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最初の一軒目に選んだのは、創作フレンチのつまみが手ごろに食べられるとSNSで動画が回ってきていた立ち飲み屋。繁華街のメイン通りから角を曲がったところに店を構えるそこは、かなり繁盛していた。
「すいません、二人! いける?」
ちょうどカウンター席に空きが出たらしく、コウタさんが店員さんに声をかけてくれてするりと入店する。とりあえず乾杯用にスパークリングを注文したら、こぼれそうなほどなみなみ入ったグラスがサーブされた。
「やば」
「すげえなコレ」
「じゃ、とりあえず」
「乾杯!」
「かんぱーい!」
こぼさないように慎重に。けれど音は鳴らしたいからケタケタ笑いながらグラスを合わせる。
「飲みやすい、美味しい」
「これいいな。…つまみどうする?」
「あ、食べたいのあったんです! ちなみに嫌いなものあります?」
「どれ食べたいの?」
「これです」
「よし頼むか。あとこれも良い?」
「勿論!」
スキレットで焼かれたフワフワの卵焼きに牡蠣とムール貝が乗せられたものと、牛すじのデミグラス煮込み。デミグラス煮込みは人気商品らしくて常に煮込まれていたからすぐに熱々が提供された。卵焼きは少し待つらしい。
「牛すじトロトロ…美味しい…」
「いくらでも飲めるなコレ」
「これハイボールも合いそうですよね…」
「天才。次決まったわ」
一気飲みするものでもないのに、グラスに半分くらい残っているスパークリングを飲み干して、コウタさんは店員さんにハイボールを注文する。
「オリジナルハイボールがあるんですけど、そちらいかがですか?」
「オリジナル?」
「幾つかスパイスを漬け込んでるんです。牛すじにピッタリですよ」
「じゃあそれで」
店員さんとコウタさんの会話を聞きながら、テーブルに立ててあったポップを漁ってみる。オリジナルスパイスハイボール! とデカデカと書いたポップを見つけて、これかあ、と眺める。ブラックペッパーなど馴染みのあるものから、インドカレー屋さんで聞いたことがある気がする…くらいのスパイスまで何種類か漬け込んであるらしかった。
「スパイス、これですって」
「お、ありがと。へー。うまそう」
「ですね。後で一口下さい」
「勿論」
さすがに一緒に冒険した注文はな、と二の足を踏んで回し飲みをお願いする。この後だらだら飲み歩くことを考えると一気飲みはできないので、スパークリングを普通のペースで飲んでいれば、コウタさんのハイボールがサーブされた。意味もなくまた乾杯して、コウタさんはハイボールを一口。
「あー、うまいけどちょっと癖ある。牛すじにはめちゃくちゃ合うわ」
「一口下さい!」
「ほいよ」
「わーい」
受け取った薄口グラスに口を付ける。ふわ、と鼻を抜けるスパイスの香りがオリエンタルな印象だ。味も、所謂ハイボールの味を想像すると驚くくらいスパイシー。美味しいけれどコウタさんの言う通り癖があるし、何なら好き嫌いも出そうな味だった。美味しい。
「癖あるってわかるかも…香りが思ってたよりオリエンタルな感じがします」
「味はスパイス入りって聞いてたから、まあこんなもんだよなって感じではあるよな。旨いし俺は好きだけど」
「好き嫌いは出そうですね。私も好きですけど」
流石好みが合うだけのことはある。無駄にハイタッチしつつ、私も次の酒を思案した。
「えー次どうしよう。…あ、ハーパーをソニックで!」
「かしこまりました」
「飲みやすいやつ」
「そうそう。だって、飲み歩くでしょう?」
「いけるとこまでな」
「ね」
炭酸はお腹に溜まるし酒が回りやすくなる体質なもので、単にハイボールよりかはソニックの方が幾ばくか飲みやすい。スキレットの卵焼きはそろそろ出てきそうだけれど、それを食べた後もしかしたらすぐに二軒目に行くかもしれないことを考えれば、軽めの飲み口にしておくのが正解だろう。
「お待たせしましたー!」
「美味しそう!」
スキレットから零れ落ちそうなほどふわふわの卵焼きに牡蠣とムール貝がたっぷり乗ったものがサーブされる。一緒に私の酒も。卵焼きのビジュアルが良い。
箸を伸ばしかけていたコウタさんにごめんなさいを言って、急いで一枚だけ写真を撮る。
「もう大丈夫?」
「お待たせしました…」
「全然。もっと撮り直さなくて良いの?」
「…ブレてないから大丈夫です! 冷める前に食べたいですし」
「そこ優先できるのはさすがだよな」
ふわふわの卵は箸を刺すと、しゅわっと空気が抜ける。ムール貝と合わせて口に運ぶ。多分酒蒸しされたムール貝の塩気のある旨みと、だしの効いた甘めのふわふわの卵の組合せが最高だった。
「うま…」
「うわ、これ旨いな」
「お酒が進みますね…」
「最高の組合せじゃん」
「本当に」
コウタさんは醤油をちょっとかけたらしく、それも美味しそう。個人的にはこれで完成されているからなくてもいいかな、という感じだけれど、濃いめの味付けが好きな人には確かに物足りないかもしれなかった。
「これスパークリングもう一杯でも良かったかも…」
「魚介系は確かに白とかスパークリングとか合うもんな」
「これはこれで間違いない組合せなんですけどね」
やんややんやと騒ぎつつ、私は二杯、コウタさんは三杯で一軒目終了。お会計はなんとなくの割り勘で落ち着いた。というか、落ち着けた。
「良いよ良いよ、二軒目出してよ」
「そういってダラダラ払わせてくれなそうな気がするからイヤです」
「強情だなあ」
「じゃあちょっと…一杯分少なく出します!」
「ん~じゃあ、いっか」
飲んだ酒の量で支払いのバランスを完全なる割り勘から譲歩すれば流石にコウタさんも折れてくれる。席会計だったから席でわーきゃーして、店員さんにご馳走様を伝えて店を出る。
「甘えていいっつってんのにな」
「お会計で甘えるのは別でしょう」
「それはそう」
「次どこ行きます?」
「この近くで一軒行きたいとこあるんだけど良い?」
「勿論!」
ふわふわ。気持ちよく酔いが回っている。まだまだ飲めるし、全然へべれけではないのだけれど、テンションだけが上がっている感じ。楽しい。意味もなくクスクス笑いながら、手を繋ぐんじゃなくて、コウタさんの腕に引っ付いた。行先の方向は分からないけれど、とりあえずグイと腕を引き寄せる。
「次のとこ、行きましょ~!」
「お、結構酔ってんな」
「酔える相手認定ですね」
「それは光栄。ほら転ぶから。手貸せな」
「はあい」
全然まっすぐ歩けるし、気持ち悪くもないし、まだ本当に飲み始め。ただ一緒に飲んでいて肩の力を抜いても良い相手、の前だと、ちょっとだけ分かりやすく酔いが回りやすくなる。コウタさんに関しては、甘えていいという免罪符もあるし。
私の酔いがテンション的なものだけだというのはしっかりコウタさんに伝わったらしい。苦笑いして、腕を組むのに慣れていない私が転ぶからと、また手を繋がれる。
「三姉妹で飲んでるときもこうなんの?」
「え? あー…逆にこうなれない、ですねえ。流石に年下の子の前ではさすがに」
「それもそっか。こうなる相手ってあと誰?」
「んー…学生時代からの友達で、同じくらい酒飲める子とかですかねえ。コウタさんはほら、介助しないといけないことになる前にお互いに理性働くと思うし。同じペースで飲んでてもお互い潰れる心配もないし。そもそもお互いのペースで楽しく飲めるし…」
「なるほどな、気張ってなくていいってなったら酔うのね」
「そうです、そう」
繋いだままの手、親指で手の甲を撫でられる。こそばゆい感触にまたクスクスと笑いが漏れた。
「だって、安心して飲める相手って貴重でしょう?」
「いや俺に対して心開くの早すぎない?」
「え、じゃあ心閉じましょうか?」
「待て待て、極端」
コウタさんも多分しっかり酔ってはいる。わざとらしく手を振りほどいて距離を取ると、コウタさんの腕がするりと腰に回されて距離を詰められた。二人してケタケタ笑いながら、もう一度手を繋ぎ直して二軒目の方向に足を向ける。
「甘えろつったら急に振り回すじゃん。小悪魔?」
「いや、小悪魔って古いですって。でもそんな振り回してます?」
「古い…え、ショック。ジジイ扱いされた…」
「そこで傷つかないで下さいよ。…コウタさんはイケメンだからジジイじゃないですよ」
小悪魔。小悪魔って言うか? ちょっとそこのワードチョイスは年齢差を感じた。わざとだろう、落ち込んだそぶりを見せるコウタさんを、まあまあと雑に宥めているうちにお目当てのお店にたどり着いたらしい。
「あ、ここ。入れっかな」
「おー、角打ちだ」
「二人、いける? お、いけるって」
「はあい」
暖簾をくぐって店内へ。今日はとことん立ち飲みの店を回ることになりそうだ。カウンター脇の二人向かい合わせになるテーブルに通される。
「日本酒飲も、日本酒」
「良いですね。あ、日本刀ある」
「それ迷わず『カタナ』って読めるあたり流石だよな」
「最初は読めなかったですけどね、流石に」
ぱっと目に付いたからと私は日本刀、コウタさんは酔鯨を頼んで何度目かの乾杯。あん肝いくら乗せというなんとも痛風患者の方が怯えそうなつまみがあったので注文してみる。痛風になると言われる食材は、大概がお酒に合いすぎる。
「ヤバいなそれ」
「でも絶対美味しいですよ」
「俺痛風じゃなくて良かった」
「ビール結構飲まれるけど大丈夫なんですね?」
「プリン体と肝臓の数値はずーっと大丈夫なんだよな」
「最高じゃないですか」
健康じゃなきゃ酒は飲めない。しみじみ言い合いながらつまみに箸を伸ばす。
「あー…美味しい…」
「めちゃくちゃいい顔するじゃん。お、うま」
「最高…」
天才的にお酒が進むつまみだった。立ち飲みだからセーブしようと思っていたのに、うっかり私もコウタさんも、気付いたら四、五杯飲んでいた。お酒が楽しく進みすぎる角打ちの恐ろしさを痛感する。
「お水飲んでたけど、ちょっと三軒目は厳しそうな気がします…」
「立ち飲みだしな。俺もペース配分ミスった。…大丈夫?」
「気持ち悪いとかは全然。ただ、美味しく飲むならここまでだなって感じです」
「偉いな」
寄っているからか、わしゃわしゃと乱暴に髪を撫ぜられる。きゃーと笑いながらリアクションしつつ、その手のひらの温かさに思わず目を瞑った。
「会計して帰るか」
「ん…コウタさんはまだ飲めそうなら良いんですよ?」
「いや何で俺だけ残るんだよ。送るって」
「え、でも」
「デート、つったろ?」
ぱちん! と綺麗なウインクを決めて、コウタさんは店員さんにお会計の声を掛ける。私は思わず、ぽかんとしたまま。
デート。言われてみれば、そう。デートだ。過去にこんなに気負いなく楽しいデートがあっただろうか。いや、ない。そんなアホみたいな自問自答をしつつ、慌てて財布の準備をする。
「コウタさん、幾らでした?」
「ん? あー、千円で」
「いや絶対嘘。幾らです?」
「えー…じゃあ飲ませすぎたお詫びってことで千円にしといてよ」
「なんでお詫び」
「もうちょい連れていきたい店もあったし、行きたい店もあったろ? だから」
大人だなあ、と口を噤む。あの手この手で私が断りにくい言葉を選んでは、不快にならないラインで対等には扱わないスマートさ。甘やかされてるようでいて、その実、私はどこまで行っても庇護下にしか置かれない。始まりを考えれば当然だけど、何故か歯痒くて。
そんなモヤモヤとした気持ちを抱える私に気付いたらしい。コウタさんは柔らかく微笑んで、私の言葉を待ってくれていた。




