05
「コウタさんの髪って、ブリーチしてます?」
「してない。毎月カラーで赤ぶち込んでるだけ」
「え、カラーだけでそんな染まるんですか?」
「残留してるから染まる…って担当の奴は言ってたけどな」
「すご…全然傷んでないからどうやって染めてるんだろうって気になってたんですけど、まさかカラーだけだとは…」
酒が進んで、どんどん中身のない話へ。
初対面の時から気になっていた髪色について聞けば、まさかのブリーチなしの赤髪という事実に驚いた。お願いして触らせてもらった髪はサラサラで、最早この人は地毛が赤髪なんじゃないかと酔いの回った頭で思う。
気付けば私は七杯? 八杯? 目だし、コウタさんはそれにプラス一、二杯は飲んでいる。酒が進んで酔いが回るにつれ、コウタさんの距離が物理的にも近くなる。
今や膝どころかお互いの足は完全に触れ合っているし、肘をついたコウタさんに顔は覗き込まれるような体勢だ。とても囲い込まれている。ただまあ、元の距離感がバグっている人だとこんなもんかな、とも思うのでそのまま。先に帰って行った隣の席のコウタさんの部下の二人は、私たちの距離感にびっくりした様子ではあったけれども。
「髪、サラサラ…」
「全然でしょ。サラサラなのはチナツちゃんの髪だって」
お返しと言わんばかり、私の髪の毛先に緩く指を絡めて、ほら、と笑うコウタさんはとても柔らかい表情をしていた。目元がほんのりと赤い。断りもなく髪に触れられたのに、まったく嫌じゃないあたりコウタさんの人の懐に入り込む話術はすごい。あとこんなベッタリなのに下心を感じないのもすごい。だからこそ距離感がバグっているのをスルーしていられるというのは勿論ある。
「コウタさんて…モテそうですよね」
「え、急に何」
「コミュ強というか…。え、ちなみに彼女とかご結婚とかは?」
「いやホントどうした」
「……私ガチめに男運ないので厄介事に巻き込まれないか早めに知っておかねばと」
なんで最初に聞かなかったんだろう。ふと浮かんだ疑問符は、いの一番に聞くべきことだったから慌てる。完全にコウタさんのペースに飲まれていた。
急な私の慌てた質問にキョトン、とするコウタさんに対して、私はスンッと表情を消す。思い出して頂きたい、私とコウタさんの最初のきっかけを。あ、と納得したらしいコウタさんは仕方のないものを見る目で思い切り苦笑いを浮かべた。
「彼女もいないし、もちろん独身。未婚。じゃなきゃ流石に男関連で悩んでる女の子サシ飲みに誘わないって」
「……店員さん、ガチです?」
「待って俺の信頼そんなにない? いやまあ会うの二回目だけどさ」
近くにいた女性店員さんにも声掛ける。まじかよ、と苦笑いながら頭をガシガシ掻いているコウタさんには大変申し訳ないが、二十歳すぎくらいに一度、独身と偽った既婚者に振り回された黒歴史がある身からすると、簡単に信じられるものではなかったりする。証拠もないし。コウタさん明らかにモテるタイプだし。こちらに出来るのは独身と確認したという証跡を残すことだけなのである。
「大丈夫、こいつ本当に独身だし未婚。フリー。モテはするけど長続きしないタイプな」
じと、とコウタさんを見つめていると、焼き場が一段落したらしい大将が、顔に思い切り『面白そう』と書いて寄ってくる。鼻で笑うように暴露される自身の個人情報に、コウタさんは顔を顰めた。
「おー事実だけど俺の傷を抉るねえ大将」
「傷抉った方がお嬢さんの信頼は得られるだろ?」
なあ、と振られて、確かにと頷いてしまう。がくりと肩を落としつつ、まあ信頼してもらえるなら、まあ…とコウタさんは納得いかない顔をしながら酒を一口煽った。
「こんなに気遣いできてコミュ強でイケメンなのにめちゃくちゃ意外です」
「待って急なデレ」
え、俺そんなふうに見られてたの? と満更でもなさそうな顔をするコウタさんに、言われ慣れてるでしょうよと白い目を向ける。温度差に大将はお腹を抱えて笑っていた。
「とりあえずコウタさんが独身でフリーだというなら、私が厄介事に巻き込まれるリスクは少ないですね!」
良かったー! 満面の笑みで私も酒を一口。飲みきってしまったので追加のお酒を頼むと大将のちょうど後ろの冷蔵庫に仕舞われていたらしい。苦笑いを浮かべつつ、大将がお酒を注いでくれた。
「なんだ、お嬢さんもしかしてロクデナシばっかり引き当ててんのか?」
「ご明察。その通りです」
お嬢さん名前は? と問われたので、茅夏ですと返して大将とも乾杯する。何ならロクデナシ元カレシリーズを語ってもいい。全部ネタなので。そんなことを思っていると、なあなあ、と横から袖をつままれた。
「ストーカー男以外にも、クズいたの?」
「はい。あー…というかストーカーっぽいの、実は今回が初じゃないんですよね……」
へら、と苦笑えば、とろんとしていたはずのコウタさんの目線が鋭くなる。
「チナツちゃん、全部吐け」
「え」
「初じゃないって何。つーかそんなにそういうのばっか引くって本当に何」
「私が一番知りたいやつですねえ」
これは本当に真面目に知りたい。正直自分から好きになって付き合った人が皆無なので、全部相手方きっかけで始まった関係なのにだいたい何故かみんな、私が相手にベタ惚れであると錯覚した上で私の地雷を踏み抜いていく。そんなの、一発アウトで別れるに決まってるのに。そもそもなんで私が相手にベタ惚れってことになるのか、みんな記憶が混濁し過ぎじゃないかと首を傾げてしまう。
「浮気からの別れ話に一ヶ月かかって、最終的に何故か待ち伏せまでしてきた元カレと、情緒不安定過ぎて向こうから別れたいって言ったくせにいざ別れるってなったら二ヶ月くらいごねた元カレと、独身と偽ってたクズと、付き合って三ヶ月で仕事辞めてヒモになろうとしてきたやつと…とりあえず話してネタ感が強いのはこの辺ですかね」
聞きたいのあります? と問えば、コウタさんと大将だけじゃなくて、近くで話を聞いていた女性の店員さんまで全員が頭を抱えていた。まあとりあえずで出してくるには濃いめのネタばかりで申し訳ない。これでも一応選抜しました。
「……ちなみにそれ以外は?」
「俺と仕事どっちが大事なの男と、寝落ち通話しなかっただけで浮気だなんだってキレ散らかしてきた十歳上あたりですかね…あとは付き合ってはいないけどネタな人が何人か」
「ネタにするなネタに」
真っ当な突っ込みに思わず笑ってしまった。ケラケラ笑っていると、軽く小突かれたので謝っておく。コウタさんは眼鏡を外してこめかみを揉みながら難しい顔をしていた。
「ちなみにさあ、チナツちゃんが本気で好きだった奴、どれ」
「ん?」
「その元カレコレクションで、好きだった奴」
「あー…みんなそれなりに好きでしたよ? 人として無理な人とは付き合えないので。でもまあ、本気で好きだったかって言われると…」
「……だろうよ」
はあ、と思い切り溜め息を吐いて、コウタさんは項垂れる。どうして分かったんだろう、ときょとんとしていると、半年前の元カレについても聞かれるので、同じくと返しておいた。肺の中の息を全部吐き出してるんじゃないかっていうレベルの、重たい溜め息が再度吐かれる。
「だよな、今の聞いてたらそうだろうな」
「え、なんで分かったんです?」
「完全に酒の席のネタにしてるから。…そこまでネタにできるってことは未練どころか嫌悪とかすら残ってないんだろ? つまり、それだけチナツちゃん側に感情がなかったってことだろ」
「あーなるほど…。まあ一応、みんな付き合ってる時とか、情はありましたけどね。見事にみんな地雷踏み抜いていくんで」
情も枯れ果てますよねえ、と笑えば、コウタさんは難しい顔をしていた。はて、と思いつつ酒を一口。グラスをテーブルに戻した手を、大きな手が急に握り込む。
「チナツちゃんさあ」
「はい」
「どうでもいい男と付き合うの、とりあえずやめな」
ぎゅ、と手を握る力が強くなる。真剣な眼差しに射抜かれて、え、と間抜けな声が漏れた。
「会ってまだ二回目だけど、流石にわかったわ。チナツちゃん優しいんだよ、自分で思ってる以上に。情はあったって言ってるあたり、ある程度相手してやってたんだろ?」
「…や、まあ…一応付き合った以上は最低限…」
「その最低限のラインが、チナツちゃんも相手方で違ったんじゃねえの。だから相手の男の認識が、チナツちゃんが惚れてることになったんだろ」
え、まじで。
もたらされたまさかの解説に目を見開く。コウタさんはこめかみを揉むために外していた眼鏡をカウンターに放り出して、また大きく溜め息を吐いた。元カレの話になってから溜め息しか吐かれていない。
「またどうでも良いのと付き合ってみ。同じことになるって」
「……今の聞いてると、そうなりそう、ですね」
「元カレが粘着するのも、多分チナツちゃんが優しいからだって。今日もめちゃくちゃ気使ってくれてるだろ。そういうのさ、自分に気があるからだって勘違いする奴もいるし、後から有難みに気づく奴もいるから」
「優しいかどうかはまあさておき…気があるって勘違いさせた私の責任ですねえ…」
「いや責任は…ないとは言いきれないけど」
同じことになる。コウタさんは私を深く知ってるわけではない。なのにキッパリとした宣言に、そうかもしれないと心が揺らぐ。別に今すぐ彼氏が欲しい訳では無い。というか今までも別に自分から求めていた訳では無い。わけではないけれど―――気があるように見えたと、変な絡まれ方をした事も何度かある。それを鑑みれば、きっとコウタさんの言っている内容は的外れではないんだろう。これが年の功。
自己責任かあ、と苦く笑えば、否定しきれなかったらしいコウタさんが気まずげに目線を泳がせる。
「……正直今言われた内容で、いやそれは違うでしょって思うとこもなくはない、ですけど…今まで言われた中で一番附落ちしました」
ありがとうございます。軽く頭を下げれば、コウタさんが困ったように眉を下げた。
「……ごめんな、楽しく飲んでたのに説教くさくなって」
オジサンになるとこれがダメだよな、と、へらりと笑うコウタさんに、笑みを返す。ぶっちゃけ話の始まりは、私のことよく知りもしないくせに何言ってんだこの人とか思わないでもなかった。けれども、今まで言われたアドバイス―――『スキがあるから』『思わせぶりだから』なんてふんわりしたものより、なるほどなと納得感があったのは事実。
それに徹頭徹尾、最初にいつものバーで声をかけてきてくれた時から、コウタさんが私の心配をしてくれているのも知っている。だからまあ、多少説教じみてるなと思っても、それはそれで致し方ないなと、私のためを思ってくれているだなと素直に受け止められた。
「いえ。有難いです」
「ただのオジサンの説教が?」
「オジサンて。…しばらく色恋沙汰は良いやとは元々思ってたんですけど、コウタさんのまた繰り返すって言われたのに、確かになってめちゃくちゃ納得しちゃったので」
乾杯、と無意味に、テーブルに乗ったままのコウタさんのグラスに軽く自分のそれを打付ける。苦笑いと共に酒を一口。ふわ、と甘い香りが口の中に広がった。
「私が変なのに引っかからないように、見張っててやってください」
「心配だから言われないでも見張ってるよ」
二、と笑ってからかうように強請れば、同じくいたずらっ子のような笑みが返ってきた。あやす様にくしゃ、と髪を軽く梳かれる。ふは、と堪えきれなかった笑いを零すコウタさんに私も笑みを返す。クスクスと笑い合いながら、そのまま終電間際まで飲み続けた。




