06.5
話が若干前後しますがコウタ視点です。
本年もよろしくお願いいたします!
彼女のことはずっと、なんとなく知ってた。
よく行くバーの常連仲間。珍しい若い女の子三人組の一人。俺がよくつるむ常連仲間たちとは挨拶程度で話す仲でもなく、あちらはカウンター、こちらはテーブル席で飲むのが常となれば絡む機会も皆無だった。
時折三人娘に絡みに行くナンパ野郎たちを、三人でショットで潰したり、淡々とした冷めきった声音でいなしているのが印象的で、勝手に凛とした雰囲気の女性だと認識していた。
それが変わったのは、二ヶ月前。いつも通り、なんとなく集まったいつもの顔馴染みでグラスを打ち鳴らしていた夜半のこと。
「やば、ストーカーじゃん」
ショートヘアの子が吐き捨てるのが、いやに耳についた。なんだ物騒だなと視線を送れば、長い黒髪を揺らして苦笑う彼女の横顔が目に入る。店内はザワついていて、それ以上の会話は聞こえない。ただ、どこか諦めたような表情が無性に気になってしょうがない。
何やらキーキーと騒ぐ女子大生をあやして、ショートヘアの子まで宥めて、そんな物騒な会話をしていた彼女はあっという間に一人になる。飲みきったグラスの中身に丁度いい、と、俺は顔馴染みだけのテーブルを抜け出してカウンターに向かった。
「あれ、三人娘の長女ちゃん一人?」
「はい?」
まるで今気づきましたと言わんばかりに声を掛ければ、彼女はキョトンとしながらリアクションをくれる。
にこやかに、警戒心を抱かせないように。するりと隣のスツールに身を滑らせてお互いに名乗る。チナツちゃんは初対面の男に気後れも人見知りもしないタイプらしい。極自然にグラスを打ち付けあっていた。
「みんな若いよね、チナツちゃん幾つ?」
「三十です」
「…未年?」
「そうですね」
「マジで? 干支一緒じゃん」
「奇遇ですねえ」
「いや言い方」
このご時世セクハラか? と思いつつ、後々ジェネレーションギャップに泣かされたくもない。早々に年齢を聞けば、帰ってきたのは十二下、念の為確認した干支も一致。マジか、やっぱ若いな。うわ、と顔に出して呟けば、チナツちゃんはコロコロと笑っていた。
「オッサンが隣でも大丈夫?」
「勿論。コウタさん、本当に干支一緒です?」
「ん? どういう意味」
「いや、若々しいなあと」
「マジで? 俺、まだイケる?」
「いけます、イケメンですよ」
「またまたあ。俺本気にするよ?」
「遊び人ぽいリアクションだなあ」
知らないオッサンが絡んで嫌悪感がないかを聞いただけのはずの会話は、何故か小気味いいラリーになってお互いケラケラ笑う羽目になる。無駄にグラスを打ち付けて酒を流し込む。それなりにもう飲んでいたらしい彼女は、マスターに言われ手元のナッツをポリポリと摘んでいた。
いい感じに酔ってるな、と思う。これで俺があとせめて五歳若くて、且つここが常連の店じゃなかったら即口説いていた。甘ったるくない、淡々とした話し方。それが酒で少し緩んで柔らかくなって。目元もとろんとした彼女は、きっとこのまま置いておいたらテキトーな男たちの格好の餌になる。
初めて話したとはいえ知らない奴じゃないし、常連仲間だし、少し言葉を交わしただけでも気が合いそうな歳下の女の子。そもそも物騒な事に巻き込まれていそうだった子だ。そんな御託を並べ立てて、じわじわ核心に迫る。最初は適当に、彼女の周りの常連の話から。
「この店で若い女の子の常連て珍しいし、それがしかもいつの間にか団子になってるから目立ってんだよ。知らなかったでしょ」
どれだけ自分たちが視線を集めているか。三人ともみんな、合コンなんか行けば誰かしらがほっとかないだろう見目だ。自覚しておくに越したことはない。いやまあ、あの女子大生の子は自覚した上で何だか騒いでいる印象だが。チナツちゃんは気づいているんだか、気づいていないんだか。その辺の起伏が読みづらい子だ。とはいえ嘆息しているあたり、本当に自覚はなかったんだろう。
「知らなかったし、知りたくなかったですね…」
「まあ、変な男に絡まれたりしたら、マスター以外に俺とかあの辺の奴らも助けに入れるから頼りなね」
「え、あ、はい」
唐突だろうが、とりあえず言いたいことをねじ込めそうな気配を察したので、とりあえずぶち込んでおく。ぽかん、と目を見張るチナツちゃんは少しばかり幼い表情で、その無防備な感じに頭を抱えたくなった。俺も初めて話す野郎なんだからもう少し警戒心を持ってほしい。とはいえそれを言ったら頼れと言った側なのにやぶ蛇なので飲み込む。さて、なんと切り出すか。
「いや、さっき…さ」
「はい」
「ストーカーだなんだ言ってたから。ちょっと気になって」
聞こうと思って聞いたわけじゃない! と両手を上げて身の潔白だけは主張する。ここまで警戒心がゆるゆるなら、ちょっと踏み込めばあの気になったワードの核心に迫れるかもしれない。そんな事を裏で考えながら慌てた風を装えば、チナツちゃんは吹き出してクスクスと笑いだした。
「ふふ…心配してくださったんですね、ありがとうございます」
「いやまあ…常連仲間だし、完全に知らない子じゃないし、ねえ?」
ありがとう、という彼女があんまりにも優しい笑みを浮かべるもんだから。心配九割と、可愛い若い女の子の常連が減るのは嫌だと思っただけの即物的な自分への一割の罪悪感がせめぎ合う。お節介だけどさあ、とわざとらしく拗ねた態度でビールに口付ければ、チナツちゃんがクスクス笑いながら俺を眺めている。とろけた目元がさらにゆるゆるとしていて、警戒心というかなんというか、初対面の野郎に見せるにはあまりに緩んだ表情で少しだけ酔いが覚める。チナツちゃんは俺に自制心があることに感謝して欲しい。
「チナツちゃん、酔ってる?」
「んー? そうですね、それなりに」
「マジか。マスター、水ちょうだい」
「大丈夫ですよ?」
「いや俺が心配だから、一回休憩。な?」
「…はあい」
少しだけ子供っぽい言葉尻に、ふわふわしてんなと溜め息を吐いて水を押し付ける。彼女も酔いが回っている自覚があったのか、素直にグラスを受け取って、一息に半分ほどの水を飲んでしまう。酔っ払った時、どうしてか水が美味く感じるんだよな。それだけアルコールにやられてるんだろうけど。
「コウタさんてお酒強いんですねえ」
「ん? これでも酔ってる方よ、今日は」
酔ってなきゃ、わざわざ面倒事に首を突っ込むような真似はしない。つまりは酔ってるからこそチナツちゃんと飲んでいる。なんてことは言う必要性がないので、へらと笑いながらグラスの中身を飲み干してく。
「そうなんです? 全然変わらないから。…ビールが好きなんですか?」
「そうだな…ビールよりは日本酒派なんだけど、ここだとビール一択。チナツちゃんは?」
「私も日本酒好きですよ。ここだとカクテルかワインばっかりですけど。ビールは苦手で」
「お、日本酒イケる口? この近くの焼き鳥屋知ってる?」
好きな酒の話題は、酒飲みなら絶対に欠かせないと思う。好みが分かれば知ってる店も共有できるし、なんなら別で飲みにだって行ける。
「……焼き鳥バルみたいなやつ? 入ったことないです」
「え、じゃあ今度そこ行こうよ。俺金曜日空けるから」
知らないなら連れて行ってしまえばいいか。酒が回った頭は短絡的な答えを弾き出して、トントン拍子に話を進めてしまう。お互いにメッセージアプリに連絡先を登録し合って、表示された『白砂茅夏』という名前に、そういやこの店で女の子の連絡先を聞いたのは初めてだなと思う。居心地いい店は色恋から遠ざけた位置に置いておきたい性分だからか、知らず知らず女の子とは一定の距離を取っていたらしい。
自覚して思ったが、比較的自重できていた俺が初回でここまで入れ込むってこの子、ちょっと危ないな? と今更思う。話しやすい。こちらの心地いい距離感を掴むのがとかくうまい。
これが巷に聞く魔性ってやつ? そんなふうに思いながら軽口を叩いていれば、彼女の終電が終わってしまった。やべえとは思いつつ、まだ話せることにテンションが上がる。とりあえずどんな額の会計になっても、彼女の分の酒代はお詫びに俺が出すと内心決意する。うっかり楽しく飲みすぎてしまった。
そうこうしているうちに、彼女の今日の本題そのものにようやく話が移る。手放して分かるイイオンナは確かにいる。とはいえそこに縋るのも、それにアホみたいに電話を掛けまくるのもどうかと思う。うわ、と思いつつ、やっぱり先ほど浮かんだ言葉が、今度はするりと口からまろびでた。
「何、チナツちゃんて魔性の女かなんかなの?」
「え、なんでです?」
「なんだっけ、アレだ。沼らせ? たの?」
「沼らせてたらそもそも浮気されてないと思うんですよね」
「あーなるほど? そっか」
彼氏を作るなら沼らせないと! 浮気が怖い!! なんて騒いでいた新卒の部下を思い出す。深みに嵌らせて、自分だけを思うように――なんて部下は言っていたが、チナツちゃんのこれじゃねえか? と無意識だろう彼女に言えば、速攻で否定される。
鼻で笑うそれは、紛れもない自嘲だった。
良い女、なのになあと思う。一人でしゃなりとしているくせに、警戒心がなくて人好きする笑顔で心地好い距離感を作る彼女は、間違いなく良い女だ。ただ危なっかしさというか、今の自嘲からも垣間見える僅かな自己肯定感の低さ。多分そういう、よろしくない類の隙をつかれて変なのを引き寄せてるんだろう。
「なんかヤバそうになったら俺に連絡くれてもいいよ。男が出てった方が丸く収まるケースもあるでしょ」
「…!」
せっかく連絡先も交換したし、この短時間で話しやすいこの子が気に入ってしまった。踏み込みすぎなくらいの俺の言葉に、目をまん丸くする彼女に横目で笑いかける。
「急に言ったから驚かせたな、ごめん」
「あ、いえ…有難いなとは、思ったんですけど」
「まあ常連仲間のよしみと…チナツちゃん可愛いから、ね?」
小さい褒め言葉ではあるけれど。少しずつ、彼女の自信に繋がりますように。頬を少し染めた彼女に笑みが深まるのを自覚しつつ、俺は手元のグラスをもう一度煽った。
それから会う度に、最初からほぼなかった俺への彼女の警戒心がどんどん無くなって、頭を抱えることになるのだが――あの晩の俺は、知る由もなかった。




