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10、リーズ村(10)

男たちが通り過ぎるまで身を潜めていようと小さくなっていたシュリィは困惑した。


というのも、男たちが彼女のいる少し手前で馬を止めたからだ。


それから動く様子もない。

さわさわ、と身近な草が風に揺れる。


思わず息を詰めたシュリィに、今度は、柔らかな明るい声が降ってきた。


「そこにいるのはどなたかな?」


びくりと驚きで一度、しゃがみこんだ小さな体が震える。


(・・・!どうして?)


隠れているせいでこちら側からも男たちがよく見えないが、この声の持ち主はまず間違いなくあの馬に乗ってきた三人の男たちの誰かだろう。


まんじりともせずにいた自分に、どうして彼らは気付いたのだろう。


目を大きく見開いて、しゃがんだままシュリィは丸まった体を更に硬くした。


彼らは誰だろう

何故村へ行くのだろう

どうして自分に気付いたのだろう


いくつかの疑問が頭を過る。


しかし、迷ったのは一瞬のことだった。


面倒事に巻き込まれたくはなくて思わずやり過ごそうとしてしまったが、彼らは村へ行くのだ。

小さい村だ。

何かあればどちらにせよ遅かれ早かれ何らかの形で自分にも波及するだろう。


(・・・第一、なにかやましいことがあって隠れたわけでもないし)


うん。


と腹をくくり、シュリィは大人しく立ち上がって姿を晒した。



一気に視界が開ける。

草の間から青く伸びる空が見えた。


村へと続く舗装されていない、見慣れた広くない砂利道の方へ体を向けると男たちの姿がはっきり見えた。


自分の数歩先に男が立っている。


三才児の姿では見上げるしかないのだが、それでも村の人間と比べるに背が高い方だとわかる。


すらっとした肢体の男だ。

しかし腰には細身の剣を携えている。


村の男たちが持つ剣とは違う。

戦うための剣であろうことは、満足な知識のないシュリィにもなんとなく察せられる。


初めて間近に見たそれに、無意識にシュリィの体は強張った。


野宮朱里の28年間でももちろん、そんなものにお目にかかったことはない。


銃刀法違反、という言葉が空しく頭に響く。

日本の景色が脳裏を掠った。


職場へ向かう道のりがぼんやりと思い出される。


アスファルトの舗道にくたびれた道路標識

一定間隔で並ぶ電信柱とこの世界の夜空よりもずっと心許ない星空


視界が揺れる様な気がして、シュリィは慌てて男の顔を見上げた。


ぐい、と勢いを付けて仰いだ先にある二つの目と視線がぶつかる。


そこに整った顔立ちを認めて、彼女は咄嗟にぱちぱちと瞬きを繰り返した。




光の加減によっては金に見えなくもない薄い茶色の髪。

毛先が顎の辺りほどで踊っている。


男にしては色白で、どちらかと言えば線が細い。

深い藍色の瞳がシュリィをまっすぐに見ていた。


「おっと。これは・・・かわいらしいお嬢さんか」


そう言って、すぐに彼は物柔らかな笑みを顔に乗せた。


なにも言わずにじっと見上げてくる子供になにを思ったのか


「怖がらせちゃったかな。ごめんね。」


とその笑顔のままどこか困ったような表情を浮かべて謝罪する。


一見、穏やかで友好的な雰囲気を、前面へ押し出すように纏っている男だ。

普通の子供なら懐くのも早いかもしれない。


しかし、シュリィには28年分の積み重ねがあった。

安易に信用する無邪気さはそれこそアスファルトの向こう側へ置いてきてしまっている。


観察と称していわゆる美形に間違いなく分類されるだろう彼の顔を思う存分目の保養にしていたおかげで、彼女は男の目に一瞬走ったものを見逃すことがなかった。


母の深緑の目にもどこか似た深い色を宿す瞳は、しかし母の温かなそれとは比べるまでもない。

冴え冴えと冷静そのものが響き渡る藍色は、奥深くに何かがキラリと存在していた。


それが警戒なのか獰猛なのか、もっと別のものなのかはわからない。


読心術を心得ているわけでもないから、見ただけで人が何を考えているのかなどはわかるはずもないが、けれど目なり所作なり、必ずどこかから、何がしか、漏れるものである。


社交辞令かそうでないかを察知するのが仕事のひとつでもある社会人であれば、本心か否か程度の判断くらいなら何となくではあるけれど察せられる。


空気を読むという言葉が存在する日本で28年女として生き、人の勉強を手伝うという客商売をしてきたのだ。

ある程度は雰囲気でわかるものである。


この男の本質が、見た目ほど友好的なものであるとは限らない、というのを咄嗟に察することができるようにしてくれた自分の日本での経験に思わずシュリィは感謝した。


自分の平穏な今後のためにおいそれと近寄っていい人物かそうでないかの判断ができる。

村にこういうタイプの人間はいない。


シュリィは無意識に数歩男から離れるように後退した。


と、



「リーズの子か」



唐突に新しい声がした。




渋く、深みのある声。


あと二人のことをすっかり失念していたシュリィは弾かれるようにその声の出所へ顔を向ける。


所々草の生える土が剥き出した道の上に残りの二人はいた。


一人は馬からちょうど下りるところのようで、もう一人は逆に下りる気配もない。

堂々と馬に乗ったまま、じっとこちらを見ている姿を、シュリィもまた眺めていると馬上のその人と目が

合った。


どうやら先程の声はこちらの人物らしい。


黒の入り混じる灰色の双眸と目線が重なる。

人を寄せ付けないような厳しく眼光鋭いその瞳は、けれどその反面どこか穏やかそうにも見えた。


ふと思う。


あの目は、野宮朱里が勤めていた塾の、塾長の目に似ている。


もうずいぶんお年を召したおじいちゃん先生だったが、まだまだ現役の、厳格で有名な腕が確かなカリスマ先生だった。


その人物が恐らくこの三人の中でもっとも年上だろう。

シュリィの目から見て三十半ばか後半といったところだ。


その人物を注視していると、ふと視界の隅が陰った。

顔を上げると、先程馬から下りていた男がいつの間にかシュリィのすぐ傍まで来ている。


再度シュリィの体は身構えるように硬直した。


(・・・気付かなかった)


こんなに近くに寄られるまで気付かなかった。


大きく目を瞠ってまじまじと見上げる。

先程の問いに答えていいのかわからなくて口を閉ざしたままでいるシュリィに、怖がっていると勘違いしたのか、その男はしゃがみ込んで彼女と目を合わせてきた。


「やだな、そんな怖い顔するから怯えちゃってるじゃないですか。」


「悪かったな。地顔だ。」


藍色の瞳の男が馬上の男を振り返って投げた軽口に、投げやりに返される言葉の応酬が耳に入る。


片膝をついているシュリィの目の前の男はそれに呆れたように小さく溜息を吐いて、まさしく子供に語りかける満点の口調で彼女に声をかけた。


「リーズ村の子、かな?俺たちリーズの村長に会いに来たんだけど・・・」


これまた整った顔立ちの男を前にシュリィは閉口した。


28歳。確かに恋愛に積極的ではなかったが、ちゃんと一端の女である。

造形の美しいものに思わず目を引かれるのはある程度仕方がない。


シュリィはじっと男の顔を凝視した。


(・・・イケメンだ。なんなのこの人たち。こんなのばっかなの、ここ)


だとしたらごくごく平凡な顔をした自分の位置づけはどうなるのだろう。恐ろしい。


思わず身震いしたシュリィに、目の前の男が困ったように眉尻を下げる。

その表情は全くの無害そうな人間の顔で、シュリィは咄嗟にごめんなさいと謝りたくなった。


年の頃は先程の藍色の男と同じくらい。二十代だろう。

藍色の男より幾分体格がいいが、筋肉隆々というわけではない。

なにしろその藍色の男自身が男臭くない容姿である。


しかしやはり腰には剣を佩いている。

先程の男よりも重みのありそうな太さの剣だった。



黒い髪に、ほんの少しだけ薄く赤味の滲んだ茶色い瞳。

今まで会った誰よりも、慣れ親しんだ日本人の色に近い。


きゅっと、胸の奥が痛んだ。


(このままだんまりも失礼よね・・・)


一度目を伏せると、シュリィは顔を上げて、正面にある顔をじっと見つめ返してなるべく子供らしく見える仕種で小首を傾げてみせた。



「おにいさんたち、だあれ?」


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