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婚活OL=少年アイドル  作者: 多部 対名
夢は、ステキな旦那様の尻に敷かれること
1/4

シー・コック・プロモーション

 姓は春日原(かすがばる)、名は宇摘(うつみ)。九州出身、関東在住。二十代、女性、独身。「お仕事はなんですか?」と聞かれたら、「普通のOLです」と答える。

 夢は、ステキな旦那様の尻に敷かれること。


     ◇


 八月も半ばに差し掛かった事務所。

 己のタイピング音がやむごとに、型落ちのエアコンのムゥーッという低い音が室内に籠り、なんだかいやに尻に響く。残念ながら安産型ではないが小さく引き締まりこれはこれでオツなシルエットであるセクシーヒップをムズムズやりながら、文章をしたためていく。

──不備等なければ、ご返信には及びません。ご査収の程、宜しくお願い致します。

 書き終えたメールを前に席を立ち、ストレッチがてらヨガの「戦士のポーズ一」を試みるも、己がタイトスカート姿であることを思い出し、「椅子のポーズ」に変えた。お腹に力を入れて、呼吸をゆっくりと。

 一息ついて、改めて椅子の座面に尻をつけ、カフェラテを口に含み、それからメールの内容を再確認し、送信する。

 小さな事務所。事務員は私ひとり。

 私の存在は、言わばこの会社の「裏口の顔」だ。そう思いながら、日々誇りを持って仕事をしている。

 では表口に立っているのは誰なのか。

 だかだかと、ビルの階段を上ってくる複数の足音。

 ほどなくして、事務所の扉がしめやかに開かれた。

「ただいまー!」

 しめやかなのは開閉音だけであった。静かだった室内は突如どやどやと騒がしくなる。

「やばかったー! お狐さんの披露宴に突き合わされちった!」

 ロッカーから引っ張り出したタオルで濡れた髪をがしがしやりながら爽やかに笑う彼は晃市(コーイチ)。光る笑顔、光、コウ、コーイチ、と覚えるとよい。天気雨に降られたことをここまで婉曲に(えんきょく )表現できるやつはそうそうおるまい。

「あー、蒸し暑っ。雨上がったら、かわいこちゃんに会えるかなあ」

 入室後、いの一番にエアコンの壁付けリモコンをいじりだした彼は(ヒメ)。かわいいもの好きでちょっと横暴なおヒメ様、と覚えるとよい。しかし彼の「かわいい」は主に虫が対象である。

「雨の後って増えますよねえ、虫。はしゃいでるんですかねえ」

 ジーパンに入れていたTシャツのすそを出して丸眼鏡を拭いている彼は佳狩(カガリ)。いかつい名前に反して心優しい人間のカガミのカガリくん、と覚えるとよい。「ひとりくらい敬語キャラ欲しいよね」という秘さんの一言にのんびり従い続ける大らかさには安心感すらあるが、実のところ大層ドジである。

「入り口詰まってるから、進んで……」

 扉付近でダマになっている秘と佳狩に阻まれモゾモゾしている彼は特真(トクマ)。とかく困りがちなトクマくん、と覚えるとよい。なまじ面倒見がいいせいで苦労も多いが、耐えかねた際には引かされた貧乏くじをちぎり捨てる程度には肝が据わっている。

 四人揃って『フォー・カントリー』、通称『フォーカン』。

 我がシー・コック・プロモーションのナンバーワン、もといオンリーワンのアイドルグループである。

 去年の四月に新大学一年生四人で結成されたが、今は結成から一年四か月が経ったため、全員大学二年生となっている。

「おかえりなさい、皆さん」

 デスクトップパソコンのディスプレイ越しに顔を出すと、晃市さんは「ただいまデスクさん!」とニコニコしながらタオルを見せびらかしてきた。ご機嫌だ。グループ単位ではなく一人一人の個別グッズとしてデカデカと名前の入ったタオルを出せたのが、未だに嬉しいらしい。ただしこれは結成一周年記念グッズ。発売は四か月も前の話である。

 彼らは私を「デスクさん」と呼ぶ。デスクに座ってやるような業務を一通り請け負う立場にあるからだ。

「ねえ、でっちー」

 ……まあ、こういう変化球もある。

 給湯スペースに据えてある冷蔵庫の前にしゃがみ込んでいた秘さんは、じっとりとした目でこちらを振り仰いだ。

「オレのみかんゼリー、ちゃんと食べてるの? 全然減ってないんだけど」

「いただきましたよ、おひとつ」

「もっと食べてってば。冷蔵庫の中パンパンじゃん。ビタミンさえ摂っときゃ人間死なないんだから、三食これでもいいんだよ?」

 よしんば死なないとて気がふれそうである。

 冷蔵庫内を大量の差し入れで逼迫(ひっぱく)している張本人は、ぴいぴい鳴く冷蔵庫に「うるさーい」と一括しながら、中を引っ掻き回し続けている。

 私は決してみかんゼリーが嫌なのではない。食べたら食べただけ、秘さんの手によってゼリーを補充されるのがいやなのだ。

 世が世なら夢のような無限機構であろうが、日々食うものをえり好みできる贅沢なご身分である現代社会人の私からすれば、「ものが減らない」という状況は、なんだか途方もない心地になる。

 冷蔵庫というのは、その時々の旬のものや、運よく巡り合った珍しい食材、きっちりリサーチをして揃えたお得な品々、そういったもので日々めまぐるしくラインナップを変えながら満たしてゆくもの。それが古式ゆかしき乙女の流儀である。

 そう、たとえば、お洗濯とお掃除を終え、旦那様に作ったお弁当の残りでささやかにお昼を済ませ、手編みのかごバスケットを手にスーパーへ出かけたら、ころころまるまるとかわいらしい男爵じゃがいもがたっぷり入荷していて、まあステキだわ今日はコロッケ明日はポテトサラダ週末はおやつにじゃがバター、なんて献立を組み立てて山盛り買って、その晩旦那様が帰ってきてそんな話をしたら、偶然だねえちょうど取引先からたっぷりじゃがいもをもらってきたんだよこんなにたくさんどうしようかなんていって、掲げたビニール袋の中にもごろごろ、旦那様は困った顔をなさるの、でも私はこう返します、大丈夫ですよこれは細長いから男爵ではなくメークインですわ、煮崩れませんから肉じゃがやらカレーやらにいたしましょう、おんなじじゃがいもでも得手不得手というものがあるんですよ、そう言うと旦那様は詳しいものだねさすがだよ、やはりきみをお嫁にもらってよかったよ、なんて言って、ああいけませんあなた、お帰りの時間にあわせてついさっきコロッケを揚げ終えたんですよ、冷めてしまいますからお風呂も私も後にしてまずはお食事になさって、なんてなんてなんて……。

「あ、食べかけ発見。えー……『くどう』」

 くどう。

 その響きに、ぴくりと耳が反応した。甘やかな思考の渦から、するりと現実に舞い戻る。

 すかさず秘さんの背後ににじり寄り手元を覗き込むと、一度開封され半分ほど減ったゼリーにラップがかけられ、黒マジックで「くどう」とあった。

「それ、いただきます」

「久道さんの食べかけを貰おうとしないでください……」

 なんとか入室できたらしい特真さんが、すかさず私に寄ってきた。なぜ私を阻む?

「冷蔵庫整理の加勢をするだけですよ」

「おれのおやつを入れる隙間、ありますか?」と、更に後ろから佳狩さん。「うーん、なさそう?」

「いまスペースを空けますよ。ほら佳狩さんもこう言ってますし、私がそれをいただきます」

「なあなあ俺も腹減った、回鍋肉とか食いてーな」

「こんな暑いのに中華ぁ? むさっくるしいなあ、晃市もカブトムシを見習って食べ物くらいかわいくしなって」

 とうとう全員が集まってしまった冷蔵庫前でしっちゃかめっちゃかになりながら、しめしめこの混沌にまかせて私はお目当ての食べかけゼリーを、とコッソリ手を伸ばす。秘さんの視線が冷蔵庫から外れ、佃煮の瓶を突っ込もうと試行錯誤する佳狩さんの手が引っ込むタイミングを見計らい──

「お疲れ様でーす」

 ヒュッ、と息を呑む。

 少年たちの喧騒(けんそう)の合間を縫うように響く、少しざらついた甘い声。私はすかさず立ち上がり、いそいそと扉の前までお出迎えに向かった。

「おかえりなさい、久道さん」

「ただいまデスクさん。今朝の書類、出してきましたよ。ちゃんと簡易書留で」

「うふふ。疑ってませんよ。ありがとうございます」

 ご覧じませ、これぞ合法新婚さんごっこである。

 彼は久道(くどう)(ゆう)さん。

 今もまだ冷蔵庫前で(うごめ)いている無法連合国フォー・カントリーの司令官、もといプロデューサー兼マネージャーである。聡明ながらも朗らかで、豪胆かつ繊細、瀬戸内海より広い心と深い思慮の持ち主だ。

 見上げるのに苦労しない程よい身長。屈強過ぎない程よい肩幅。三つ年上という程よい歳の差。

 ああステキだわと今日も新鮮に腰を抜かしそうになる乙女心を引き締める。デキる女こそ至高。極めてクールに知性をアピールし「私はあなたにとって有益な人間ですよ、そんな私を尻に敷いて便利に使ってみたくはありませんか」と示すのが、私の恋愛戦術だ。改めてしゃっきりとすまし顔を保つ。

 さあ鞄を預かりますよと両手を差し出したけれど、今日も久道さんはするりと私のそばを抜けて自分でデスクに鞄を乗せた。つれないお人。でもそこがまたイイ。

「はい全員注目、注目。なにしてんだ、おしくらまんじゅう?」

「腹減っちゃって」「ゼリーの数が」「木耳(きくらげ)の佃煮が」「食べかけが……」

「いっぺんに喋るな。幼稚園児か」

 呆れたような下がり眉でからから笑う久道さん。うーん、ステキ。

「みんなに朗報だぞ。今度の日曜のライブ、チケットが完売したそうだ」

 えっ、という四人の声がきれいに重なった。てんでちぐはぐなように見えて、時折は息が合う子たちである。かくいう私も、対・久道さん用のクールビューティ・モードであったため声こそ出さなかったものの、内心は彼らとまったく同じ反応をしていた。

 フォーカンはそれなりに実力と人気を伸ばしてきているとはいえ、まだまだ売り出し中の身。単独イベントでは、三百のキャパシティでも「完売」を成したことはない。

 今回出演するのは、人気アイドルが他グループをいくつか招いての対バン形式のライブだ。キャパは七百ほど。フォーカンは、トリを務める主催グループの直前の枠を貰えた。ファンを増やすチャンスだといってみんな気合いを入れていたが、完売の響きに、ますます表情が引き締まった。

「とはいえ」と久道さんは腕を組む。「君らは二足の草鞋を履いているとして、右足がアイドルなら左足はなんだ?」

「おれ、両足どっぷりアイドルです! 死ぬまでこの沼でもがき続けます!」

「うん、佳狩、意気込みは大変宜しいけどね。いや意気込みだとしても、その言い回しについては後で話し合いたいけどね」

 勢いを折られて嘆息するアンニュイな久道さん。うーん、ステキ。

「いいか、大学生だ大学生! 一斉に同じ必修を落としかけている崖っぷち大学生!」

 威厳を取り戻さんと声を張り上げる凛々しい久道さん。うーん、ステキ。

 フォーカンのメンバーたちは、その気迫に呑まれ、(おのの)いている様子である。

 彼らは八月初頭に二年生前期の試験を終えている。しかし、とある必修科目の成績があまりにも目も当てられない惨状で、先日、四人揃って教授に呼び出されたのだという。それを聞いて、久道さんも大学へすっ飛んで行った。自分の管理が甘かった、これはひとえに自分の責任だ、今後は必ず学業とアイドル活動を両立させてみせます、どうか今回ばかりは恩情を──そんなぐあいに毅然(きぜん)弁舌(べんぜつ)をふるい頭を下げたのだろう。教授はアイドル活動に理解を示してくれたそうで、ポンコツたちに救済措置を用意してくれた。レポートの提出、そして院生と行っているという勉強会への参加である。

「単位取得の最後のチャンスだぞ。最後のチャンス。最後の、チャンスなんだからな」

 ここでこの単位を落とせば、来年の前期に、また同じ講義を受けなければならない。その一コマを見くびってはいけない。たかが半年、されど半年。たかが週一、されど週一。たかが一時間半、されど一時間半。若者、特に大学生という生き物は、時間なんぞ無限にあると思い込み惜しげもなく使い捨てるが、勘違いもいいところ。

 久道さんは、そんな彼らの時間を守ろうとしているのだ。うーん、ステキ。

 勉強会というのは、くだんの対バンライブの当日に、朝イチから開催される。終了予定時刻は十五時。勉強会の後に会場付近のスタジオで通しリハをして、出番は十八時から二十分間。移動や準備もあるから、リハ自体の時間は恐らく三十分程度だろう。場当たりはできないが、登壇経験のある会場だし、スタッフ陣も馴染みの顔ぶれだ。リハさえ丁寧にやりきれば問題ない。

「三回も言わなくていいって」と唇を尖らせたのは秘さんである。「レポートは全員出せたんだから、もう単位は確定でしょ。あとは勉強会に顔出すだけじゃん。消化試合、消化試合」

「でも秘くん、教授、『勉強会であくびひとつでもしたら、その時点でブチ落とす』って言ってましたよね?」

 善意で有益な情報をもたらした佳狩さんに、秘さんの表情が固まった。

「聞いてなかったのか……? 『ロクな発言できなかったら来年出直してこい』って、言われただろ……」

 道を踏み外しかけていた秘さんを連れ戻そうと、特真さんも援護射撃にて軌道修正を試みる。美しいグループ愛である。

「そうだよ秘、これはもう巌流島で背水の陣だよ」

 うむ、晃市さんがなにを言っているのかはよく分からない。しかし秘さんにはきちんとトドメの一撃となったようで、「うぐっ」と唸りながら後ずさった。

「秘」と穏やかに久道さん。「『必修単位落としました記念・活動縮小前ソロライブ』を開催されたくなかったら、真面目に勉強会に参加しなさい」

 にこり、お兄ちゃんスマイル。

 その甘やかさに身悶える私に気づかず、久道さんは秘さんの頭に愛の手刀を落とした。

 

 日本随一の大都会、その片隅。三桁の枚数のチケットも自力では完売させられない小さなアイドルグループに訪れた、極めて取るに足りない困難。

 彼らの物語は今のところ、ドラマにも映画にもなりようがない程度には、地味である。

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