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婚活OL=少年アイドル  作者: 多部 対名
なんとかなりますよ
11/14

周辺B済

 灼熱の九月一日。

 事務所の壁には、スケジュール管理システムを導入している会社からもらったカレンダーがかかっている。社員が撮影した写真から選りすぐりのものを採用しているとかで、四月は桜であったり、十二月はイルミネーションであったり、ごく一般的なデザインである。夏場の写真は、六月は雨露に濡れる郊外のバス停、七月は爽やかな快晴の海辺、八月は汗を拭き拭き営業へ出る社員の後ろ姿。それをべりばりと捲り、あらわれた九月の写真は、お団子が乗ったお皿の隣でうたた寝をしている猫であった。

 カレンダー特有のイマジナリー十二ヶ月。実際のところ雨がだばだば降るのは六月より七月だし、九月なんぞまだまだ夏の盛り。窓外ではコンクリートからむうむうと暑気が立ち昇り、向かいのビルの輪郭を曖昧に滲ませている。

 九月一日といえば高校生の頃までは一年で最も憂鬱な日であったが、社会人にとっては出勤日のすべてがどれも等しく憂鬱である。

 しかし、大学生だけは違う。八月を少し過ぎてから始まった彼らの夏休みは、九月の半ばまで続く。

 今日のフォー・カントリーの仕事は、朝から昼過ぎまでレッスン、夕方は特に無し、夜から生配信。私は事務仕事をするだけだ。

 一応アイドルデビューこそしたが、瀬斗はフォーカンのライブに半々の確率で出没する謎王子、それ以上でも以下でもない。他の仕事は一切しないし、レッスンの頻度もそう多くはない。他にやったことといえば、事務所のホームページに載せるための宣材写真を撮ったくらいだ。私の雇用形態も、給料に手当が加算されただけの正社員。本業はあくまでデスクワークである。

 私はそれに満足している。私は、シー・コック・プロモーションの事務員。瀬斗の活動は、あくまで自社アイドルを売り出すための営業施策に過ぎない。──というのは、感情の前半分にある思いである。裏半分にあるのは、「久道さんに好き勝手にされたい」という乙女の欲望。片想い中のカレの理想の女になりたい、なんていうのはごく自然な願いだが、そのカレの方から私を理想の女、ではないけれど、理想のアイドルにしてくれるというのは、なんともたまらない幸福である。

 タンタンタンタンタン。と、ハイペースに外階段を上ってくる足音。あのきびきびとしたテンポ、思い当たるのは一人しか居ない。

「お疲れ様です……」

 押し開けたドアを後ろ手できちんと閉めながら入ってきたのは、案の定特真さんであった。出入り口のドアは放っておいても勝手に閉まるが、少し大きめに音が鳴るのが嫌なのか律儀なのかせっかちなのか、特真さんは必ず手ずから扉を閉める。

 いつも語尾で吐息の余韻のようなものを薄く揺らがせる独特の色っぽい話し方をする特真さんは、ヒョロガリばかりのメンバー内では比較的身体つきがしっかりしているということもあり、いつの間にかセクシー担当のような立ち位置になっている。とはいえ、フォーカンの楽曲は「なんかちょっと笑っちゃうくらいド健全」「情操教育にいい」「幼稚園で躍らせろ」とファンの間で評判になるほど安穏(あんのん)としているし、MCはバラエティと雑談ばかりだ。意図的にセクシーさを表現する瞬間はほぼ存在しないため、何気ない仕草や表情でファンが勝手にどきまぎして鍵アカウントに劣情を投稿するだけである。

「デスクさん、あれ見た……?」

「あれとは?」

「佳狩の……」

「どっしゃーい!」

 特真さんの声が遮られ、事務所に飛び込んできたのは晃市さんであった。後ろに秘さんも居る。二人して両手に抱えてきたものを応接スペース(とは名ばかりで、給湯スペースと事務員のデスクスペースの間にある三畳ほどの空間にソファとテーブルを据えているだけ)に放り投げたかと思うと、二人してエアコンの真下へ走り、二人して風を受けながら「んあ~」などと呻きはじめた。

「いやあ、あっついな、たまったもんじゃないな。汗が止まらねーのなんのって」

「やっぱオレ着替えよ」

「あーっ秘の裏切者ーっ!」

「ぷぷぷ、あいつ着替えのストックなくなってんのに持ってくるの忘れたんだって」

 それを私と特真さんに報告してどうする。秘さんは満足げに鼻を鳴らして自分のロッカーをもぞもぞ漁ると、倉庫へと消えていった。

「一体どうしたんですか、これ」

 二人が応接スペースのテーブルに放ったものを、特真さんと覗きに行く。なんともたわわな女性のグラビア表紙、その周りに所狭しとひしめくのは赤い背景に白や黄色い太字などで、ナントカへの不信だとかアレコレの新常識だとか今更聞けないカントカだとか。どれもこれも週刊誌である。

 Tシャツの下から手を突っ込んで制汗シートで腹をぐりぐり撫でていた晃市さんは、いやに生真面目に眉を顰めてみせた。

「春日原くん、これは一体どういうことかね」

「それを私から晃市さんに尋ねているのですが」

「あ、そっか。該当のページを開いてバシバシしてから叩きつけるのが礼儀だよな。失敬、失敬。今探すから、ちょっと待って」

 晃市さんが手近なものからぱらぱらやりはじめたところで、秘さんが戻ってきた。先ほどまでは水色のキュートな熊がくりくりとした目からダバダバと血涙を流しているオーバーサイズの黒いTシャツを着ていたが、今はピンク色のキュートな熊がくりくりとした目からダバダバと血涙を流しているオーバーサイズの黄色いTシャツを着ている。一連のやり取りが聞こえていたのか、秘さんも一冊取り上げて捲り始めた。

「あっ、もうっ、静電気? なんか一枚一枚きれいにさらさら捲っていけないんだけど。カラーページってこんなムカつくもの?」

 なにやらイライラしはじめたので、新しい指サックを出して渡してみると、秘さんは「なにこれ?」と首を傾げた。まったくもう!

「こう、指にはめると、いい感じに捲れるんですよ。私は利き手の親指と中指につけることが多いですね」

「ふーん。あっすごい、ほんとにいい感じに捲れる」

「え、なになに、それ左利き用ある?」

「右も左も関係ないですよ、これ。サイズは二種類ありますけど」

 晃市さんも興味を示したらしく、早速指にはめてきゃいきゃい言い出した。「捲れる! 捲れる! 大人ってすげえや!」

「これ、なんの時間……?」と特真さん。ごもっとも。

「一体なにがあったんです?」

 改めて問うてみると、晃市さんと秘さん、そして特真さんまでもがきょとんとして顔を見合わせた。

「でっちー、知らないの?」

「なにをです?」

「佳狩の……」

「お疲れ様でーす!」

 秘さんの声が遮られ、事務所に飛び込んできたのは佳狩さんであった。なにやら先ほどから噂をされている張本人である。

「うわあ、なんですかそれ。本がいっぱい。なんらかのパーティですか?」

「のんきだなあ、当事者」

「はい?」

 佳狩さんはリュックをソファに下ろしながらきょとんとした。晃市さんはさこさこと雑誌のページを最初から最後まで捲っては放り、次の一冊を捲っては放りを繰り返している。

「なあ秘、あった?」

「ない。この一冊で最後なんだけど」

「ええーっ?」

「……もう一度聞きますけど、さっきからなんの話をしているんですか?」

 再三問うと、秘さんはもくもくと膝の上の雑誌を捲りながら、顔を上げずにぽろんと言った。「佳狩の熱愛報道」

 佳狩の熱愛報道。

 佳狩さんの、熱愛の、報道?

 当の本人に視線を投げると、丸眼鏡の奥で小ぶりの瞳がはたはたと瞬きを繰り返した。

 沈黙。

 それを破ったのは、特真さんのじっとりとした溜め息だった。

「載ってるわけないだろ……フォーカンは載れるほど有名じゃないし、載るほどの炎上でもないし……」

「えっ、待って、待ってください、おれ誰かと熱愛してるんですか? 炎上してるんですか?」

「してるしてる」

 あっさりと頷いた晃市さんがスマホを操作しはじめる。

 差し出された画面を、佳狩さんと一緒に覗き込んだ。

『ねえこれカくん?(泣いている絵文字が多数)』

 添付されている写真が一枚。見慣れたリュックを背負っている佳狩さんの後ろ姿と、隣にふわふわロングヘアーの女性。

 拡散数三十一、お気に入り数八十七、返信数十六。

「盗撮じゃないですか」

 第一の感想はそれしかない。

「これ、本当に佳狩さんなんですか? お隣の方は?」

 第二、第三の疑問も出てくる。佳狩さんは「おひゃあ~」と気の抜ける声を出しながら、ソファの上でリュックを抱きしめた。

「おれです。隣は姉ちゃんです」

「なんだ、解決しちゃったじゃねえか」

「してませんしてませんしてません。よく見つけましたね、こんな検索除けどころの話ではない投稿を」

 興味をなくしたらしき晃市さんを、手近な週刊誌で小突く。

「ま、いわゆる裏アカってやつだよな、これ」晃市さんは事もなげに言う。「情報拡散とか俺らへの直接の返信とかはせずに、仲間内でやいやい話したりするためのアカウントっぽい。プロフィールに『周辺B済』って書いてあるし」

 周辺B済というのは、「アイドル本人やグループの公式アカウントなどはブロックをしているから、そのアカウントからこのアカウントの投稿は見られないようにしてますよ」という意味である。とはいえ、アカウント自体に鍵はかかっていない。晃市さんが別のアカウントをこしらえてしまえば、閲覧は可能だ。

「デスクさんなら、こういうのも見つけてると思ってたんだけど、そうでもねえの?」

「なんでもかんでも見過ぎないように多少セーブしているので……。一体どうやってこんな投稿に辿り着いたんですか」

 投降の文章はあまりにも曖昧で、ここから辿れるとは思えない。

「まずエゴサ用のアカウントで俺本人のアカウントのフォロワーを見るっしょ、そのフォロワーの投稿とか見るっしょ、うっかり「裏アカはこっちです」みたいな投稿してる子も居るわけよ、んで裏アカ同士で繋がってたりするから、芋づる式にそういうアカウントがどっさり見つかるわけ」

「邪悪……」

 私も業務の一環として似たようなことはしているが、アイドル本人がけろっと言ってのけると、なかなかにグロテスクである。

「晃市じゃなきゃ発狂しちゃうよ」と秘さん。「いや、もうトチ狂ってるからこそ、こんなに平然とやれてるのかな。オレでもそこまではやんないよ」

 最後の一冊も当然スカだったらしく、秘さんは週刊誌を放り投げて大きく伸びをした。

「周囲の方の反応はどうなんですか?」

「大したことないから放っておいていいんじゃねーかな。盗撮すんなとか、それが佳狩だとしてなんなんだとか、投稿してる子を責めてるようなのが多めだな。そのうち投稿が消えるか、アカウントに鍵かかるか、って感じ」

 ファン同士で諍いが起きるというのは、決して良い気分ではない。晃市さんも渋い顔をしている。しかし、こちらからへたに動くわけにもいかない。本人からすればアイドル側に見えないように配慮したつもりで行われていた投稿を、アイドルがガツガツ探してばっちり見つけていた──なんてことを知られたら、それこそ大炎上である。

「あとはあれだな、佳狩はガチで童貞だと信じてたのにショック、みたいなのもあった」

「んごふ」

 噎せた。佳狩さんではなく特真さんが。

「この話はやめだ、やめ……! どう答えるかとか、実際どうなのかとか、そんなのはどうでもいい……! 言及した時点で、なんか、もう、ダメだ……! 大学生のくせに当たり障りのない小学生レベルのヌルいラブソングでお茶を濁していこう、これからも……! なあ、佳狩……!」

「えっ、はい!」

 がっしと特真さんに肩を掴まれた佳狩さんが目を白黒させながらも神妙に頷く。

「過保護だなあ」と秘さん。「どーする? この件、放置ってことでいーの?」

 なんとなく視線が一瞬私の方を向いたが、誰からともなく逸らしていった。聞く相手を間違えていることに彼ら自身で気がついたのだろう。

「くどぴん、何時に来るんだろ」

 予定上では午前休ののちに午後はまず楽曲制作を依頼しているクリエイターとのミーティング、その後は下北沢のライブ会場の下見、そして十六時ごろ事務所へ出社、フォーカンとレンタルスタジオへ移動して打ち合わせ等々をして、十八時から地方公演の詳細発表生配信……ということになっている。

 現在、十五時五十分。


     ◇


 久道さんは結局事務所に来なかった。厳密に言えば事務所のビルの前までは来たが、その時既に十六時十五分。一刻も早くスタジオへ移動して段取りの打ち合わせをしなければ、十八時の配信開始に間に合わない。彼は事務所へ上がってくることはなく、社用車が停車していたのは、フォーカンの四人が乗り込むためのほんの三十秒足らずに過ぎなかった。

 走り去るミニバンを窓辺から見送る。十七時が定時の私は、帰りしなに外線が久道さんの社用携帯に転送される設定に切り替えるくらいしか、やることは残っていない。

 フォーカンのメンバーたちは久道さんを待つ間にアイスを食べたり週刊誌を捲って積み立てNISAの情報をつまみ食いして賢くなった気分になったりしているうちに、熱愛スキャンダルもどきへの興味が薄れたらしく、「一応あとで久道さんにも報告はしとくか」くらいの温度感になったようだった。

 定時までの中途半端な残り時間。はさみにこびり付いた粘着質な汚れをひっぺがしたり、複合機の用紙トレーを開いてウンまだ補充はいらないなと思って閉めたり、久道さんの椅子に座って座面をスリスリしたりしながら過ごす。

 今日は十八時から美容室の予約を入れている。本当はゆっくり夕食を済ませて行こうと思っていたから十八時半スタートが良かったのだけれど、いつも指名している美容師の後ろの予定が詰まっていて、十八時からしか取れなかった。中途半端に余る時間と中途半端な空きっ腹を持て余しながら、セミロングの毛先をいじる。瀬斗のショートのウィッグを被ると、頭は重いのに毛先の揺れる気配だけは妙に軽やかで、プライベートでもあれくらい短くしてみようかしらん、なんて思うけれど、踏み切れない。ショートカット自体への抵抗ではない、と思う。

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