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婚活OL=少年アイドル  作者: 多部 対名
秘策があんの
18/23

ただ、純然たる僕でいたい

 それから一週間。

 具体的な対策案は、まだ、ない。

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 かたかた、無音、かた、無音。そんなペースで書き進め、なんとか予約投稿をセットし終えた。さて次は備品の発注をしなければ、と尻を上げ、発注書を片手に事務所内を物色する。箱ティッシュ、油性ペン、A4ラミネートフィルム……。

 ホワイトボード用のペンの残量を確認しながら、書き記されているスケジュールに目をやる。

 久道さんとフォーカンのメンバーたちは、取材を受けるため横浜まで出かけている。取材元は小さなウェブメディアだが、向こうが衣装やヘアメイクも手配したうえでばっちり写真を撮ってくれるのだという。全員そのまま事務所へは戻らず直帰の予定だ。

 事務所で黙々とルーチン業務をこなしていると、頭がすっきりしてくる。昨今はさして頭を使わない仕事は機械に任せるべきであるという風向きになっているが、ガス抜きのために人間がやる余地も残してよいのでは、と思う。

 やらなければならないけれど、やり方は分かっている、とても簡単なこと。それに時間と体力を僅かに費やして、対価として微々たる達成感を得て、ほんの少し日々が満ち足りる。

 あれこれ書き込んだ発注書をファックスで送り、商品が到着するまでは控えとしてファイルの中に入れておく。ちょろちょろと掛かってくる電話に対応しながらメールを確認。生配信のトークテーマ募集の名目で開設しているメッセージフォームの確認。動画配信チャンネルのコメント欄からスパムを通報。このとき、無差別スパムではない直接的なアンチのコメントには手を出さないのがミソ。エゴサをして、情報の取捨選択をしながら、久道さんに報告書を作る。昨日届いたばかりの新曲の仮歌音源を繰り返し聞いて、身体に沁み込ませる。

 午後四時。一通りルーチン業務が終わってしまった。あとはもう、難しいことを考えるくらいしか、今日の仕事は残っていない。

「母に見られても娘だとバレない瀬斗」を仕上げなければならない事情については、久道さんに相談済みである。フォーカンのメンバーにも共有している。一応自社アイドルのピンチということで社長にも伝えてみたが、「まあいざとなったら春日原くんとお母さまをシュノーケリングに連れて行ってあげよう、ただ雄大に構えているだけの海を前にしてゴチャゴチャと道具を用意して準備運動をして面倒な手順を踏まなければ命も守れない人間の営みのチンケさを思えば、なにもかもがどうでもよくなるさ」とあまりにも先を見据えすぎており、まったく役に立たなかった。人間はチンケな営みを繰り返すところにこそ可愛げがある。私は今目の前にあるピンチを乗り越えるためのチンケな営みを諦めるわけにはいかない。

 取り急ぎ久道さんとの相談の末に決まった「設定」を踏まえ、母には既にこのような連絡を入れてある。

──一月二十五日にフォーカンは福岡でライブを開催するが、担当プロデューサー兼マネージャーもそちらに同行するため、私は事務所に残って留守番をする。彼らは二十六日の夜に東京へ帰るから、入れ替わりになるよう、私は二十七日から帰省する。

 実際は私も二十五日の朝から福岡へ行き、事務所には社長が残ってくれることになっている。二十五日は移動、リハ、ライブ本番。二十六日は観光をしつつオフショットを撮影するフォーカンに、久道さんとともに同行。夜は福岡空港まで五人を見送り、近場のビジネスホテルで一泊。そして二十七日の昼頃、「今こっちに着きました」という顔をして実家へ帰る。

 こうして一連の流れだけを考えればどうってことないのだが、「ライブ本番」の部分にあらゆるストレスの比重がかかっている。瀬斗の正体が私であると、母に気づかれてはならない。ああ、くだらない。なんだかくだらない悩みに思えてきた。もうバレてもいいのではないか? いやダメだ。「お姫様を探してる? つー、女の子が好きなん? いいやんいいやん、お母さん、娘がもう一人欲しかったんよ。お嫁さん候補はもうおるん?」などと言い出されては困る。撤回が通じないあの人に一度なにか勘違いされたらおしまいなのだ。ああ、でも、いやだ、だめだ、面倒くさくなってきた。何もかもかなぐり捨てて、久道さんとどこか遠くへ逃げたい。でも今は円安だからなあ、海外はちょっとなあ。気分だけ味わおう。ハウステンボスとかスペイン村とか──

「へぶしっ」

 自分のくしゃみで我に返った。情けない。現実逃避している場合ではないのに。

 仕方ない。踊るか。

 私のデスクは窓を背に設置されており、椅子に座ったまま後ろに手を伸ばせば窓の開閉ができるほど狭い。しかしデスクトップパソコンの向きを九十度回転させれば、画面とスピーカーを休憩スペースの方へ向けられる。積み上がったダンボールなどをぐりぐり押しのければ、ちょっと踊るくらいのスペースはできるというわけだ。

 自分のスイッチを切り替えるため、ロッカーからレッスン用のジャージを出し、倉庫で着替えてきた。

 変わる。自分が変わる。セミロングの髪が肩にかかっていることが、さっきまでは当たり前だったのに、急に違和感を覚える。ハーフアップにしていたゴムをほどいて、ポニーテールに結い直す。

 福岡のライブでは、僕は三曲披露できることになった。これまではどんなライブでも二曲までだったけれど、満を辞して用意した僕専用のソロ曲を完全サプライズで披露するというのが、久道さんの戦略だ。この曲が作られていること自体、まだ明かしていない。

 いつも通りフォーカンの曲を二曲カバーして、いつも通り出番を終えると見せかけて、僕は、アカペラで歌いはじめる。僕による、僕のための──いや、お姫様のための、特別な一曲を。久道さんはこの演出を最初から見越したうえで、僕の曲を「イントロなしでアカペラで歌いはじめる曲にしてほしい」とオーダーしていたのだという。

 けれど、楽曲自体が昨日できたばかりのものだ。もちろん振り付けの動画はまだコレオグラファーから届いていない。

 それでも僕は、踊りたかった。

 上書きされる前のまっさらな気持ちで。頭の中を、心のくたびれた引き出しを、からっぽにして。

 物語めいた儚い歌だ。Aメロはアカペラ、Bメロから囁くようなピアノの旋律。海の底へ、大切な人との思い出の花を一論、摘みに行く。サビで荒波のようにストリングスが重なり、しかしそれはすぐに引いていく。続くのは静かなピアノだけ。今度は宇宙の果てへ、寂しさを潤すための雫を一滴、掬いに行く。もうストリングスが入ることはない。むせ返るほど抒情的で、前衛的な構成だ。

 久道さんは、フォーカンの曲を依頼するときは、「歌詞は当たり障りなく無害な感じに」だとか「サビは複雑にせず子供も歌って踊れるくらいシンプルに」と言うことが多い。けれど、僕の曲に関しては、彼はとびきりトリッキーなクリエイターに「好きにやっちゃってください」としか言わなかった。

「かっこいーねえ、せっちー」

「わあっ」

 いつの間にか被っていたヴェールを、さあっと引きはがされたような感覚。驚きでどぎまぎしながら振り返ると、秘兄さんが肉まんを頬張りながら僕を見ていた。どうしてここに居るのだろう。今日は横浜で撮影をして、そのまま事務所へは戻らない予定だったはず。

「山下公園でスウィーピングしてきたの」僕の疑問を見透かしたのかそうでもないのか、秘兄さんはもぐもぐやりながら言った。「せっちーも肉まん食べる?」

「僕は大丈夫です。お気持ちだけ、ありがとうございます」

「そ」

「食べながら帰ってきたのですか?」

「まさかあ。横浜からここまで電車で一時間かかるんだよ。持って帰ってきて、さっきレンジであっためたの」

「あの。スウィーピングって、なんです?」

「ざっくり言うと虫取りしてきたってこと」

 こともなげに言う。

 秘兄さんは無類の虫好きである。先日ライブハウスに黒光りのあれが出たとき、秘兄さんはすかさず特真兄さんの衣装のグローブをはぎ取って阿鼻叫喚の客席に嬉々として飛び込み、グローブをつけた手で颯爽と捕まえ、しばし観察の末に正面入り口から外へ出て、涼しい顔でステージに戻ってきた。そして甘い声でこう言ってのけた。「ホントは素手でいきたかったのに、ちゃんと我慢したオレ、偉くない?」

 その後、グローブをクリーニングに出して済ませるか新調するかでひと悶着あった。グループ内では世話焼きの長男といった印象の特真兄さんのあんな狼狽ぶりは、そうそう見られない貴重な姿だった。

「おっ。アンディ」

 回想にふける僕をよそに室内をうろうろしていた秘兄さんが目を輝かせた。肉まんの最後の一口を放り込み、じっと一点を見据える先には、小さな蜘蛛。

「名前をつけているのですか?」

「この子に、ってわけじゃないけどね。アダンソンハエトリグモには全部アンダーソンって名付けてんの。だからアンディ。おーい、ごはんあげるから、おいでおいで」

 そう言ってどこからともなく出した虫かごの中に蜘蛛を誘い込んでいる。人懐っこいのか、秘兄さんに促されるまま、すんなりと中へ入っていった。

「秘兄さん」

「んー?」

「僕は、どうすればただの僕でいられるでしょうか」

「なに? 哲学?」一瞬きょとんとした秘兄さんだったが、すぐに「ああ」と顎を引いた。「そういう話ね」

「僕は僕でいる間、ただ、純然たる僕でいたい」

「純然たる僕ねえ。ま、自然にある海水だって、ありのままで真水とは呼べないわけだけど」

 なにか難しいことを言いながら、秘兄さんは虫かごの中に別の小さな箱を押し込んでいる。あの中に「ごはん」が入っているということなのだろう。

「前にも言ったの、覚えてるかどうか分かんないけどさ。オレたちは誰も理解者になってあげらんないよ。だってオレは、なにしててもオレなんだもん。みんなもそう。晃市はなにしてても晃市。佳狩も、特真も。でも、せっちーは違う」

「そう、ですよね。僕が自力で解決するしかないですよね」

「味方にならないとは言ってないじゃん」

 にまりと笑いながら、秘さんが歩み寄ってくる。

「だいじょーぶ。秘策があんの」

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