2、リーズ村(2)
深緑の色をした瞳が自分を覗き込む。
今日も女性は嬉しそうに頬を緩めて自分を抱き上げる。
野宮朱里は心の内側で嘆息した。
数日を過ごしていい加減、自分も事態を把握した。
どうやら自分は現在赤ん坊の姿をしているらしいこと。
そうしてこの女性の子供であるらしいこと。
彼女や様々な人が何かを話しかけてくれるのだが、その言語が理解できないこと。
それが自分の体が赤ん坊だからなのか、それとも単純に知らない言語だからなのかは判別できない。
ただ周囲の人間を観察するに、ここはヨーロッパ圏内に近い場所であるらしい。
そういう顔立ちをしている人物ばかりが自分の前に現れた。
ここがどこなのかは、わからない。
言葉が理解できないから会話から情報を得ることはできないし、生まれたばかりの赤子だから自由に動き回ることもできなかった。
ただ、自分、と言ってもいいのだろうか、この赤ん坊はちゃんと愛されている。
親が子供に与える、大人が赤子に与える、ごく一般的な愛情を適切に与えられていた。
それは現在進行形で肌に感じている。
それから、自分は野宮朱里である。
もっとわかりやすく言えば、野宮朱里としての意識、思い出、その他諸々がちゃんとこの赤ん坊の体に残っている。あるいは、宿っている。もしくは、この赤ん坊こそが野宮朱里である。
そして野宮朱里は、確かに死んだはずである。
(・・・私はあの時たぶん助からなかったはず。それなのに、生きてる。それも赤ちゃんになって)
彼女は落ち着いて考えてみた。
そういった小説を読んだことがあったから、この言葉に思い至るのは早かった。
転生
そう、輪廻転生、生まれ変わり、野宮朱里はいわば前世であり、この赤ん坊は来世、今となっては現世、になる。
何を間違ったのか自分の魂は前の記憶をそっくりそのままここまで持ってきてしまったのだ。
つまり、野宮朱里は転生した。
・・・なんてこと、
出るのは溜息ばかりである。
野宮朱里が読んだ小説では主人公はまったく異なる世界のどこぞの貴族の子だったりしたのだが、見たところ少なくともこの赤ん坊はそういった類ではないようだ。
貧困に喘いでいるわけではないが、比較的質素な生活をしている。
一般的な慎ましい家庭、と考えて間違いない。と、思う。
生まれたばかりの首も据わらない赤子の生活圏内はひどく狭い。
そのせいで判別し難いが、取りあえず異世界であるかもしれない、という覚悟はしている。
・・・まあ、なんてファンタジー。
ここで再度溜息。
それから、体が赤ん坊であるからだろう。
殊更「生きる」ということに関しての本能はただひたすらに強かった。
例えば空腹だったり排泄だったり、そういった本能は赤ん坊そのままで、その時ばかりは野宮朱里の理性も圧し負ける。
気付けば声を上げて泣きわめくのだ。
はた、と気付いた時には時既に遅し。
恥ずかしさにひとり悶々として、今度はすぐに睡眠の強い引力に引きずり込まれて意識を手放す。
加えて、不思議なことに、新しい「おかあさん」「おとうさん」に、あまり抵抗はわかなかった。
すんなりと入り込むように受け止めた自分にこそ多少困惑したものの、確かにこの人たちは自分の両親だと感じている。
全幅の信頼を心の深いところで寄せていた。
それはこの体が、この一組の男女によってつくられたものであるからだ、と言われてしまえば否定はしないが、なんだかそれだけでもない。
たまたま自分は自分、つまり野宮朱里を引きずってきてしまったが、確かに彼らの子供だ。
魂、という定義が正しいのかわからないが、便宜上ここでは魂、として。
この野宮朱里の魂がここの子供として生まれてくるのは最初から決まっていたことだったのだ。
そんな妙な確信が根付いていた。
胎内にいたときから知っているからそう思うだけなのかもしれないが、だからこそ、自信を持ってそう思う。言ってしまえば、この二人の間に生まれた子供は自分で、偶然前世もくっついてきた。
おかげで野宮朱里は抵抗なくこの両親を受け入れた。
もしかしたら私はこの人たちの本当のお子さんの体を乗っ取ってしまったのではないか、と不安に苛まれることもない。
この点は僥倖であったと言えよう。
ただ、その代わり、自分が野宮朱里であるのも間違いない。
野宮朱里の記憶を知っているわけでも持っているわけでもない。
ちゃんと自分は野宮朱里だ。
確かに、間違いなく、自分は野宮朱里そのものだ。
一度死んで、もう一度生まれてきた野宮朱里。
彼女からしてみれば、トラックに轢かれたと思ったら、次には赤ん坊の姿になっていた。
としか思えない。
我が身に起きていることとはいえ、これは、俄かには信じがたい出来事だ。
彼女は赤ん坊が起きていられるわずかな隙間で度々自分のことを確かめるように反芻した。
野宮朱里
彼女は28歳のごく一般的な女性だった。
日本の地方に生まれ、一般家庭で育った。
父親は地方の中小企業の社員。
母親は専業主婦で時折パートをしていた時期もある。
年の少し離れた兄が一人、昨年社会人になった妹が一人いた。
家は広くもなく小さくもない一軒家で、柴犬を一匹、猫を一匹飼っている家庭だった。
比較的明るい一家ではあったものの、人並みには問題を抱え、喧嘩もし。
時に泣き、時に笑い、家族と友人と知人と共に自分なりに懸命に生きてきた。
小中高と公立へ進み、大学で上京。教育学部に進む。
その後の進路で多少揉めたが、彼女はプロの塾講師兼、家庭教師となることを決意。
大学卒業後、22で就職。
それから6年真面目に働いた。
恋人がいなかったわけではないが、あまり恋愛に積極的な人間でもなかったので仕事に専念するようになってからはその恋愛という響きも久しい。
28歳。
生徒たちは輝かんばかりの10代で、毎年大学を出たばかりの新人は訪れる。
学生の若い力を爛々とさせる彼らを日々相手にしていると自分がまだ若いとはとても思えないし、
かといって30、40になる年上の女性を見ると自分が子供のようで情けなくなる。
朱里の周囲には魅力的な女性が多かった。
彼女たちは一様に努力とそれまでの経験に裏付けられた自信でしっかりと立っているように見えた。
そんな中途半端に思えた28歳。
それでもまあ、それなりに楽しんでいた。
(・・・にしても、享年28、か)
自分で言うのもあれだが、若い。
あれから家族はどうなったのか。
父は、どうしただろう。
母はだいじょうぶだろうか。
ぐるぐるぐるぐると、そればかりが駆け巡る。
(・・・とんだ親不孝者だわ)
申し訳なさで赤ん坊の小さな体がいっぱいになる。
けれど、もう、どうにもしてあげられない。
自分の手は今、こんなに小さい。
(・・・でも、まあ、兄さんがいるし。ひなちゃんもいる)
兄は優しく穏やかな気質だが長男だけあって頼りになる人だ。
大手企業の出世頭で、敏腕を振るっているという。
両親の老後は心配しなくてもいいだろう。
妹はやはり末っ子気質か甘えん坊だが、その分人との距離を自然に近くさせる才覚のある子だった。
野宮家一の明るさで、自分の欠けた家族を照らしてくれるはずだ。
星が瞬き月が灯る、優しい夜の空を見て長男の名前を付け、
朝が訪れる前に世界を包む暁の空を見て長女に名付け、
溌剌と心躍る無垢な高い真昼の空を見て末娘へ名前を与えた。
我が親ながらどこかロマンチックな両親だが、兄と妹に関しては、なかなか的を射た名前だったと思う。
自分が誰かを包めるような人間であるかは甚だ自信がないが、ある日、夜明けの空を眺めながら両親に名前の由来を教えられて以来、朱里は自分の名前を愛するようになった。
濃紺の空が、世界の端からゆるやかに色を染めるのを純粋に綺麗だと感嘆した。
兄の由来を知ってからは兄の名を、
妹が出来てからは妹の名を、心の底から愛するようになった。
寂しい夜には星空を、疲れた時には青空を、思わず見上げるようになった。
途端にごめん、と思う。
ごめん
(兄さんごめん。ひなちゃん、ごめん)
頼ってばかりの妹でごめん
不甲斐ないお姉ちゃんで、ごめん
ごめん、ごめんね
(・・・ごめんなさい)
ぽんぽんぽん、と優しく誰かが自分を撫でる。
寝ていたような起きていたようなぼんやりした状態からその心地よいリズムがより深い眠気を誘う。
愛しさを込めた声が囁く。
「シュリィ」
野宮朱里は転生した。
それからもうひとつ。
もうひとつ、理解した。
わけのわからない言葉の羅列のなかでなんどもなんども繰り返されるその一言。
「シュリィ」
(・・・私の、なまえ)
優しい声がそう呼ぶから、きっとそうなのだろう。
(朱里にシュリィって、どんな偶然だろう)
そのまますぎて笑えないな、と内心苦笑する。
(・・・・・・わらえない)
確かにちゃんと嬉しいのに、素直には喜べない。
複雑な想いが去来する。
胸が詰まって、野宮朱里は小さく瞬きをした。
眦を伝って赤ん坊の滑らかな頬に涙は落ちた。たったひとつ。
あかりさんです。しゅりさんではありません。あしからず。