1、リーズ村(1)
作者の趣味、緩行展開、各駅停車、鈍行更新、見切り発車、「はいテンプレテンプレ」。おk?
野宮朱里の最後は交通事故だった。
それも、正真正銘不幸な事故だった。
軽トラックを運転していた中年男性が何の前触れもなく心筋梗塞を起こす。
制御を失ったトラックは、人通りの少ない昼間の舗道を歩いていた野宮朱里に激突した。
致死的不整脈を起こした男性は心停止状態に陥り車内で既に死亡しており、
住宅街のコンクリートで造られた頑強な壁と、もともとの重量に加速が伴い威力が増したトラックに挟まれた野宮朱里に至っては、言うまでもなく即死であった。
野宮朱里自身、それをちゃんと理解している。
最後にフロントガラス越しにちらりと見えたトラックの運転手の様子は明らかにそうだとわかるものだった。
近づくトラックを前に妙な冷静さで、
あ、これはだめだな、
と思った。
噂に聞く走馬灯というものも姿を現してくれないほど、あっという間のできごとだった。
ただ。思い返すに、周囲に自分以外の人間はいなかったし、あそこは車通りも少ない。
何より壁にどすんと一発だったから、恐らくあれからトラックが暴走して更なる被害者が、なんてことはたぶんないだろうから、
まあ、うん。よかったよかった。
それだけは不幸中の幸いである。
ぶつけられた壁の所有者である人物が多少気の毒ではあるが。
・・・従って。
人間界に紛れ込んだ天使やら神様やらを庇って死んだわけではないし、人間や動物の誰それを助けようとして奮起し、自ら足を踏み出したわけでもないから徳の積める死に方でもない。
加えて死んだあとにどこか不思議な亜空間を訪れて、なにやら厳かな存在と話したわけでもないから、世界を救ってくれと誰かの理由で殺されたわけでも、何かの間違いでぽっくり死ぬ破目に陥ったわけでもないから、恐らく、多分。
あれが自分の自然な人生の終わり方だったのだろう。
というのが野宮朱里の見解だった。
今まで特に大きな悪いことをしたわけでもなく、探せばよく似た生き方をしている人がすぐ見つかるような人生を送ってきたことを考えれば、この死に方は多少理不尽な気もしたが、なんといっても終わってしまったことだ。
誰のせいでもないからぶつける相手もいないのに、悶々としたものを抱え続けるのも辛い。
通常の精神を自負している野宮朱里は、だから早々にそういう不満は逃げるように投げ捨てた。
が、しかし。
問題は死んだはずの彼女が、何故そんなことを現在進行形で考えられているのか、という。
そう、この事実である。
「シュリィ」
汗に塗れて疲れ切った顔で、その女性はとても柔らかに微笑んだ。
あ、これはだめだな
そう思った次の瞬間、野宮朱里は暗闇のなかにいた。
そしてすぐにそれが、自分が目を閉じているからなのだと気付いた。
肌に触れる何かがひどく温かい。
こぽこぽと水の音がする。
その向こうで更に別の音がする。
それは、もっと、なんというか、安心できる音色をしている。
その音に耳を傾けて、どれくらいの時間が経っただろう。
長かったし、短かったかもしれない。
激痛は唐突にやってきた。
身がよじ切れるような苦痛が全身を駆け巡る。
苦しい、苦しい、苦しい
ただひたすらそれしか考えられない、我が身に訪れる空白の時間。
そうして刹那、視界が反転した。
それはとてつもなく眩しくて、野宮朱里は咄嗟にそれが眩しいのだと認識することもできなかった。
一面は白に染まり、目がちかちかとする。
慣れてくるのに従って、ようやく周囲がぼんやりと判別できるようになる。
きらきら、きらきら、
星の瞬きのように視界の向こうは煌めきを放つ。
きれいだ、
なんてなんて、きれいなんだろう
野宮朱里の瞳は輝いた。
体が呼吸をしようと口を開き、上手くいかずに咽てしまう。
それに驚いていると勝手に嗚咽が漏れた。
かなしいような、うれしいような
悲嘆も歓喜も胸の底から湧き上がる。
それは手足へ、指へ、爪の先まで溢れて神経の先端からぽたりと零れ落ちるように染み渡る。
きらきら、きらきら
胸がいっぱいになって、野宮朱里は泣いた。
声を上げて泣いた。
耳をつんざくようなその音が自分の泣く声だと気付いても構わずに泣いた。
それが、彼女の誕生であった。
ひとしきり涙を零し終えると、徐々に冷静になってくる。
年甲斐もなく泣いてしまったことを恥じる気持ちが湧き上がってきて野宮朱里はなんとも言えない気分になった。
そうしてようやく自分の体を温かく包んでいる人の腕に気付いた。
不思議に思って目線を上げると間近に二つの瞳とぶつかる。
穏やかで密やかな、深い深い森の緑の瞳。
そんな色の瞳を、こんな距離で見つめたことはない。
咄嗟に硬直した野宮朱里に、その瞳の持ち主はふんわりとした笑みを浮かべた。
当然のことながら知らない顔である。
明らかに日本人の造りではないが、とびっきりの美人というわけでもない。
恐らく凡庸であるが優しげな面差しをしたその女性はなにごとか野宮朱里には聞き取れない言語で語りかけてきた。
どこかその顔は疲労を表しているようにも見える。
そうして彼女は野宮朱里の頬を撫でると、愛おしそうに、伝えるように、刻み込むように囁く。
「シュリィ」
野宮朱里にしてみれば初対面であるはずのその女性は、それはとても柔らかに、その深緑の瞳を潤ませて微笑んだ。
はしお わたるです。
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