13、リーズ村(13)
村の中ほどまで行くと、その先は道が狭くなるので馬を置いていくことになる。
ひらりと身軽に下りたきり、馬をどこにも繋がない彼らを見てシュリィは首を傾げた。
「つながないのですか?」
「この子たちはとびきりお利口さんだからね」
一人にしても逃げたりしないんだよ、とロイスが笑って答える。
どこかいたずらをする子供めいたその笑顔に、シュリィは訝しげにもう一度首を捻った。
それを見てロイスは真相を話してやることにする。
「この子たちはね、馬じゃないんだよ」
「うまじゃない?」
「馬に姿はそっくりだけどね、普通の馬じゃない。騎獣と言うんだ。」
知ってるかな?
と尋ねてくるロイスの言葉に答えるのも忘れてシュリィは思わずその名を叫んだ。
「きじゅう!」
子供の高い声が長閑な村に響く。
どこか暢気な気分にさせるそれに、ロイスはくすくすと笑った。
声を上げた当人である子供はそれには意に介さず、まじまじと先程まで自分が身を預けていた馬、否、騎獣を見上げる。
子供の小ささと、騎獣の背の高さが相まって、首が転げ落ちそうな角度で傾いている。
それが尚更おかしくて、ロイスは更にくすくすと機嫌よく笑い続けた。
首の痛みにも気づかないで、シュリィはじっと馬のように見える動物を興奮のままに凝視する。
騎獣がわずかに首を動かす。
一心に見つめてくる子供を一瞥したようだった。
騎獣
今では前世にあたる人生で過ごした地球には存在しなかった生き物だ。
普通の動物とは違う。
それぞれ種類と個体で差はあるが、高度な知能と特化した能力を持つ、魔獣に属する生き物。
魔獣の眷属でありながら、人を乗せ闘う獣を特に騎獣と呼ぶ。
あからさまなファンタジーの要素に、この話を初めて教えてもらった時、シュリィは意気揚々と目を輝かせた。
舌足らずな発音で「しゅてき!」と叫びながら飛び跳ねるように立ち上がり、父親を驚かせた程度には興味を持った。
もともと動物が好きな質でもある。
出来るものなら会ってみたい。
なにせ、知能の高いものは人の言語も喋ると言う。
ふさふさのもふもふから理解できる言葉が話されるのだ。見たい。会話ができたらなおいい。
ファンタジーな世界に転生したのだ。
せっかくだからこの目で一目見てみたい。
無論、シュリィはそう思った。
しかし騎獣はそう滅多にお目にかかれるものではない。
魔獣と一括りにしても、ただ本能のままに貪り暴れつくす魔物とは違い、騎獣は総じて気位が高い。
簡単に人には懐かないし、保有する力も強いから易々とは屈しない。
そんな騎獣を操れる人間は少ない。
だからこそ、騎獣は希少であるのだった。
爛々と瞳を輝かせて見上げてくる子供の熱い視線に、馬によく似た姿の騎獣はぴくりと素早く二度耳を震わせ、かすかにたじろぐように足を動かした。
固い音が土を叩く。
その音に、はっとシュリィは我に返った。
急激なテンションの上がり方につい忘れかけていたが、自分は日本できちんと成人を迎えた人間である。
それが振りでもなんでもなく、素直に本心からはしゃいでしまった。
「きじゅう!」と叫んだ時は諸手を上げる勢いだったのを思い出す。
これではあまりにも幼い。
(いくら幼児姿だからって・・・ふ、不覚っ)
学生時代の友人と会って、懐かしさついでに浮かれた挙句、学生気分で羽目を外しすぎたのを後から別の知人に見られていたと知った時のような気分だ。
要するに、年甲斐もなく、恥ずかしい。
熱を帯びかけたかと思われた彼女の頬は、しかしすぐにさっと上がりかけた血の気が下がる。
冷静になったついでに思い至った事実に、今度はいささか冷たすぎる不安が彼女の心を上滑りした。
希少な騎獣。
それをなんともないように従えている人間。
いよいよ彼らが王室騎士団の人間であるというのが真実味を帯びてくる。
騎士団なんて、辺鄙な田舎にはあまり関係がない。
詳しく聞いたこともないから、シュリィには王室騎士団なるものがどういったものなのかはわからないが、言葉の響きから大まかに見当はつく。
なにせ、王室騎士団だ。
その名の通り、王家直属の有能な騎士たちが集っているのだろう。
(・・・そんな人間が、どうして)
突然俯いた子供を、ロイスたちははしゃぎすぎたのを恥じているのだと解釈した。
あながち外れてもいない。
騎獣に乗せたときと同じ微笑ましい気持ちで、ロイスは優しく声をかけた。
「騎獣を見るのは初めて?」
和やかに降ってきた声。
シュリィの体がぴくりと揺れた。
ロイスの声を耳にしたおかげで、危うく思考の海に漂いかけたシュリィは即の所で彼らの存在を思い出した。
下を向いていた視界に、己の両足が入り込む。
その頼りなさに、シュリィは音もなく息を吐き出した。
今ここでいくら自分が考えようとも仕方がない。
今は、彼らを長老の所へ連れて行くしか自分にはできないのである。
ふと目を伏せたあと、
あえて勢いをつけ顔を上げて、シュリィはロイスの言葉に頷いた。
「はい。なんというしゅぞくなんですか?」
「天馬だよ」
(・・・てんま?)
咄嗟に言葉を飲み込めなくて戸惑う。
てんま、てんま、と繰り返して、日本で聞いたものが閃いた。
その優美な姿とは裏腹に、いささか不穏な逸話を持つギリシア神話に登場する伝説の生き物。
馬の背に、大きな鳥の翼を羽ばたかせる姿。
ファンタジーの定番。
俄かにシュリィは興奮を思い出してその気持ちのままに声を上げた。
「ペガサスですか!?・・・あれ、でもつばさがありませんよ?」
きらきらと目を輝かせて見上げてくる子供に、ロイスはぱちぱちと目をしばたたかせて、こくりと頷く。
「ああ・・・そっか。確かにペガサスも天馬と呼ばれるね。ペガサスはその翼で天を飛ぶから天馬だけど、この子たちは少し違うんだよ」
「ちがう?」
首を傾けてロイスの言葉を繰り返した彼女に、どこかシニカルな笑みがロイスの口元に浮かぶ。
「荒野を疾駆し、天高く跳躍する。・・・びっくりするくらい高く跳んで並の馬よりもあんまり速すぎるから、まるで天を駆けるようだ、と謳われたから天馬。そうだね、他にも疾馬とも一矢馬とも言われるよ」
馬と区別がし難い容姿をしていながら、その気性は戦と共にある。
そう公言されるほど、翼のない天馬は戦場に好まれる。
爆音も殺気も血の匂いにも躊躇わず、死体の上をそれこそ風のように駆け、遮るものがあれば飛び跳ねるか、時にはそのまま薙ぎ払う。
むしろ戦いを好むように自ら死屍累々の中を行くその気性と姿から、戦場の闘馬との異名を勝ち得たいささか逞しすぎる騎獣だ。
そもそも、騎獣の多くは血の気が多い。
見境なく暴れ尽くす魔物と比べられると忘れがちだが、騎獣は確かに魔獣であり、その本質は獰猛だ。
決して優しくなどはない。
だからこそ、騎獣に乗る人間は騎士や兵士が多いのだ。
ということはもちろんおくびにも出さず、ロイスは笑顔のままに子供の頭を軽く撫でた。
「それにしても、よくペガサスを知っていたね。きみは博識だな」
褒められた子供は途端に照れたようにはにかむ。
「・・・ムクじいがおしえてくれるので」
「ムク爺?」
それまで黙ってロイスとシュリィの会話を聞いていたライナスが突然現れた人名に声を挿んだ。
シュリィは彼を振り返ってにっこりと笑う。
「すぐにわかります」
ここからしばらく行けば、草の茂る地面に、人が通る度に踏み倒して自然に出来たような、地肌が細く見えるばかりの道がある。
その道をずっと行けば、静かな空間にぽつんとした家が構えているのだ。
シュリィの目には、もうムク爺の家が見えていた。
森の茂みに囲まれるようにぽつねんとそこにある家。
ムク爺の家の前に着くや、シュリィはライナスに下してくれるよう頼んだ。
ライナスは殊更丁寧に地面へ子供を下す。
地面に足が着くとシュリィは少し背伸びをするように姿勢を正して、それから家の戸の正面に立ち片手を持ち上げた。
扉を叩くとき、いつもよりわずかにぎこちなく、力がこもるのが自分でもわかる。
トントン、という音が閑散とした中に響いた。
少し踏ん張って体全体を使うようにして取っ手を引くと、ぎい、と聞きなれた錆びついた音を出しながら扉は開く。
小さな子供が危うげに戸口を開くのを、慌ててロイスが扉の上の方を片手で支える。
途端、扉が軽くなって、シュリィは取っ手に手をぶら下げたまま顔だけをひょっこりと扉の向こうへ覗かせた。
少し薄暗い室内に声を投げる。
子供の無垢な声が薄暗い室内へどこか場違いに響いた。
「ムクじいー。はいるよー」