そういう風に僕は設計されている
ライトの熱さがちりちりと前髪をくすぐる。
二曲歌い終えて、会場のボルテージは正直、良くない。
前回の初ステージは、複数のアイドルが出演するライブだったから盛り上げてもらえた。ただそれだけだ。よく知らないアイドルや、さして好きでもないアイドルにも礼儀正しく盛り上がってみせることができる人々、あるいは本当に心底楽しめる人々が多く居る環境だった。ここは違う。ここは僕にとってアウェーだ。意地でも顔を上げない人、冷たい目で真っ直ぐ見つめてくる人、それにくじけて一度はあげてくれた歓声を引っ込めた人。
僕は冷静だった。冷静に動揺していた。この状況が絶望的であることを正しく理解し、順当に打ちひしがれている。
帰らなければならない。
歌い終えたら、僕はなにも言わずにここから去る。そういう風に僕は設計されている。
踵を、返しかけた。
今まさに逃げ込もうとしていた舞台袖から、眩しい光が差してくる。
そんなはずはない。今ここでどこよりも明るいのは、このステージの上だ。舞台袖はその光の裏にある影であるはずだ。それなのに、光のかたまりが押し寄せてくる。
「なにしてくれとんねん!」
ドムッ。と、衝撃。
晃市兄さんが僕の肩に肩をぶつけ、腰を落とした低い姿勢から、僕を睨み上げていた。
「おうおうおう、やってくれたのぉ、坊ちゃんよぉ。ワシらがホンマは高貴で上品な王子様いうんはな、企業秘密ですねん。分かるか? 営業妨害すなや、えぇ?」
「ああっ!」今度は晃市兄さんの後ろに居た秘兄さんが大声を出した。「どうしよう! オレたちが本当はちゃちな一般大学生じゃなくて、お姫様を探すためにアイドルをしてるロイヤルなプリンスなんだってことが、もしここに居るお姫様候補のみんなにバレたら……」
「バレたら、どうなっちゃうんですか?」
不安げに問うたのは佳狩兄さんだ。
「ちょっと待って……。今の言い回しは、良くない……」
答えを待つ前に口を挟んだのは、厳しい顔をしている特真兄さん。
「ファンのみんながお姫様候補で、その中からオンリーワンを探します、っていうロールプレイは……不健全だ……。ファンはお姫様って、それだけ言いきって、複数とか単数とか意識させないか……あるいは、最初からファンは複数っていう前提の上に成り立つ設定に、しておかないと……」
「やばっ、そっか」秘兄さんは広げた左手を右の握り拳でポンと打った。「マジでファンの子と付き合っちゃいました、みたいなことになったら、『オンリーワンまじで見つけやがった』って炎上しちゃうよね」
「付き合うな付き合うなファンと!」おもむろに晃市兄さんが大真面目なトーンでまくし立てた。「付き合っちゃったらそれだけで炎上なの! いいですかみなさん、俺ら、誰とも付き合いませんからね! 夢見ないでくださいね! 一定の距離は保ちましょう、距離!」
客席が、爆発した。いや、違う。弾けるような笑い声で、凍り付いて凪いでいた空気が吹き飛んだのだ。
「瀬斗くんは? お姫様、探してるんですか?」
佳狩兄さんがにこりと僕に笑いかける。
舞台袖に置き去りにしてきた心臓が、いつの間にか胸の真ん中に戻ってきていた。脈打ち、あたたかな血液が、酸素が、巡っていく。息の仕方を思い出した。
細い髪を揺らすようにかぶりを振る。
「いいえ。今はもう探していません」
「ってことは、昔は?」
「昔もなにもステージに立つの二回目だからな、この人」
晃市兄さんが僕を指差したが気にしない。
「昔は、探していました。でも、見つけた。僕のお姫様は、キミだ」
二人称を単数に。けれど視線は会場中に巡らせる。
「付き合いませんからねー! 瀬斗くんも付き合いませんよ! ダメですからね! 勘違いして出待ちとかやめてくださいねえー!」
「なあ晃市、さっきのヤがついてそうな自由業っぽいキャラ、なんだったんだ……?」
「今それどうでもいいだろぉ、忘れろよぉ」
どんどんボルテージを上げていた晃市兄さんが特真兄さんに静められ、というより沈められ、また客席がどっと笑いで溢れる。
「とりあえず、もう開演時間だから……瀬斗くん、帰ってもらわないと……」
「靴、片方落として行ったりとかしないでね」
佳狩兄さんが心底心配そうに僕の足を覗き込む。
「最後になにか言い残したことはねえか?」
「今際の際みたいな言い方やめな晃市」
「僕の唯一無二のお姫様、また一緒に踊ってくれますか?」
「隔離! 隔離ーっ!」
晃市兄さんにぐいぐいと舞台袖に押しやられながら、笑顔で客席に手を振る。
みんなも、笑ってくれている。
僕一人で成したことではない。けれど、それで構わない。これが僕の存在意義のはずだ。
フォー・カントリーに会いに来たみんなを笑顔にするための、ほんの小さな起爆剤のひとつ。