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聖女様に恋した俺は死ぬ気で最強の戦士になった。でも彼女は勇者の恋人だったから、俺は静かにパーティを抜けることにした。  作者: ledled


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第二話 崩壊する勇者パーティと、手遅れの告白

翌朝、ライナスの不在が発覚した時、パーティの空気は凍りついた。カイエンのテントの前に置かれた一枚の羊皮紙。そこに記されたあまりに簡潔な別れの言葉に、誰もが絶句した。


「ふん、なんだあいつは。勝手な真似をしやがって! だがいいさ、あんな陰気な男が一人いなくなったところで、俺の勇者パーティは揺らぎもしない! 代わりなどいくらでもいる!」


カイエンは羊皮紙をくしゃくしゃに丸めて投げ捨て、虚勢を張った。だが、その声がわずかに震えていることに、魔法使いのリディアと僧侶のギデオンは気づいていた。二人の顔色は、土気色を通り越して青ざめている。


「カイエン様、本気で言っているのですか……?」

「ライナス殿がいなければ、我々は……!」


彼らの不安を、カイエンは一蹴した。


「うるさい! 俺が勇者だ! 俺がいれば何も問題ない! さあ、魔王城は目と鼻の先だ、出発するぞ!」


カイエンの号令に、誰も逆らうことはできなかった。だが、パーティを包む空気は、もはや決戦前の高揚感ではなく、死地へ向かう罪人のような絶望感に満ちていた。

セラフィナは、血の気の引いた顔で唇を噛みしめていた。自分のせいだ。昨夜、自分がカイエンの言葉にすぐに反論しなかったから。うつむいてしまったから。ライナスは、あの光景を見て、すべてを諦めてしまったのだ。彼のあの、光を失った瞳が脳裏に焼き付いて離れない。

(私が、彼を追い詰めた……)

後悔と自責の念が、彼女の心を鉛のように重く沈めていた。


その日の午後、パーティの不安は最悪の形で現実のものとなる。魔王城へと続く最後の関門、「骸の谷」を抜ける道中、大規模な魔物の群れに遭遇したのだ。以前なら、ライナスが一人で前線を構築し、巨大な盾で敵の猛攻を完全に遮断してくれている間に、後衛が安全に魔法を準備できた。


だが、今は違う。


「ぐあっ!」


急遽前衛を任されたカイエンは、数体のオークの同時攻撃を受けただけで、いとも簡単に弾き飛ばされた。彼の聖剣は一体の敵を倒すことには長けているが、面での攻撃を防ぐ術を持たない。


「カイエン様!」

「詠唱が……! 敵が近すぎます!」


前線が崩壊したことで、魔物の群れが後衛にまで殺到する。リディアの魔法は何度も中断され、ギデオンの回復魔法も、次から次へと増える負傷者に追いつかない。


「ちくしょう、こいつら、こんなに強かったか!?」


カイエンは悪態をつきながら、自分の身を守るのに手一杯だった。仲間を守る余裕など、彼には微塵もなかった。セラフィナも必死に治癒魔法を飛ばすが、敵の爪が、牙が、すぐそこまで迫っている。

これまで、どれほどライナスの背中に守られていたのか。あの寡黙な戦士が、たった一人でどれだけの脅威を押しとどめてくれていたのか。パーティの誰もが、骨身に染みて理解していた。彼がいたからこそ、勇者パーティは「最強」だったのだ。


「撤退! 一旦退くぞ!」


カイエンの情けない声が響き渡り、パーティは満身創痍でほうほうの体で逃げ出した。その背中に、魔物たちの嘲笑うかのような咆哮が突き刺さる。これが、支柱を失った勇者パーティの、あまりにも惨めな現実だった。


数日後、パーティは負傷した兵士を引きずるようにして、それでも意地だけで魔王城の玉座の間にたどり着いた。リディアとギデオンの顔には生気はなく、ただ命令に従うだけの機械のようになっていた。


「はは……ついに着いたぞ。なあ、セラフィナ。お前の最終奥義さえあれば、こんな傷など関係ない。一発で逆転できる!」


カイエンは最後まで楽観的だった。だが、彼の言う聖女の最終奥義【聖域天啓サンクチュアリ・レベレーション】は、術者であるセラフィナの命を大きく削る代わりに、仲間全員に神的な加護を与え、不死に近い再生能力と、魔を滅する力を付与する禁術。

しかし、その強大な力を受け止め、敵の攻撃を捌ききるための圧倒的な「器」――すなわち、鉄壁の前衛がいなければ、まったく意味をなさなかった。ライナスがいればあるいは、と思ったが、今のカイエンでは、その力の奔流に耐えきれず自滅するのが関の山だろう。

セラフィナは、静かに首を横に振った。もう、カイエンに付き合うのは限界だった。


玉座の間に鎮座していた魔王は、人間たちの姿を認めると、ゆっくりと立ち上がった。その体躯はそれほど大きくない。だが、全身から放たれる、底知れない魔力のプレッシャーだけで、カイエン以外のメンバーは立っていることすらやっとだった。


「ようこそ、矮小なる勇者よ。我を滅しに来たか。その傷だらけの有様で?」


魔王が面白そうに唇を歪める。


「黙れ! 聖剣の錆にしてくれる!」


カイエンは虚勢を張って突撃するが、魔王は身じろぎもせずにその聖剣を指二本で受け止めた。信じられない光景に、カイエンの目が大きく見開かれる。


「これが、勇者の力か。児戯にも等しい」


次の瞬間、魔王が軽く腕を振るうと、カイエンの体は紙切れのように吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた。聖剣が甲高い音を立てて手から滑り落ちる。圧倒的な力の差。もはや、戦にすらなっていなかった。


恐怖に顔を引きつらせたカイエンは、這うようにして後ずさる。そして、彼の碧眼が、絶望の中で最も醜悪な光を宿した。彼は、震える腕でセラフィナを指さした。


「せ、聖女! そうだ、聖女がいる! お前が前に出ろ! お前のその聖なる力で、奴の足止めくらいできるだろう! 時間を稼げ!」


その言葉を聞いた瞬間、セラフィナの中で、何かが音を立てて砕け散った。

仲間を、守るべき民の象徴である聖女を、盾にしようというのか。この男は。

ライナスは、たった一人で、私たち全員を守るために、あの巨竜の前にすら立ったというのに。

もう、いい。

もう、うんざりだ。


「……お断りします、勇者様」


冷たく、澄みきった声が玉座の間に響いた。カイエンが驚愕の表情でセラフィナを見る。彼女の蒼い瞳は、もはや何の感情も映さず、ただ絶対零度の光を湛えていた。


「私は、あなたのような方を守るために聖女になったのではありません」


彼女はカイエンに背を向けると、リディアとギデオンに言った。


「行きましょう。ここにはもう、私たちの守るべきものはありません」


その言葉に、二人はハッとして頷くと、セラフィナと共に玉座の間から逃げ出した。背後でカイエンの「待て! 俺を見捨てるのか!」という絶叫と、魔王の高笑いが響く。それが、勇者パーティの魔王討伐が、歴史に残る大惨敗として記録された瞬間だった。

追撃を受けて再起不能の重傷を負ったカイエンは、もはや勇者として立つことすらできなくなったという。


王都に帰還したセラフィナが最初に向かったのは、神殿ではなく王城だった。彼女は国王の前に進み出ると、聖女の証である白銀のサークレットを外し、静かに差し出した。


「陛下。私は本日をもって、聖女の地位を返上させていただきます」


突然の申し出に、玉座は騒然となった。


「何を言うか、セラフィナ! お前は国の宝なのだぞ!」

「魔王はまだ健在なのだ! お前がいなくては、この国はどうなる!」


王や神官たちの引き留めの言葉も、もはや彼女の心には届かなかった。


「国が本当に必要としていたのは、私ではなく、名もなき一人の戦士でした。その彼を、この国は、そして私たちは、自らの手で追い出してしまったのです。聖女の資格など、私にはもうありません」


彼女の決意は固かった。誰が何を言おうと、その瞳の光が揺らぐことはない。すべてのしがらみを断ち切り、ただ一人の人間「セラフィナ」として、彼女は王城を後にした。

行くあては、一つしかなかった。


それから、彼女の長い旅が始まった。

ライナスを探して。

彼が生まれ育ったという辺境の村へ。彼が傭兵として戦ったという紛争地帯へ。彼が修行したと噂される人跡未踏の山脈へ。

手がかりはほとんどなかった。だが、彼女は諦めなかった。あの寡黙な戦士にもう一度会って、謝らなければならない。そして、伝えなければならない。自分の本当の気持ちを。

季節が巡り、夏が秋に、秋が冬に変わる頃。数ヶ月に及ぶ捜索の末、彼女はついに、ある噂を耳にする。雪深い北の果ての村に、黙々と働き、時折村を襲う魔獣を一人で退治する、黒髪の男がいると。


凍てつくような風が吹き荒れる、北の辺境の村。世界が白一色に染まる中、セラフィナは一軒の小さな家の前で足を止めた。家の前で、一人の男が黙々と薪を割っている。

トン、トン、と斧を振り下ろす規則正しい音だけが、静寂の中に響いていた。長く伸びた黒曜石の髪。鍛え上げられた背中。

間違いない。ライナスだ。

彼がこちらに気づき、動きを止める。薪を割っていた斧を持ったまま、突然現れたセラフィナの姿に驚き、灰色の瞳を大きく見開いて身を硬くした。その顔には、困惑と、わずかな怯えのような色が浮かんでいる。


「……なぜ、聖女様が、このような場所に」


絞り出すような彼の声は、ひどく掠れていた。彼が自分をまだ「聖女様」と呼ぶことに、セラフィナの胸が痛む。彼女はゆっくりと彼に歩み寄り、その数歩の距離が、永遠のように長く感じられた。


「探しに来ました。あなたに、伝えたいことがあって」


セラフィナの声は、寒さのせいか、こみ上げる感情のせいか、震えていた。彼女の蒼い瞳から、こらえきれなかった涙が一筋、頬を伝う。


「ごめんなさい、ライナス……! ごめんなさい……!」


涙ながらに、彼女はすべてを告白した。カイエンとは恋人などではなく、ただ王命と聖女という立場に縛られていただけだったこと。彼の過剰な振る舞いに、内心ではずっと苦しんでいたこと。そして、あの夜、すぐに否定できなかったせいで彼を深く傷つけ、追い詰めてしまったこと。


「あなたの……あなたの寡黙な優しさに、私はずっと救われていました。いつも私たちのために傷だらけになるあなたの背中を見るたびに、胸が締め付けられました。私が本当に心惹かれていたのは、勇者様ではなく、あなただったのです……! それなのに、私は、あなたを苦しめることしかできなかった……!」


嗚咽混じりの告白を、ライナスはただ呆然と聞いていた。

勘違い? すべて、俺の勝手な思い込みだったというのか?

彼女は、俺のことを見ていてくれた?

カイエンとの関係に苦しんでいた?

知らなかった。何も。自分はただ、目の前の光景だけを信じ込み、絶望し、勝手に彼女の前から姿を消した。その自分の行動が、彼女をどれほど苦しめていたかなど、考えもしなかった。後悔の念が、巨大な波となって彼の全身を打ちのめす。同時に、彼女へのどうしようもない愛しさが、虚無に満たされていた心を満たしていく。


ライナスは持っていた斧をそっと地面に置くと、おずおずと彼女に手を伸ばし、その頬を伝う涙を無骨な指先で拭った。


「……もう、聖女様では、ないのですね」


静かなライナスの問いに、セラフィナは涙で濡れた顔のまま、それでも懸命に微笑んでみせた。


「はい。王都にすべてを返してきました。もうただの、セラフィナです」


その言葉に、ライナスもまた、何かから解放されたように、ふっと息を吐いた。


「俺も、もう勇者パーティの戦士ではありません。ただのライナスです」


二人は、雪が舞い落ちる静寂の中で、ただ見つめ合った。失われた時間は戻らない。魔王の脅威もまだこの世界から去ってはいない。

しかし、凍てつくように冷たい世界の中で、彼らはようやく、寄り添うべき唯一の相手を見つけ出した。それは絶望の終わりであり、二人にとっての、あまりにも遅すぎた、本当の物語の始まりだった。


―――後日、愚かな勇者を失い、絶対的な守護者を自ら手放した王国が、勢いを増した魔王軍の攻勢に苦しめられ続ける中、雪深い北の辺境で「女神のような美女を連れた伝説の剣鬼が、たった二人で魔王の軍勢を退けた」という噂が、吟遊詩人たちの間で囁かれ始めるのは、また別の話である。

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