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15、リーズ村(15)

未知の空気に気圧され密かに怖気づく子供とは対照的に、ジークムントは表情を動かさず「はい」と老人の言葉へ短く是と答えると、更に滔々と言葉を続けた。


「アウフシュタイナー領の私兵に不穏な動きが見られます。私達は警戒のためにこちらへ」


アウフシュタイナー領。

リーズのすぐ傍、あの険しい山脈を隔てた向こうにある隣国の領地だ。


リーズを含め、この周辺の国境の多くはアウフシュタイナー領と隣接している。


国と国との境目であるために、なにかと因縁のある土地だった。



ムク爺は数拍口を閉ざし、しばらくの間を作った後ひそやかに言葉を紡いだ。


「・・・わざわざこの村にまで足を伸ばしていただいたということは、」


彼は問わずとも答えがわかっている様子だった。

しかしそれでも確認を請う老人に、彼の心中を察せられるようで、ジークムントは微かに目を細める。


老人が言わんとした続きを正しく理解した彼は重々しく頷いた。


その表情は心なしか暗い。


彼は数瞬、口を開くのを躊躇った。

言葉にすれば途端にその事態が現実となって迫ってくるような不吉な予感がしたのだ。


大の男、それも剛勇を鳴らす武人が小心なことを、と我ながら思わなくもないが、武人だからこそ、思うところがあるのもまた事実だ。


逡巡した後、老人の横に寄り添うように立っている幼い子供を視界の端に認め、

そして結局、ジークムントは躊躇った言葉を率直に嘘偽りなく口にした。



そうならなければいいと願う。

けれど、この老君の言葉通り、訪れてしまえば避けることはできないのだ。



「遠くないうちに、小競り合いが起こる可能性も考えられます。・・・用心してください」


直前のわずかな躊躇が嘘のようにきっぱりとした声だった。


ただ、小さな間の後に続けられた用心を促す部分が、より深みをもって響く。

無意識の表れだった。

それが、彼が一般人を案じる思いの丈の深さに違いない。


そのことに気付いたロイスが微かに視線だけを動かして、自らの上官の背中を一瞥した。


(・・・・・変わらないな)


そう思う。


この上司は、自分が入団した当初からこういうところは何も変わらない。

そして、


(・・・こっちも)


自分の隣に立つ同僚を見遣る。


ライナスが小さく右の拳を音もなく握り込むところだった。







シュリィはアウフシュタイナー領がなんであるのかを知らない。


大人たちの醸し出す雰囲気に不信感を募らせながら、ムク爺の傍らで、息を潜めて会話が終わるのをただ突っ立って待っていた。


しかし小競り合い、というジークムントの口から出てきたその言葉のところで小さな子供の体はぴくりと身動ぎする。


それまでしっかりと耳を傾けながらも、邪魔することのないよう控えていたが、飛び出してきた単語の物騒さには反射的に反応せざるを得なかった。


(・・・・・小競り合い、)


彼女はそう自分の心中でその言葉をなぞる様に呟く。

そうしなければ、聞き間違いか、あるいは単語の意味を間違っているのだと思えてしまう。


彼女はもう一度だけ小競り合い、という言葉をぼんやりとした心の内で確認した。

俄かに頭がしんと冴え渡るように清んで、宙に浮いた単語を上手く捉えることに成功する。


するとようやく何かがくっきりとしてきた。


頭の中を整理する。知らない単語があるが、話の流れは読み取れる。

そうして大人たちの会話の意味を把握して、シュリィは小さく息を呑んだ。




つまり彼らは、争いが起こるかもしれないと言っているのだ。


それもこの暢気な村の、すぐ、近くで。




唐突に眼前へと晒された明確な不穏に、シュリィは咄嗟にたじろぐことしかできなかった。


考えなかったわけではない。

王室騎士団という仰々しいものがこの辺境へ訪れる理由。


リーズは利便が悪いとはいえ一応国境の村ではあるし、

ムク爺からもその話を聞いたばかりだった。


思いつかないはずがない。

少し考えればすぐにその可能性には気づいた。


けれど、まさかほんとうにそうだとは。



それまでまんじりともしなかったのを忘れてシュリィは頼りなさげにムク爺の顔を仰ぐ。


しかし老人はなにやら考え込んでいるのか、中央からやってきた武人の顔がある方を眺めるばかりで傍らの子供には目を向けない。


彼女はそのままおずおずと顔を下げた。


視界に、揺り椅子の肘掛に添えられた自分の両手と、そこから少し離れた所に置かれた老人の手を見つける。


シュリィは肘掛に置かれたムク爺の片手へ自分の両手をそっと乗せた。

一拍を置いて、しわくしゃの手が緩く握り返してくれる。


言葉や視線で言われるよりも強く、しゃんとしなさいと叱咤されているようで、シュリィは自然と縮こまっていた背筋を伸ばした。



ぎい、と一度だけ静謐にムク爺の揺り椅子が鳴る。


軋んだ音は、今までシュリィが聞いてきたどの揺り椅子が揺れる音よりもずっと鮮烈に耳に残った。


沈黙のなかで、老人は音もなく首をたてに振った。


「・・・確かに、承りました」


老いた人のしわがれた声がこの静寂の中にあってどこか力強い。


対面していた武人は、それに応じるようにただ目礼だけを返した。






ジークムントは多くを語らない。


この古老に、余計な言葉は不要のように思われた。


無用の言葉を並べたてるのはかえって不敬だとさえ感じる。

それよりも、より早く前線へ向かうことが今最優先すべき自らの義務なのだと無言のうちに急かされる気持ちでもあった。


事実、そうなのだろう。

老人の表情は一分の隙も見られず落ち着いている。


(・・・・・大したご老公だ)


ジークムントはふっと目を伏せた。



老者の片手に視線が行く。

年月の刻まれた手の上に、それとは対照的な、幼い手が乗せられていた。


いい村だと思う。


今日は出払っているのか、ここに来るまで誰ともすれ違うことがなかったが、人がいなくともこじんまりとしたこの村の温かさは端々に滲み出るようだった。


子供は老人を慕っているように見えるし、またこの老人も子供を惜しみない心で慈しんでいるはずだ。


老いも若きも一丸となってこの村を支え、あるいは支えられ生きている。


それを思うと一層、時間が惜しまれた。



それから最低限の短い言葉を伝えただけで、急かす心に従うようにジークムントは早々に退出の旨を口にした。


「それでは私たちはこれで失礼いたします」


「このまま砦に向かわれるのですか」


「はい。本隊と合流せねば。・・・後程各村に騎士を派遣します。こちらにも行くと思いますが、そのときはよろしくお願いします」


前線は難しい状況のはずだ。


それでもなんとかこの辺鄙なリーズにも人員を割こうという意気込みを見せてくれる己よりもずいぶんと年若い男にムク爺はひっそりと笑んだ。


「ありがたいことじゃ」









再び扉を押し開こうとしたシュリィの横から、すかさず手を伸ばし滑らかに自然な動作で戸を開けたのはロイスだった。


思わず彼を見上げたシュリィに、ロイスは素知らぬ顔で愛想よく笑う。


そつのない所作だった。




言葉通り早々と引きあげたジークムントたちの見送りに、シュリィはムク爺宅の戸の前に立った。


腰を上げようとしたムク爺にそのままでいるように告げ、一礼後、部屋を出た三人の後を、ムク爺の代わりにせめて見送りくらいはと、シュリィも追って出てきたのである。



家を出ると、普段と寸分変わらない爽やかな風がシュリィの髪を揺らしていった。

いつも通りの安穏とした村の様子に、シュリィの心はぼんやりと重くなる。


先程なされた会話は、確かに彼女の心へ、穏やかではない重苦しい影を落としていた。


ロイスが戸をゆっくりと閉めていく。



僅かな隙間からぎい、と室内で揺り椅子の軋む微かな音がした。








戸の閉まる音に耳を傾け、ムク爺はふっと息を漏らした。


先程まで三人の男と、ひとりの子供がいた部屋には、今、揺り椅子のゆったりとした動きに身を任せるたったひとりの老人しかいない。


仄かに薄暗い部屋に、その揺り椅子の軋む音が響く。


静けさのなかにその音はやたらと大きく鳴り渡り、一層の静寂を引き立てていた。


「さてはて、」


場合によっては差し迫った問題ではなくなるかもしれないが、由々しき事態であることには変わりがない。


今晩には、村長を筆頭に村の中枢に立つ人間たちと話し合わなくてはならないだろう。


その段取りや、これからのことを考えていたムク爺は、きい、という音を立て一度揺り椅子の動きを止めた。



つい先ほどのことを思い起こす。


王室騎士団の男たちが早々に退出しようとしたときのことだ。



身を翻した男たちを前にムク爺はふと呼び止めるようにその言葉を告げていた。



立ち去ろうとした彼らの背中を見ていると、急に脳裏を掠めるものがあった。


妙な予感がした。


根拠も確信もない。

しかし、ただ、予感がしたのだ。


彼らには伝えておくべきことのように思われて、ムク爺はつと口を開いた。


ほんのわずかではあったが、面食らったような表情を浮かべたジークムントの顔を思い出す。


にわかに愉快になってムク爺は小さく「ほっほっほ」という笑い声を零した。


「なかなか、骨のある若造のようじゃったが」


誰に聞かせるでもなくそう呟く。


それから、つい、と木造の、もうだいぶ古めかしい机の上へと目を向けた。


そこにはシュリィが掴み損ねたのか、一輪だけ、白い小さな花がぽつんとそこに転んでいた。

やはりあの子は草原に行っていたらしい。


好奇心の強い子だ。


時にはこちらが驚くほど熱心に知識を求めてくる。

しかし、自分の立場と節度は弁えている。


あまりにも子供らしくない子供。


あの子の未来を、見てみたいものだ。

そう思う。


あの子の未来だけではない。

欲を言えば、村のどの子の未来も、この目で見てみたい。


ムク爺からするば、村にいるどんな大人も子供も、かわいい我が子、我が孫のようなものだった。


しかしこればかりは天の定めに遵わざるを得ないのだろう。


「神は、いつまでお許し下さるか・・・」


彼の顔には凪いだ海のような微笑が浮かんでいた。



ぎい、きい、と再び揺り椅子が落ち着いたリズムで音を鳴らした。



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