かせる。

するとなんと赤子はきゃっきゃきゃっきゃと可愛らしい声を上げて喜んだ。


というのも、わっと驚かす素振りをしたおかげで見開かれた老人の目をやっと見つけることができたからなのだが、驚いたのは周囲にいた大人たちだった。



これはたいそう珍しい。

さてはてこの子は肝が据わっているのか、賢いのか、それともただびっくりするほどとろいのか。



一躍村の有名人になったシュリィだが、当の本人は亡くなった祖母を思い出させる、穏やかで可愛らしい瞳をした老人にすっかり懐いてしまった。


ムク爺はひとり「つまらんのう」と、不満げにぽつりと零したという。


それから三年。



シュリィは三才になった。









「シュリィ!」


子供特有の高い声に名前を呼ばれて、小さな子供は振り返った。


そのとき緩く微かにウェーブのかかった柔らかな茶髪がふわりと揺れる。

幼さが色濃い丸みを帯びた頬に、一房その髪が触れた。


シュリィは春風そよぐ、うららかな村の畦道を通って駆けてくる少女を認めて口元に笑みを浮かべる。

自分の方へ駆けてくる少女の名を彼女は呼び返した。


「アビー」


アビーと呼ばれた少女は一度にっこりと顔の全部で笑い返す。

彼女はあっという間にシュリィの目の前に立った。


アビー。

リーズ村で自分に最も年が近い子供。

肩につかない赤毛混じりの濃い茶髪に、夏の空のような真っ青の瞳をしている。


とにかく元気な女の子で、頻繁に外で子供らしくはしゃぐことを野宮朱里としてどうしても躊躇ってしまうシュリィは活発な彼女によく連れ出されていた。

5才のアビーは、自分よりも(少なくとも身体的には)年下であるシュリィに構いたくて仕方がない。


「シュリィ、ねえ、今からみんなで鬼ごっこをするの。一緒にやろう!」


アビーは走ってきたままの勢いで弾むように声を出した。

シュリィは首を少し傾けてやんわりと口を開く。


「えっと、わたし、ムクじいのところに、」


行こうとしてたところなの。


そう続けようとした彼女の言葉を遮ってアビーは声を少しばかり大きくした。


「だめよ!シュリィ、いつも部屋にこもってたら体によくないのよ?ねえ、一緒に遊ぼうよ」


自分よりも背の高いアビーを見上げるようにしてシュリィは困ったように微笑する。


溌剌とした彼女は運動神経も良いらしく、その俊足に三才児の体であるシュリィはいつも無茶をせざるを得ないが、もともと野宮朱里は子供が嫌いじゃない。


小学生の家庭教師をしていたこともあるから、裏表なく子供然としたアビーを可愛く思っていた。

だからこう声をかけられるとどうにも弱い。


逡巡だけ迷って、早々にアビーに屈する方に秤はかくんと、あっさり傾いた。


「わかった」


こくりと頷いてみせるとぱっと太陽のようにアビーが笑う。

この笑顔のためなら多少のことはしょうがないなと思ってしまう。


アビーの笑顔は野宮朱里の妹の笑顔にどこか似通るところがあった。


(・・・我ながら、甘いなあ)


内心自分に苦笑を浮かべながら、シュリィも笑い返した時、


「シュリィ、アビー」


また別の声が二人を少し離れた所から飛んできた。


「エイダ!」


その声の主の名前をアビーが素早く口にする。

シュリィがアビーの横から顔を出すと、小川の近くにある家の傍から、ひとりの少女が手を振りながら歩いて来る所だった。


エイダ。

彼女もまた、このリーズの子供である。

見事な金色の長髪はくるくると円を描き、明るい緑のぱっちりとした目をしている。


村の子供一番の美人で、あと数年もしないで求婚が舞い込む美少女になるだろう、というのがシュリィの見解だ。賭けてもいい。


7才の彼女は年のわりには落ち着いた子供で、同じく年のわりには大人びた子供、(にならざるを得ない)シュリィをことさら気に入っていた。


「ふたりともこれから何するの?」


「鬼ごっこにシュリィを誘っていたところ!エイダもやろうよ」


「鬼ごっこ、ね」


呟いてちらりと微妙な顔をするエイダに気付いたシュリィは小さく覚られないように笑みを零した。


エイダの最近のマイブームは、花を摘んで指輪やら首飾りやらを作ることなのだ。

それを誘うつもりでやってきたのだろう。


しかしエイダにはそわそわと既に鬼ごっこの体勢になっているアビーにそれを言うことはできない。

彼女はそういう子供だ。


果たして、やはりエイダはアビーの笑顔に諦めたように微笑を浮かべて頷き返した。


「決まり!」


元気に叫んで、シュリィの手を取りずんずんと歩き出すアビー。


彼女の後ろを付いて行くシュリィの横に並んだエイダに、ちょこちょこと自由になる方の手で手招きすると、気付いたエイダが身を寄せる。


小さいシュリィに自然と屈む姿勢をとってくれるエイダの耳へ、囁くようにシュリィは言った。


「エイダ、おにごっこがおわったら、いっしょにおはなかざりつくってくれる?」


思わずぱちぱちと何度も瞬きをするエイダに、シュリィはにこっと笑ってみせる。


その笑顔を見つめながら、エイダは自分の口元が次第に綻んでいくのがわかった。


シュリィのその言葉がただの偶然ではないことを、エイダは知っている。

根拠はない。理由もない。

ただ、なんとなく、わかる。わかるのだ。


シュリィ、彼女は村のどの子供より一等、飛びぬけて人を慮る心が鋭い。


村のみんなは、シュリィを利発な子、というけれど、エイダにはわかる。


シュリィは、村のみんなが考えているよりずっと、もっともっと聡明で洗練されてる。

誰も気付いていないけど、わたしは知ってる。


それが、エイダには誇らしかった。


自分が四つの時にこの村に生まれた赤ん坊は、その時からもうムク爺の顔を見ても泣き喚くことがなかった子だった。


エイダはその時から人の顔を見るたびににこにこと笑うその赤ちゃんが好きだった。


恐る恐ると差し出した自分の人差し指を、躊躇うことなくきゅっと握ったぷくぷくとした手を未だにちゃんと覚えている。


その子は今ではこんな風に気遣いを見せる。


でもたぶん、この笑顔はあの頃となんにも変わらない。


自分の小さな手よりも更にもっともっと小さな手をきゅっと握ってエイダは繋がれた手を一度大きく振った。



エイダはそんなシュリィが大好きだ。





一際小さな子供を真ん中に、三人の子供が手を繋いで暢気な村の土手を行く。

少し遠くで、既に駆けまわっていた子供たちの楽しくはしゃぐ声がした。


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