14、リーズ村(14)
きい、きい、と聞き慣れた揺り椅子の音が、薄暗い部屋の奥からした。
「ムクじい?」
もう一度、扉の外から声を投げる。
と、これまた耳に馴染んだしわがれた声が響いた。
ほっほ、と笑う音と共にムク爺の声がシュリィに届く。
「シュリィの声じゃの。また来たか。・・・おかしいのう。おまえのことじゃ。今頃リリーの目を盗んで一人で村の外の草原まで行ったと思っていたのじゃがの」
わしも耄碌したかのう
と笑う老人に、逐一見抜かれていたシュリィはばつが悪くて、こほん、とわざとらしく咳をひとつする。
すました声を陰る部屋へ投げた。
「ムクじい、おきゃくさま」
「・・・お客とな?」
訝しむムク爺の声を追いかけるようにきい、と彼の揺り椅子がまた鳴った。
まだまだ元気そうであるとはいえ、それでもかなりの高齢だ。
立ったり座ったりを繰り返すのはやはり億劫なのだろう。
ムク爺は普段から村民の者が訪れても、あまり椅子から立ち上がらない。
戸口まで迎えに来るようなこともめったになかった。
揺り椅子がある部屋の奥深くからは、シュリィの後ろに立つ三人の男は見れないだろう。
「おうしつきしだんのかた。おへやにごあんないしても?」
「・・・ええ、お連れしなさい」
やにわに静かになったムク爺のしわくしゃの声。
つられるようにシュリィも僅かな緊張を覚える。
すっと姿勢を正して振り返り、そこに並ぶ三人へ、示すように片手を部屋に伸ばして促した。
「どうぞ、なかへ」
ムク爺の家は広くはないが、何かあると村民が訪れるのだ、狭くもない。
そしてその静けさからか、それとも部屋の仄かな暗さのせいなのか、外から入ると一瞬ほんの少しだけひんやりとする。
その中にシュリィに従い大人しく足を踏み入れながら、ライナスはどこか怪訝な表情でシュリィの顔を覗いた。
「ムク爺、というのは?」
彼らの疑念はわかる。
村長といえば、こちらでは大抵の場合働き盛りの男である。
彼らは村を統率する長に会いに来たのだから、部屋から聞こえてきた老人の声を不思議に思って当然だ。
(・・・でも、私が説明するよりムク爺に会った方が早いわよね)
シュリィは何も答えずにただ三人へにっこりと笑んでみせた。
やはりムク爺は部屋の奥にある揺り椅子にいた。
このような格好で申し訳ない、と椅子に腰かけたまま断るムク爺に、ジークムントがいえ、と軽く手を上げて押し止める。
当の老人を前に、しかし三人は先程シュリィを前に思わず浮かべた疑問符をちらりとも見せなかった。
訪れた側の人間として好ましい態度でムク爺の前に立っている。
先程のライナスのわかりやすい顔を見たばかりであったから、その隙のない姿に、たいしたものだ、とシュリィはひとりでに感心した。
真っ先に口を開いたのは、やはり三人の中で一番立場が高いジークムントだった。
自分が周囲にどう見られているかを誤ることなく知っていた彼は、子供を怯えさせるのを躊躇って今まで口を開かなかったが、ここを訪れた目的を前に、淀みのない語り口で述べた。
「王室騎士団第二師団師団長、ジークムント=バウムガルテンと申します。王命で国境へ訪れました。然る件についてお耳に入れたいことがあり、この村の統率者の下へと・・・彼女に案内を頼みました」
騎士、それも師団長である彼の身分は平民よりももちろん高い。
本来、尊大な態度であっても咎められはしないのだ。一平民に敬語を使わなくても問題はない。
しかし、自分よりも遥かに年を重ねているであろう老人を前に、ジークムントは敢えて丁寧な言葉遣いを心掛けた。
彼女に、と言われた所でシュリィは微かに身動ぎをした。
なんとなく背筋を伸ばして体の前に手を揃える。
一緒に部屋まで入ってしまった手前、失礼にならないよう自然に外へ出るタイミングを彼女は見計らっていた。
話が気にならないかと言えばもちろん気になるのだが、子供が出しゃばれはしないだろう。
傍目にわかるような素振りはしないがどこか居心地悪げな様子の子供に、ムク爺はふと視線をやって、相好を柔らかくした。
馴染み深い笑みにシュリィの体からふと力が抜ける。
「そうでしたか。遠路お疲れでしょう、このような辺鄙な村までお気遣い頂き有り難いことじゃ。・・・いきなりこんな老いぼれが出て驚いたでしょうが、生憎、長を務める者は今村を空けております。私はこのリーズで長老なんぞと呼ばれ、相談役紛いのことをしております故、この子は私の所へお連れしたのでしょう」
「なるほど」
ジークムントが相槌を打つ。
ムク爺は少し離れた所に立っているシュリィへと顔を向けた。
「ご苦労じゃったの」
途端に彼女の顔にほっとした色が浮かぶ。
(よしきたっ。いまだ)
ムク爺の労いに、ううん、と首を振って、シュリィはようやく退出の糸口を見つけられたことにここぞとばかりに胸を撫で下ろした。
「それじゃあ、ムクじい、わたしかえるね」
と、当然彼女はその糸口にしがみつくように退室を告げる。
が。
「よいよい。おまえも居りなさい」
ムク爺はやんわりといつもの笑みでそう言った。
シュリィの耳には糸がちょっきんと切れる軽快な音が聞こえた。
想定外の許可に、シュリィが目を見開いて固まる。
ムク爺の言葉に動揺したのは、彼女だけではなかった。
「しかし、」
ジークムントが渋る。
話自体は別に隠さなければならないものでもない。
彼が躊躇ったのは、子供に聞かれることだった。
これから話す内容は、正直、幼い子供に聞かせて心地のいいものではない。
子供を案じる彼に、ムク爺は緩やかに首を横へ振った。
「なに、この年の子には難しいことはわからんよ 」
「ですが」
「どちらにせよ、隠しおおせはしまい。遅かれ早かれ、覚悟をせねば」
なおも言い募ろうとした男を、遮るように老人の静謐な声が響き渡る。
ジークムントは言葉を詰まらせるように口を閉じた。
それがこの老人の姿勢で、村の方針であるのなら、自分が割って入れることではない。
ジークムントが何も言わなくなったのを見て、本当にここにいて話を聞くことを許されたのだと悟ったシュリィは、どうしたらいいのかときょろきょろ視線を彷徨わせた。
(・・・・・本当に居てもいいの?)
話に興味はある。
ジークムントがこれ以上何も言わないということは、聞いてはいけない話というわけでもないのだろう。
しかし、ジークムントを筆頭に彼ら、三人の騎士たちはどうも自分には聞いてほしくないようだ。
あるいは、話の流れを読むに、自分のために言ってくれているのかもしれない。
だとしたら、彼らの気遣いを蹴ってしまっていいのだろうか。
彷徨わせた視線の先で、ライナスの瞳とかち合った。
ほんのわずかな赤味を馴染ませる茶色の目が、気遣わしげな色をちらつかせる。
彼らのそれを無下にするのも怯まれる。
判断しかねるシュリィのあわあわとした目線は、しばらく部屋を彷徨い歩き、慣れ親しんだ老人のもとへ辿りついて足を止めた。
どこにあるのだかさっぱりな目となぜだかぴったり合ったように思えてシュリィはじっとムク爺を見つめる。
ムク爺は、いつものように穏やかに笑って、こくりと頷いた。
・・・それだけでいい。
シュリィは途端にすっと落ち着いて、とことことムク爺の傍へと歩み寄る。
今は揺れていない揺り椅子の肘掛に両手を軽くかけた。
顔を上げると、ジークムントがこちらを見ているのに気づく。
それに応えるように微笑むと、彼は意外そうに少し目を見開いた。
自分ひとりで来るときは寂しくなるほど広く思えるムク爺の家だが、大の男が三人立っていると、やはりどこか圧迫される。
わかりました、とジークムントはひとつ頷いて話を続けた。
「お察しのようですが・・・」
そこでわずかに口調を淀ませた彼に、ムク爺が後を引き取るようにするりと声を出す。
「イズ=トゥーロ、ですね」
シュリィには記憶に新しい単語だった。
考えずとも素直にその単語の意味が思い出される。
イズ=トゥーロ皇国。
このリーズ村に山を隔てて隣接する国。
ここ、セレナティエ王国の隣国。
そこまでなぞるように頭の隅から引き出して、シュリィは身を強張らせた。
イズ=トゥーロ
その名が出た途端に、立っている騎士たちの気配が一様に変わる。
それを肌で感じ取ったシュリィは小さく息を詰めた。
(ムク爺のときと同じ・・・)
そう、あの時とよく似ている。
静かなこの家が、さらにしんと冴え渡るような空気。
あからさまではなくとも、ひっそりと彼らの神経が澄まされているのがシュリィにもわかる。
未だかつて感じたことのない感覚に、今度こそはっきりと圧迫されて、彼女の肌は粟立った。
ぱっと脳裏にあの時のムク爺の表情と声が甦る。
――――― 幾度となく剣を
(・・・剣を、交えてきた国)
じっとりと、肘掛にかけた手の平に汗が滲む。
騎士たちも、ムク爺も、シュリィの知らない何かを胸に潜めているようだった。
あの時と同じように部屋が威圧してくるようだ。
部屋が押し迫ってくる。
そう錯覚するほどに、大人たちの胸に根付いているものはシュリィには理解しがたい強大なもののように思えた。
ある種、切迫したそれに、シュリィは気付かれないように身震いする。
イズ=トゥーロ
セレナティエが幾度となく剣を交えてきた国
その言葉の深淵を、ほんの微かに触れたような気がした。
閲覧ありがとうございます。はしおです。
誤字、脱字ありましたらご指摘お願いいたします。
感想をくださった方、返信を書かせていただきましたので
よろしかったら御一読ください。