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第1話 2秒間で変わる運命

 

 秋の夕暮れ、低い西日がブロック塀を赤く染める。


 学校の帰り道、俺は少し暗い気持ちのまま、住宅地の細い歩道を歩いていた。

 その十数メートル先、同じ制服を着た少女が小さなトートバッグを肩に掛けて歩いているのが見えた。

 肩までの髪が、風に揺れて頬をかすめた。夕陽を透かして、栗色の光が一瞬きらめく。


(うちの制服だ)


 ――不思議と、目が離せなかった。


 どこにでもいるようで、なぜか印象に残る後ろ姿。

 時折、チラリと見える真面目そうな横顔に、少しだけ幼さが残っていて、頬に柔らかい光が宿っていた。

 

 その時だった。


 バァン!


 破裂音。

 なにかが裂ける音が、静かな住宅街を切り裂いた。


 視線を向けると、軽トラックが角を曲がり損ねて歩道に突っ込んでくる。車の前輪がパンクをしたのだろう。ハンドルを取られて正常な動作ができずに走行している。

 運転席の男がブレーキを踏み込み、顔を歪めて叫んでいた。

 

 トラックの進路の先に――彼女。


「危ない──!」


 叫ぶより先に、俺の右手がポケットの中の冷たい金属を掴んでいた。

 黒く古びたストップウォッチ。中央にひとつだけ赤いボタン。


 ためらいなく押し込む。



 ──カチリ。



 その瞬間、音が消えた。


 世界全体が、ふっと息を止めたように静まり返る。



 ストップウォッチの液晶には「2.00」。

 赤い数字が「1.99」「1.98」と減っていく。



 暴走していた鉄の塊は釘で打たれた昆虫のように止まっている。

 タイヤの破片が宙に浮かび、灰色の世界が広がっていた。


 俺は走り出す。


 彼女の肩を掴み、思い切り引き寄せる。


 「0.04」「0.03」「0.02」――


 俺達は安全な場所へ彼女を抱えて倒れ込む。


 「0.00」


 表示が消えた瞬間、音が戻った。


 タイヤの焦げた匂い。ブレーキの悲鳴。

 トラックが壁に軽くぶつかり、鈍い衝撃音を響かせて停まる。


 俺の腕の中で、彼女が小さく震えていた。

 イヤホンの片方が外れ、驚いた瞳がこちらを見上げる。夕陽の反射で、瞳の奥に金色が混じって見えた。

 俺の心臓が高鳴った。俺はこの2秒間で何かが変わったのを感じていた。


 俺は腕の中の彼女に声をかけた。


「……だ、大丈夫、ですか?」


 彼女は小さくうなずき、息を整えながら言った。


「あ、はい……ありがとうございます」


 声は震えていたけれど、澄んでいた。

 夕暮れの空気の中で、その声だけがはっきり届いた。


 通りの向こうでは、トラックの運転手が青ざめた顔で駆け寄ってくる。

 近くの家の人たちも心配そうに集まり始めた。


 俺は彼女を支えながら、ポケットの中のストップウォッチを確かめた。

 赤いボタンは光を失い、灰色に沈んでいる。


(……2日前、この妙なストップウォッチを拾った時から、俺の日常は変わり始めていた)



 * * *



 俺、間野(まの) (しゅん)がこの奇妙なストップウォッチに出会ったのは今から一週間前の登校中だった――


 川沿いの通学路。

 朝日が昇り、川面を淡い金色に染めていた。


 いつもの橋を渡ろうとしたとき、視界の端で小さな光が目に入った。

 川原の石の間で、陽の光を受けた何かがきらりと反射していたのだ。


「なんだあれ?」


 俺は階段を降り、土手に立った。


 そこにあったのは、黒いストップウォッチだった。ずいぶんと傷が入っていて古びた外装。その上部のボタンだけが、やけに鮮やかな赤を放っている。


「今時、ストップウォッチか。学校の授業くらいでしか使わないんじゃないかな」


 拾い上げた瞬間、手のひらに冷たさが刺さった。

 何気なくボタンを押す。


 ──カチリ。


 最初、ストップウォッチの表示に「2.00」と浮かび上がった。


 その瞬間“世界が止まった”。

 これは比喩ではない。そのままの意味だ。


 川の流れが途絶え、空の雲が静止する。

 飛んでいたツバメが空中で固まり、土手を走る犬も宙を駆ける姿のまま動かない。

 そして色が抜け落ちたように、景色は灰色に沈んでいた。


「え?」


 最初、ストップウォッチの表示に「2.00」。

 「1.12」「1.11」……カウントダウンだった。


 息を呑む。心臓だけがやけに鮮やかに動いている。

 そして「0.00」を示した瞬間、上部のボタンの赤い光が消えて灰色に変わった。


 水音が戻り、ツバメが飛び始め、犬が走り出す。

 俺は息を飲み込み、手の中のストップウォッチを見つめた。


「な、なんだったんだ今の!?」


 俺は焦りながらももう一度ストップウォッチのボタンを押す。

 カチカチ


 だが、ストップウォッチのボタンを何度押しても反応しない。


「……一回こっきり、か? 気のせいだったかもしれないけど時間が止まった気がするぞ。一旦、持って帰ってみるか」


 帰宅して観察してみても、その夜は一つだけあるそのボタン灰色のままだった。



 * * *



 翌日の登校中。ストップウォッチのボタンの赤が再び灯っていた。

 前に押してから、ちょうど二十四時間が経っていた。


(これは仮説だけど、このストップウォッチは2秒だけ時間を止められる物なんじゃないか? それも24時間に一度だけ)


 恐怖と好奇心が胸の中で混ざる。


 俺はポケットの中の持ってきていた、黒いボディのストップウォッチを握った。

 そして恐る恐る――赤いボタンを押してみる。


 ──カチリ。


 案の定、世界が静止する。


 舞い上がった枯れ葉が空中で静止し、空の飛行機が止まった。

 そして外の電線に止まったカラスが、羽を広げた姿勢で固まっている。


「……マジかよ」


 短すぎるのに、息を呑むほどの永遠にも感じられた。

 表示が「0.00」に戻ると、風が再び俺の頬を通りぬけた。


(やっぱり現実だ……)


 けれど同時に、少しだけ怖くなった。

 使い方を間違えたら、取り返しのつかないことになるかもしれない。

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