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16、リーズ村(16)

ふと、子供の顔に過った暗い色にいち早く気付いたのはやはりロイスだった。


彼は戸を丁寧に閉め終わった後、何気なく振り返ってシュリィの姿を視界に認め、彼女の表情が曇る瞬間を見た。


(・・・・・弱ったな)


今日何度目かの溜息をつく。


我ながら、つくづく損な役回りだと思う。


あるいは良心的な人間か、世話を焼くのが上手い人物ならいいのだろう。

しかし、あいにくとロイスは自分がそういう類の人間ではないことを自覚していた。


(こういうのは、団長とか、ライナスとかがいいんだけどね)


どういうわけか、そういう人間に限ってこういうときばかり疎いと相場が決まっている。


現にジークムントもライナスも一切子供の様子には気付いていないようだ。


無理もない。

子供の微妙な表情の変化はほんの一瞬のことだった。


ロイスとてタイミングを外していたら気付かなかったかもしれない。



まさか話を全て理解したわけではないだろう。


しかし利口そうな子供だ。

きっとこの子は大人たちの雰囲気から良くないものを感じ取ったに違いない。


子供は大人が思う以上にそういうことに敏感なのだ。


それを、ロイスは身をもって知っている。


(どうするかな・・・・・・)


彼は空を仰ぐように逡巡し、


数瞬の後に、子供の頭に手を伸ばした。






ぽん、と頭を軽く撫でられる感触にシュリィは顔を上げた。


目が合ったと思ったら、藍色の瞳の男が宥めるように柔らかな笑みを浮かべる。


だいじょうぶだから


そう言われているような気がして、シュリィは反射的に俯いた。


つい暗い表情になってしまったのを見られたのだろうか。

ばつが悪い思いが胸に滲む。


(情けな・・・)


よく知らない人間に気遣わせてしまった


なんとなく落ち込みかけたシュリィはそこであることに思い至ってハッとした。


その勢いのまま頭を上げると、突然顔を自分に向けた子供に戸惑ったのか、男の手が止まる。

驚いたように目を開いた男にシュリィは慌てて取り繕うべくぎこちない笑みを返した。



今撫でてくれている人間が、戦場になるかもしれない所へこれから向かうのだ。


降って湧いたようにその事実に彼女は気付いた。


にわかに、どうしたらいいのかわからなくなる。

いたたまれない気持ちになった。



小競り合い


大人たちの口から飛び出してきたのは、最近聞いたばかりの言葉だった。


しかしどうにも実感が湧かない。



そんなことは起きないだろう。

仮に起こったとしてもきっと大丈夫だろう。



そんな根拠もない妙な自信が根底にあって、焦りや恐怖とはどこか程遠い。


先程、あまりに見慣れない言葉の登場で一時的に困惑はしたが、喉元を過ぎればなんとやら。

今では嘘のように落ち着いてしまった。


不安はある。

常と変わらぬ景色を前に、これが変わってしまうのだろうかと考えるとちょっとだけ不安だ。


だからついさっきも動揺した。

けれど、それこそ天災人災への心境とまるっきり重なるものだった。


事故、火事、落雷、台風、地震、数え上げたらきりがない。


いつ我が身に起きてもおかしくないとわかってはいるが、まさか自分に起こるとは人間、あまり考えないものだ。


例えばテレビでそういう特集を見る。

すると途端に気がかりになるが、2、3日過ぎると日常に紛れて消えていく。



なんとかなるだろう



危機感が薄いと言われればそれまでだが、そんな感覚がどうしても拭えなかった。



(ムク爺や、この人たちは、違うのかな・・・)


そう思うと、わけもなく後ろめたい心持ちになる。


彼らには、自分にはわからない何かがあるのだ。



再び視線を下げたシュリィは、自分の手に草原で取ってきた花があるのに気付いた。


ぎざぎざとした緑の葉に、裏が紫色をした葉を持つ黄色い花。

白い小花が三本、小さな赤いつぼみがいくつもついた葉脈の太い葉。


数種類の草花が手の中で揺れている。


ムク爺の家の机に一度置いていたのを、出て来るときに忘れず手にして来たのだった。








俯いたきり、なにやら自分の手のなかの草花に視線を流しはじめた子供を脇に、ロイスたちは音もなく目を見合わせた。


そろそろ行かなくてはならない。


ロイスは身を屈めて子供の顔を覗きこんだ。


「それじゃあ、お嬢さん。僕らはこれで失礼するよ。・・・元気でね」


最後とばかりに一度頭を軽く撫でてさっと背中を向けた彼らに、咄嗟にシュリィは顔を上げ、口を開いていた。


「まって!」


彼らが足を止め、何事かと振り返る。


シュリィは手の中の草花から三本、白い花を抜き取ってジークムントに歩み寄った。




キューの花。


白い花弁を身に纏う小菊のような小ぶりで地味で可愛らしいこの花には、その姿に似つかわしくない伝説がある。


むかしむかし、あるところにキューという娘がいた。


彼女は取り立てて美人というわけでも一際優れた珍しい才があるわけでもなかったが、気立ての良い街娘で、感心するほど真面目な働き者だった。


なによりたいそう心が優しい。


そんな彼女は慎ましく、質素ながら平穏に日々を暮らしていた。

ところが、それがある日唐突に壊されてしまう。

無残な戦がその手を徐々に伸ばしていたのだ。


人の命が散っていく争いに心を痛めた彼女は、来る日も来る日も、戦がなくなることを心の底から神に祈り続けた。


しかしその願いも虚しく、あっという間に戦火は彼女の街にまで襲い掛かる。

逃げ惑う人ごみのなか、幼い子供たちを庇って息絶えた彼女。


それを目にした花を司る神様は、キューを大層哀れに思い、ある花の種を落としてやった。


じわじわと大地に吸い込まれるキューの流したおびただしい血から、見る見るうちにその赤とは対照的な楚々とした可憐で小さな白い花が咲く。


それはしばらくすると荒廃した街一面に咲き乱れた。



それが、キューの花。




というのが一説で、これには似たり寄ったりな逸話が諸説ある。


魔物に襲われ村人全員が一夜にして全滅し、それを哀れんだ神様がその村一面に花を咲かせた。

その村の名前がキューだった。

といったものから、


旅に出た恋人が戻ってくるのを待っていたが病気で悲しみのなか死んでしまった少女の名だとかいうものまで様々だ。


ただ、一貫しているのは、どれも悲しげというかなんというか。

物事が悲愴な結末を迎え、最後は神様が哀れみ花を咲かせてやるというものだ。


シュリィからしてみれば、花とかいいから、そのまえにちょっとなんとかしてやれなかったのかよ、というところなのだがそこはただの伝説。なにも言うまい。


とにかく、キューの花と呼ばれるこの花にはそういう逸話があるものだから、


「あなたの平穏を祈ります」「困難に傷つけられない」


といった類の花言葉がいつからか付けられた。


そして気付けば旅に出る人や、何かにこれから挑む人へお守りとしてこの花を渡すというひとつの風習ができる。


人々はいつしかキューの花に、無事の願いを託すようになった。



と、これをシュリィに教えたのはムク爺ではなく、母親のリリーだった。


シュリィが公園デビュー、ならぬ土手下の川原デビューをしたときのことだ。


大人の手を借りず村の中とはいえ一人で外へ行き、子供の輪に自分から声をかけて入る、というただそれだけのことなのだが、初めての子を持った母親の心は推して知るべし、一大事だったらしい。


キューの花をわざわざ一輪摘んできて、シュリィの髪に飾ってくれたのを覚えている。


これが普通の子供であったら緊張伴う大仕事だったのだろうが、中身は立派な成人であるシュリィは「頑張って」、と背中を押す声が、どこかひどくくすぐったかった。



伝説と風習ばかりが先立って、あまり知られてはいないがキューの花は切り傷に効く。


(・・・まさかそんなことに使う、なんてことはないだろうけど)


彼らは恐らく優秀な戦士だし、そもそもこんな粗末な応急処置を使わずとももっとちゃんとした治療薬諸々をしっかり常備しているだろう。


しかしこれはなんというか、願掛けいや、心馳せ。そんないいものでもないが、とにかく。

邪魔になるようなら捨ててくれて全く構わない。


ただ、黙って彼らの背中を見送るだけなのは、非常に後味が悪かった。

このひとたちが前線へ行くのだというのがやはりどうにも実感できなくて、シュリィは自らの胸のどこか悶々としたものをどうにかするべくそうした。

だから純粋な心遣いではない。

それは自分でも承知の上。あるいは、なにもしないことを気まずく思う自分への逃げだったのかもしれない。





目の前に立つと、子供の背の低さにつられるようにジークムントが身を屈める。


そんな彼にシュリィはキューの花を三輪、すっと無言で差し出した。

ジークムントの瞳が問いかけるようにシュリィの顔を覗く。


それに応えるつもりでシュリィは小さく微笑んだ。



「ごぶうんを」




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