06
「お疲れ様〜」
「お、チナツちゃん」
「おー早い。コウタさんお疲れ様です」
一回り上の飲み仲間を手に入れて、早二ヶ月。水曜日の午後八時。残業を終えて、まっすぐ帰らずにいつものバーへ。扉の開閉に気付いて、カウンターでビールを飲んでいた赤い髪が振り返る。予想通りの人物に、へらりと笑い返しながら、隣のスツールへ滑り込んだ。
「マスター、カーディナル」
「珍しいな、金曜以外に」
「……色々ありまして」
お手拭きとコースターを私の目の前に置きつつ首を傾げるマスターに、へら、と笑い返して誤魔化す。程なくして出されたカクテルを、乾杯、とどちらともなしにコウタさんのグラスと打ち付けあった。
「お疲れ」
「いやー…疲れました…」
「大丈夫だった?」
「案外平気でしたね。…まじで気づかなかったので、それが良い感じのジャブになってたみたいで」
コウタさんと話すきっかけになった、別れて半年ぶりの連絡が復縁希望の鬼電だった元カレ。それになんと昨日、偶然遭遇してしまったのである。ただ向こうから名乗られるまで気づかなかったというオチ。相手に対して一縷の興味もない証拠だと、コウタさんはケラケラ笑った。
ちなみに名乗られた時点で、思わずコウタさんにヘルプコールという名のメッセージを送ってしまったのは許してほしい。来てもらえなくても、実況先を得られたのでまあまあ心は平穏を保ったまま対応できたので、即レスで落ち着けと返事を貰えたのが本当に有難かった。
「なんか聞いたらプチ整形してたらしくて。そりゃ分かんないよなって」
「いやガッツリじゃないんだろ? 気付くだろ」
「全く気付きませんでしたね…思わずそんな顔だったっけ? って聞いちゃいましたもん」
「それ元カレ相手でも相当失礼なやつだからな」
「自覚はあります」
一重で切れ長の目元が印象的だった元カレが、ぱっちりクリクリの二重になっていたのだ。良いと思う、似合ってたし。元からそういう顔立ちだと思えば違和感も何もないと思う。ただ記憶の中のそれと、顔の印象が違いすぎて本当に気が付かなかった。あまりに私がぽかんとしていたのだろう。実は…とプチ整形したと経緯を聞き、ちょっと申し訳ない気持ちにすらなった。
「…で、どうなったの?」
「あー。まだ好きだから復縁しないかって聞かれたので、顔すら分かんないんだから無理でしょって返してバイバイしてきました」
「思ってた以上にキレッキレな切り返しでウケんだけど」
どうやらコウタさんのツボに入ったらしく、私から顔を逸らして、お腹を抱えてヒーヒー笑われる。いやまあね、もう少しオブラートに包んだ返しもあったとは思う。けれどもこちらからすれば元カレは最早過去の人なわけで。これ以上言い寄られても困るし、思いやりもいらないかと思っての処遇だ。
「うん、まあ、チナツちゃんが中途半端にそこで思いやり見せたらまた長引いただろうし、いいんじゃない?」
「でしょう? 私だってちゃんと考えてるんですよ」
「元カレの顔忘れてても?」
「忘れててもです。……いや忘れてたんじゃなくて変わりすぎてて分かんなかったんですって」
失礼な、と肩を軽く小突けば、ごめんごめんと全く気持ちのこもっていない謝罪が笑い混じりに寄越される。じと、と横目で見遣れば、笑いすぎたせいだろう、目元に浮かんだ涙を指先で拭いながら、コウタさんは私の分のカクテルを注文してくれた。
「俺の方の会計で、チナツちゃんにキティ」
「わーい」
「まあ酒で機嫌直してもらって……」
「許しましょう」
「よっしゃ」
サクッとカーディナルを飲み干して、グラスをカウンターの向こうへ返す。飲み干すもんじゃねえだろ、早い早いと苦笑いながら、マスターがキティを作ってくれる。お酒はたくさん飲みたいタチなので諦めて頂きたい。
「でも元カレの執念もすごいよな。本当に偶然?」
「んー正直微妙なとこですね。この辺でよく飲んでるのは付き合う前に話しちゃってたので。しらみ潰しに店回られてたら遭遇も難しくはないのかも」
「あー…それやられると普通に遭遇するやつだな…しかもチナツちゃん行く店決まってるし」
マスターから手渡されたキティに口付ける。私の好みに合わせて甘口のジンジャエールで割ってくれているからすごく飲みやすい。
コウタさんの疑問符に、はて、と首を傾げる。溜め息が聞こえて隣を見遣れば、大層難しい顔をしてコウタさんは項垂れていた。
「これ俺の黒歴史なんだけどさあ」
「はい」
「……元カノによく行く飲み屋しらみ潰しに回られて、しかも今カノって言いふらされてて死ぬほど面倒なことになったことがある」
「え、それなんてストーカー?」
ひえ、と息を飲む。ストーカーだなんだにえらく心を砕いてくれると思えば、まさかのコウタさんも経験者だったらしい。はああ、と特大の溜め息を吐きつつ、コウタさんに元カレのSNSを探すように指示される。何故、と思いつつも言われるがまま本名フルネームで検索して出てきたそれをコウタさんに提示した。
「これが昨日遭遇した元カレです」
「……整形後?」
「…この写真は…そうですね、後です」
「おっけ、チナツちゃん一人で行くとしたらココかあの焼き鳥屋くらいだよな?」
「最近行くのは専ら。昨日行ったのはユナもいたのであっちです、新しくできたおでんバル」
「おー…俺そこまだ行ってないや。感想後でよろしく」
「了解です」
私の手の中の画面をわざわざ写真を撮って、コウタさんは何かをスマートフォンに打ち込んでいる。なんだろう、と思っていれば、落ち着いたのかスマートフォンはそのままコウタさんのポケットへ逆戻り。消していい、と言われたので検索結果は消した。
「マスター」
「おう。あー…これなら顔分かるな、任せろ」
「ん?」
「焼き鳥屋の大将にも送っといたから」
「え?」
突然ゴソゴソとスマートフォンを確認したマスターが訳知り顔で頷くのに、はて、と首を傾げると同時。コウタさんの落とした爆弾に、まさかと思い至った。今現在の元カレの顔立ちかを確認して、写真を撮った、意味。
「とりあえずよく行く店で、こいつが来たかどうか分かるだけでも自衛できるだろ。あとホラ吹かれても誰も信じなくなるしな」
「……天才?」
「もっと褒めてくれてもいい」
「神様仏様コウタ様…!!」
崇める勢いでコウタさんに手を合わせて拝む。天才すぎるし有り難すぎる。そしてしばらくその二軒以外には近づかないようにしようと決心した。一杯奢ってもらったものの、奢り返さねばならない。
「コウタさん次何飲みます? 私から一杯…」
「え、良いの? じゃあハイボールかな」
「マスターよろしく」
そしてマスターもありがとう…と拝んでおく。やめろと苦笑いを浮かべられたけれども、常連とはいえ面倒事を持ち込んでいるのだ。本来ならもう来なくていいと言われかねない事態だと思っている。厄介な常連は疫病神でしかないし。
コウタさんとマスターを改めて拝み倒しつつ、二人とグラスを打付ける。打ち付けた音は厄除けだ何だと聞いたのはなんだったか。この乾杯が元カレを厄除けで祓ってくれますようにと祈る他ない。
「縁切り神社とか探そうかな…」
「それもいいけど、チナツちゃんは結構モテる自覚を持って動こうな」
「モテてるんですかねえ」
「だから入れ食い状態でクズばっかり引いたんだろ?」
「クズばっかに関してはぐうの音も出ない…!」
確かにこれまで、彼氏が出来なくて困ったことは思い返せば一度もない。今回頭を悩ましている元カレの前。すごいモテて仕方ない! なんてことは流石にないものの、まあ確かに苦労せずにちょっと飲み歩くうちに恋人はできていた。付き合ってから尽く苦労したけれども。彼氏作るか、と思うと割とトントン拍子でどうにかなるというか。
「前も言ったけどさあ、どうでもいい奴にもそれなりの対応してあげちゃうのが問題なんだって。な?」
「はい…いや待って、最近は気をつけてますよ?」
そう。元カレの鬼電以降、コウタさんに言われたこともあってめちゃくちゃ気を付けている。改めて釘を刺される言われはない…と思ったのもつかの間。コウタさんが遠い目をしていた。
「……どうかしました?」
「チナツちゃんさあ」
「はい」
「村木、覚えてる?」
「……村木さん…?」
誰だそれ。私の顔を見て察したのだろう、コウタさんが頭を抱えていた。
村木。村木? 会社の同僚にも、取引先にも前職の知り合いにも、なんなら学生時代の友達にもいない苗字だ。珍しくはない苗字だから誰か忘れている知り合いがいただろうか。うんうん唸っていると、溜め息混じりに答えが寄越される。
「俺の部下のやつ。最初に二人で飲んだ時、隣に居ただろ?」
「ああ、あれ…小林さん、じゃなかったでしたっけ? 二人組の」
「あ、そっち覚えてんのね…」
そういえばこの間、小林さんたちと焼き鳥バルで遭遇した。アヤネと二人で、本来ならユナも来る予定だったのが急遽来られなくなった金曜日の夜。一人飲みの常連さんを挟んだ席にいたのが、小林さんたち二人組だった。向こうが先に気付いたので、あの時の、どうも、とお互い軽く挨拶した。
「この間おふたりとも会いましたよ。挨拶だけでしたけど、よく覚えてたし気付いたなーって驚きました」
「あー…そう…。ちなみに小林と、もう一人が村木ね」
「ああ、ネクタイがオシャレさんな人」
「ん?」
「ネクタイが、漫画コラボのめちゃくちゃ人気のやつだったんですよ。知ってる漫画だったから凄いなあって。確かあれ即完売だったやつですよ」
コレです、とパパッと検索して画像を見せれば、確かにあいつ気に入ってつけてたなこれ…とコウタさんはまた遠い目になる。何があったのか。しかもそもそも何故、村木さんの話になったのか。ネクタイの話以外した記憶がないんだが。
「チナツちゃん、それ褒めた?」
「ネクタイ? 褒めました…ね、多分。だって即完売のレアものですよ?」
「あーうん。OK、チナツちゃんが本当に何もしてないことは分かった」
まじかよ。と眼鏡を外してこめかみを揉んでいるコウタさんに既視感。これは何かあったな、というか村木さんが何かをコウタさんに言ったっぽいなと流石に私でも察した。
「……村木さんが私に対してなんか言ってたんですか?」
「………気付いちゃうよねえ」
はあ、と溜め息を吐いて、コウタさんは手元のガラスを飲み干す。ハイボールのお代わりを頼みつつ、スツールの上、少しだけ体を私に向ける。
「村木がさ、」
「はい」
「チナツちゃんのこと、俺の彼女じゃないなら狙っていいか? って聞いてきたんだよね…」
「……え」
だからまた無意識に男を落としたのかと…。コウタさんの言葉に完全にフリーズする。村木さんとは小林さん含め、挨拶だけして、それでネクタイがコラボものだったからすごい! と話して、それだけだ。会話はそれ以上でもそれ以下でもない。何がどうして狙う狙わないの話になった。
「……ちょっと小林に探り入れる。ちなみに村木のこと、どう思う?」
「あー…まあほぼ知らない人なので何とも言い難いですけど…今の聞いた時点で、正直、ないかなと」
お互いを知らないにも関わらず、コウタさんに探りを入れるあたり外堀を埋めようとしている感が申し訳ないけど今の私には生理的に無理だ。コウタさんの仲のいい部下の方に大変申し訳ないけれども。
私のドン引きした顔に気づいたのか、だよなとコウタさんは笑って、頭を撫でてくれる。
「まあ口説かれるかもしれないから、気をつけてな」
「……自衛、ですねえ」
「だな」
何が刺さるか本当に分からないものだ。持ち物を褒めるとか、営業職だったらとりあえず場を温めるのに一回挟むおべんちゃらじゃなかろうかと思うのだけれど。それがきっかけになって口説かれそうになるなんて。まあ今はコウタさんから聞いただけなので、真偽は謎のままだけれども。
「……色恋沙汰はどうでもいいので、平穏に暮らしたいですね…」
「そんな枯れた発言、早くないか?」
「全ての問題が片付いたら多分気持ちも変わります」
「それはそう」
ケラケラとコウタさんが笑う。村木さんの話でシリアスというかお説教モードになったから、やばいやつかと一瞬身構えたけれど、こうもテンションを切り替えてくれるあたり多少気をつければ大丈夫くらいの話なんだろう。そう安心して、減ってきたグラスの中身を飲み干す。
「マスター、オペレーターを。あと、それでチェックで」
「おう」
「あれ、もう帰んの?」
「流石に明日も会社ですからねえ」
これ以上飲み過ぎないようにと、先に会計だけさせてもらって。これが出来るのはカウンター席の楽さだよなあと思いつつ、伝票と共に出てきた新しいグラスに口をつける。
「本当は毎晩飲み歩きたいんですけどねえ」
「酒クズ発言だな」
「まあ真の酒クズはコウタさんですけれども」
「それな」
お互い吹き出して、またあらためて今日何度目か分からない乾杯を交わす。元カレからの接触があったら、また真っ先にコウタさんに連絡すると約束する。頼れる人がいて、頼れるお店がある。幸運だなあと、酔いの回り始めた頭でふわふわと考える私の頬はいつの間にか緩んでいた。




