07
「お、チナツちゃん今日は早いな」
「コウタさん! お疲れ様です」
「お疲れ。妹ちゃんたちは?」
「まだですね、そろそろ来るんでは?」
元カレとの遭遇からしばらく。コウタさんの助言に従って、私はほぼいつものバーか、コウタさんに紹介してもらった店だけに通っている。安心感が違うので。そうこうしている内にコウタさんとは完全に打ち解けつつあって、アヤネやユナも、私とコウタさんがセットで飲んでいても何も言わなくなってきた。初めの頃は、何故だかすごい反対されたけれども。
「は? なんでちなっさん、そんな人と飲んでるんですか?」
「……ん?」
あれはいつだったかの金曜日。残業がほぼなくて、早い時間からバーに行くと、ちょうどコウタさんと店の前でばったり出くわした。そのまま二人で連れ立って店に入り、流れでカウンターで一緒に飲んでいた時のこと。
不意に呼ばれて振り返れば、フルフルと震えながら眉を吊り上げるユナと、ユナの言葉に同意するかのように頷いてみせるアヤネがいた。はて? と小首を傾げていると、隣からくつくつと喉の奥で笑う声がする。
「よお、女子大生ちゃんとショートヘアちゃん」
「私たち一回は名乗ってますよね? 覚える気がない? 普通に失礼では?」
「……えー…?」
ニヤニヤ。人をからかう悪い笑顔で、敢えてなのか何なのか、コウタさんはわざと二人を名前で呼ばない。飲んだことはあると言っていたから、二人なら名乗っているだろうに。そう思っていれば、今度はアヤネが煽り感満載でコウタさんに相対する。もしかして、二人とコウタさん仲悪い? あらーと今更知った事実に遠い目をする。
「コウタさん、二人の名前…」
「……うろ覚え」
「あーなるほど…?」
つん、と袖を引いてひそりと問えば、決まり悪そうにもごもごとした答えが返ってくる。なるほど、一緒に飲んだのに名前がうろ覚えなのを誤魔化すために茶化したら、後に引けなくなったパターンと見た。
「アヤネ、煽らないの」
「でも」
「気持ちはわからんでもないけどね。ユナも、私が仲良くしたい人をそんな人呼ばわりしないの。ユナが苦手って思うのはとめないけど」
「……うー、ヤです」
「嫌なのはわかった。分かったけども、ね?」
「ん」
二人ともぶすくれてはいるものの、とりあえず最低限宥めることには成功したらしい。ついでにそれぞれを宥めることで何となくコウタさんに二人の名前を認識して貰えたら御の字。
「あー……お二人さん」
「はい?」
「何か」
「からかって、ごめんな?」
この通り! とコウタさんが両手を合わせて謝れば、二人は膨らましていた頬を萎ませて、渋々頷く。私が信用しているなら致し方ないと、ぶつくさ言う二人に思わず笑んでしまう。理由が可愛い。
「よし、とりあえず飲もう」
「賛成」
「あ、じゃあ俺から三人に一杯ずつ」
「え」
「やったー!」
「ありがとうございます」
パチン! と両手を打ち鳴らして空気を切り替えれば、アヤネがすぐそれに乗って、コウタさんと逆隣に腰掛ける。ユナがさらにその隣へ。コウタさんが増えた以外にはいつも通りの並びがカウンターに揃ったところで、おそらくお詫びを含めてだろう。コウタさんが奢ると言ってくれたために、ユナが分かりやすく満面の笑みで両手を高く掲げた。
「私もいいんですか?」
「そりゃ勿論。そうだ、チナツちゃんいつもと違うの折角だし飲んでみれば? いつも似たようなのばっか飲んでるだろ」
アヤネとユナへ奢るのは、まあ分かる。けれどもそこに便乗して良いものか…と聞けば、何でそんなことを聞くんだと言わんばかりのリアクション。むしろ、そうだとされた提案にキョトンとする。確かに、日本酒と違ってカクテルやら何やらはアルコールだから勿論好きだけれども冒険をしたことがない。
「とりあえず定番系から攻めてみる? 奢りなら冒険しやすいだろ?」
「……そう、します」
カクテルは種類があるから覚えられなくてなかなか冒険しづらい、と確か何度目か飲んだ時に言ったような気が、する。居酒屋ド定番なカクテルはもちろん飲むし、分かる。けれども、バーに通ってるくせにあれだがバーじゃなきゃ出てこないカクテルは、種類が膨大すぎて分からないのだ。あと覚えられない。ネーミングだけ印象的で覚えてたけどあんまり好みじゃなかったカクテルを引いてしまった事があるから、そこから何となく決まったメニューしか頼まなくなってしまった。色んな味を冒険すること自体は好きなので、せっかくだからコウタさんのお言葉に甘えるのを決める。
「ちなみにコウタさんオススメは?」
「……幾つかあるけど、チナツちゃん好きそうなのだとダイキリとかか?」
「あ、聞いたことはあるやつ」
「じゃ、それな。お二人さんは?」
「私、ラムコークで」
「私ハイボール!」
「あと俺にジントニック」
マスターが聞くそばからカクテルを作り出す。リキュールの瓶が並んでいるのを見るのは何となく好きなのだけれど、何がどういう味で何と組みあわせたらこうなるがなかなか難しいから覚える気力がなくなってしまった。色んなカクテルを覚えてる人はどうやってるんだろうかとぼんやり、珍しくシェイカーを振るマスターの手元を眺めた。
「マスターがシェイカー振ってるの、割とレアじゃない?」
「頼むやつが少ないからな」
「バーなのにねえ……」
「ボトルが出るのは有難いから良いんだけどな」
カシャカシャと氷とアルコールがシェイカーの中で跳ねる音が小気味いい。カシャン! と手首を捻るようにして最後の一滴がグラスに落ちる。私のカクテルがサーブされて、全員分揃ったのでとりあえず乾杯した。
「あ、美味しい」
「チナツちゃんあんま甘ったるいのより、こういうのが好きだろ?」
「ですです。さすがコウタさん!」
ライムの爽やかな酸味と、柔らかな甘み。ふわっと鼻を抜けるアルコール。サッパリした甘みが好みな人間としてはとても美味しい。
「……昔飲んだことある気がするけど、その時こんなに美味しかったっけ」
「バーテンの腕次第っていうし、それじゃないか?」
「あー誤差の範疇…」
ぽつり、とはるか遠い記憶を思い起こした呟きは、コウタさんにさらっと流された。記憶違いという可能性もあるし、なあ。多分二十歳そこそこの、お酒飲みたてくらいの頃に飲んだことがあるような気がしないでもない。ただその時、こんなに美味しいと思っていなかったから、多少なり味覚が変わったのか、それとも誤差の範疇か。まあどちらでもいいか、ともう一口飲んだ。
「あれだ、アイス食べたくなる味」
「アイス?」
「いやほら、限定フレーバーの…知りません?」
「あ! ちなっさん前にめっちゃ食べてたヤツ」
「そうそれ」
「あれこの間食べたけど美味しかった」
「あ、今ちょうど出てるの? 明日食べ行こうかな…」
アイスクリームチェーンの、期間限定フレーバーのひとつが、確かこのカクテルをイメージしていたはずと不意に思い出す。ライムの酸味とえぐみ、それから甘さが好みのアイスは、確かにこのカクテルがモチーフなのだなと飲んで理解する。
ふむ、と一人納得しつつ、予定と店舗一覧を確認する。ユナとアヤネのお陰で今ちょうど店頭に並んでいることも分かったし明日は予定もないし、アイスを食べに出かけよう。
「へー、俺そのアイス知らない」
「知りません? 結構ロングセラーっぽいですよ」
「へえ。俺、チョコミントばっか食べてるからなあ」
「ミントも美味しいですよねえ」
「…あ、ミントと言えば」
次これ飲んでみなよ、と教えられたカクテルは、名前は聞いたことはあるけれど全く知らないカクテル。はて、と首を傾げれば、コウタさんがニヤリと笑う。
「これチョコミントだから、多分もっとアイスが食べたくなる」
「気になる紹介の仕方しますねえ」
じゃあ次それで、とマスターに早めに頼んでおきつつ、ペールブルーのカクテルを煽る。隣にはラムコークを飲むアヤネと、ハイボールのユナ。二人のはグラスが大きいからそんな一気にグラスが空になることはないけれど、ショートカクテルは割とすぐなくなるよなあ、なんて質より量なくだらない事をぼやぼや考える。
「作るか?」
「お願いしまーす」
度数はそれなりに高いのだろうけれど、飲みやすくてすぐに飲み干してしまう。私のグラスが空になりきる前に、気付いたマスターが再びシェイカーを手に取った。
「おぉ、」
次にサーブされたグラスホッパーは、確かにチョコミントだった。というかチョコミント以外の何物でもない。めちゃくちゃアイス食べたい。
「いやこれはチョコミント……」
「だろ?」
「あー明日絶対アイス食べいく…」
「口がアイスになってんなあ」
「なりますよコレ」
コウタさんはケラケラ笑っているが、もう完全に口がアイスを食べたいモードになっている。なんてことをしてくれたんだ…! なんて思いつつ、グラスに口つける。美味しい。
ミルク感が強いから、一瞬苦手かも? と思ったけれど。はっきり主張するミントと、ほのかなチョコレート感、それを包み込むミルク。今まで飲んだことの無い感じがまた美味しい。
「甘ったるいの苦手だと思ってたけど、美味しい」
「あれ? ちなっさん甘いのダメだっけ?」
「あ、いや食べるのは好き。お酒でって話」
「あーなるほど……」
「前にパンケーキ食べ行ったの苦行だったのかと思って焦りましたよ…」
「え、あ、ごめん! そういうんじゃあないから安心して」
三人で休みが合う日にはたまに日中から集まることもある。数ヶ月前、人気のパンケーキ店に朝から並んだのも記憶に新しい。生クリームがこれでもか! とタワーになっているのをきゃあきゃあ言いながら食べた。
「明日二人の予定は?」
「シフトあり…」
「合コンですね……」
「オッケー、今度行こ」
アイスを食べに行くだけだけれど、折角ならと二人を誘う。とはいえ急な誘いすぎて、しょんぼりとした顔をされた。二人とも可愛い。今度行こうと誘えば、あのフレーバーが食べたい、あれが好きだときゃあきゃあと二人が盛り上がり始めた。
「コウタさんはチョコミント以外になにか食べないんですか?」
「ん? あー、ラムレーズンとバニラとか…?」
「安定のやつですねえ」
「チナツちゃんは?」
「私はさっき言ったやつと…ラズベリーチョコのやつとかですね」
「あー女子に人気のやつだ」
「見た目女子ウケ良いですよね。甘酸っぱくて美味しいんです」
「へー」
どうせなら次もカクテルかな、とアイスの話をしつつコウタさんに聞けば、どうせなら今日は甘いの飲んでみれば? と言われ、確かにと唸る。さてどうしたものか。ぼやぼや中身のない会話を続けていると、不意に視線を感じた。コウタさんと逆隣、つまりはアヤネとユナに視線をやれば、さっきまで二人で盛りあがっていたはずなのに、二人揃って私たちをじいっと見詰めていた。
「……どうか、した?」
「ちなっさん……」
「ん?」
「いきなりこの人とと仲良くなりすぎじゃない!?」
「え?」
音を立ててスツールから立ち上がって、アヤネが大声を上げる。ぽかん、とする私に対し、アヤネに同意するユナ。コウタさんはアヤネの勢いにドン引きしていた。
「何ですかその馴染み方! ずるい!」
「え、ずるい?」
「私たちだってちなっさんと今の感じで話せるようになるまでだいぶ掛かったのに! その人は最近でしょう? ずるいです!!」
とうとうユナまで立ち上がって、ずるいずるいと私の肩を掴んで揺すり始める。これは、あれだ。
「私、もしかしてモテ期?」
「そういう話じゃあないだろ……」
ぎゃんぎゃん騒ぐ二人と、呆ける私と呆れるコウタさん。この後、私の元カレ対策をしてくれている話を聞いて、ようやく二人が怒りの矛を収めてくれて事なきを得たのだけれど。コウタさんはそれをケラケラ笑いながら、巻き込まれ続けてくれた。それがとても有難くて、コウタさんの傍がどんどん居心地が良くなってしまう、きっかけにもなった。




