第2章1話 これまでの違和感
お久しぶりです。
本日より第2章の開幕です。
今後ともよろしくお願いします
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1
九月も終わりに差し掛かろうとする季節。蝉の声もなりを潜め、少しずつ夏の日差しも和らいできた。 夏が終わろうとしている中、青藍高校では文化祭の準備を始めていた。各々がクラスで出し物を決め、およそ一ヶ月の間一丸となって取り組むのだ。
「じゃあ演劇の役職を決めていくよ」
狼樹が所属しているC組では、演劇をすることになった。
彼自身文化祭の出し物に対して特にこだわりは無く、ただ楽しめればそれでいい。彼にとって文化祭とはそういうものだった。
「じゃあ係の名前言っていくからやりたいのに手を挙げて」
文化委員が役職名を言っていくと、数名の生徒たちがそれぞれ手を挙げていく。教室はさらに賑やかさを増していった。
「やっぱり狼樹は背景に行くのか?」
隣の席に座っている友人が狼樹に話しかける。
ここでの背景というのは場面の絵を描く仕事のことだ。演劇部ほどの規模を出すことは難しいため、絵を使って場面を表現することになっている。
「まぁそうだね。俺が役に立てるのはそれ位だろうから」
自分の得意分野を活かすなら間違いなく背景美術だろう。クラスのみんながそれぞれ頑張っているのだ。その期待に応えるために最大限力を発揮するためにはこれしかない。
それに他のことに手を出していては母に苦言を呈されるだろう。絵に関係あることなら、文句はあまり言われないだろう。
「次は、脚本やりたい人」
文化委員の二人が舞台脚本を募る。劇を作る上でありとあらゆる土台となる脚本。世界観によって衣装や小道具、背景となる絵がどのようなものなのか決まってくる重要なものだ。もしもやりたい人がいなかった場合は既存の物を使う予定となっている。
自分の書いた物語が実際に舞台上で形となり、多くの人の記憶に残る。それを見て感動する人も入れば、退屈に感じる人もいる。少なからず他者に何かしらの感情を持たせる。物語とはそういうものだと狼樹は考えている。
実際自身も小説や映画のシナリオ、有名な戯曲など様々な媒体の物語にふれている。絵師の自分がなぜそんなに読んでいるのかと聞かれれば、それは父の教えが故である。いい作品を創るために日頃から様々なものに目を通すことが大切だと。その教えに従い狼樹も物語を読んできた。図書委員になったのも、新書をいち早く入手するためだ。絵のためとして有名無名問わず複数の文芸書を棚に入れて休憩時間に読んでいる。
果てには、自分で作品を執筆するまでに。それはもはやインプットの域を越え、一種の趣味となっていたのだ。
(ちょっと、興味あるな)
それは突然降ってきた感覚だった。ほとんどの作業は脚本が完成してからであり、両立はできる。自分で書いた物語が舞台として上演されるなどそうそうできる経験ではない。そんな好奇心からきているのか、はたまた別の感情か、どちらが原動力かもわからない感覚が狼樹の中で露のように降り注いだ。
「はい、私がやりたいです」
そうして手を挙げたのは、休み時間によく本を読んでいる秋津という少女だった。彼女は狼樹と同じく図書委員であり、たまにおすすめの本について話しているほどの仲だ。彼女はよく戯曲を読んでおり、お芝居の台本としても文学作品としても楽しめると、よくすすめてくれていた。おかげで有名なものからあまり世に広まっていないような作品まで知ることができた。
「他にやりたい人も居ないみたいだし、秋津さんにお願いしようかな。」
こうして秋津が脚本を書くことに決まった。彼女ならいい物語を書いてくれるだろう。そんな信頼に近い期待とは裏腹に、どこか素直に喜べないような、そんな不確かなもやが心に流れ出したような気持ちになった。脚本を経験したい想いは確かにある。だが秋津を押し除けてまでやりたいほどの強さなのかと聞かれればそうでもない。そう答えられるはずなのに、心のモヤが魚の小骨のように静かに存在を主張してきていた。
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2
「二人の所はお化け屋敷になったんだね」
その日の放課後、下駄箱で一と優と合流して狼樹は帰路についていた。
「そうなんだ。これから脅かす役とかどんなテーマにするのかとか考えなきゃなって」
「そっか、お化け屋敷って言ってもモチーフによって内装とか変わってくるからね」
思いつく限りだとゾンビや廃病院に夜の学校などがある。二人がどんなお化けになるのか、友人としては少し気になるところだ。
「宝田も、演劇だから大変じゃない?」
「俺はそうでもないよ。大変なのは役者や当日に裏方やる子たちだから。俺は背景の絵を描くだけだし」
「それが大変そう」
美術以外で絵を描かない優にとっては大変な作業に見えるのだろう。確かに背景の紙はテレビのスクリーンくらいの大きさがあり、描き慣れている狼樹にとっても一苦労だ。ただこれは文化祭。一人だけで担当するのではなくクラスメイトと協力しながらやることになっている。おそらく自分がチームリーダーになるだろうから、どう指示を出すか考えておかねば。
そうして文化祭について話している三人の頭の中に、禍々しい金切声が反響しだした。聞いているだけで不快感に包まれるほどの邪悪な響き。そう、フォートが現れたのだ。
「今のって、」
「学校の近くかもしれない。二人とも、行こう!」
「う、うん」
三人は気配の先へと走り出した。言葉を交わさずとも目的地が同じということはわかる。
彼らこそフォートの脅威から人々を守る戦士、メサイアなのだから。
気配を追ってたどり着いた先は学校近くの河川敷だった。普段から小学生たちが野球などで遊んでおり、青藍高校の通学路でもあるため同じ制服を着た男子たちの憩いの場でもあった。ふかふかとした芝生に涼しげな川のせせらぎがそっと耳に馴染むほどのどかで町内でも人気のスポットでもある。
そんな場所で今響いているのは、子供たちの悲鳴であった。ランドセルやグローブが地面に散らかっており、ところどころの芝生は焼けこげクレーターのようになっている。学校帰りであろう子供や学生たちが芝生の坂を必死になって駆け上がり、半泣きになりながら遠くへと逃げていく光景が広がっていた。こんなにまで荒らした犯人はというと、余裕綽々とした態度で川の上に立っている。
球体型の目玉が顔からはみ出し、後頭部からは四枚羽がX字に生えている。例えるならトンボを尻尾だけ切り落として仮面にしたような顔だ。手足や胴はこれまでのフォートと比べても細身ま方だが、右腕だけが大砲のような膨らみを確認できる。フォートは銃を構えるように右腕を腰を抜かした青藍の生徒へと向ける。
水の上に立っていながら芝生を焼けこがすことができたということは遠距離からの砲撃。つまりあの右腕は文字通り大筒だろう。そこまでを考察したところでライドクイルを取り出して芝生の坂を駆け降りた。灰色のインクが狼樹の体に鎧として顕現。
フォートが卵型の弾丸を放ち、生徒は恐怖でその場にうずくまった。間一髪二人の間に飛び出し弾丸を鉤爪で細かく切り裂いた。
「怪我はない?」
仮面ごしに生徒を見つめる。目立った傷は見当たらず恐怖で腰が抜けてしまっただけのようだ。駆け寄った一と優に逃げるよう諭され、芝生の草を掴んで這いつくばりながら坂を登って行った。見渡す限り人の姿がないことを確認すると、一と優も変身した。
トンボのフォートは頭の羽を上下に振るわせ少しずつ宙をまっていく。湿り気のある風が鎧を掠め、芝生をざわざわと揺らしている。
「颯がいない時に限って空を飛ぶタイプか」
以前の鳩の一件を思い出したのか、二人は苦虫を噛み潰したような顔を仮面の中でしていた。
「弱気にならないで。この前一緒に考えた対処法を実行しよう」
一と優は向き合って手を繋いでジャンプ台を作り、狼樹はそこに目掛けて全速力で走り出した。狼樹の足が二人の手に乗った段階で勢いよく空中へと飛ばす。先ほどとは違って乾いた風が全身を突き抜けていき、瞬く間にフォートの目と鼻の先まで接近することができた。
ただ空中では思うように動くことができない。無理をしてトドメを急げば逆にこちらが返り討ちにあってしまう。それよりも空から引き摺り下ろすことが先決だ。フォートに接近してから狙いはすでに決まっている。バタバタとうるさく羽音を鳴らしているその翼だ。方翼でも失えば立ち待ち大地へと堕ちてしまう。そこに目掛けて手首から生えた鉤爪状の刃、シルバーショットを繰り出す。その鋭さによりまるでハサミの間で紙を裂くようにフォートの羽は形を失っていった。
体を支えきることができなくなり、そのまま地面へと落下していった。流石の怪物といえぞ混乱しているのか、体が風車のように回転している。だがその丁度真下には一と優が控えている。うまく身動きが取れない内にトドメを刺す。ここまでが三人で立てた作戦だ。
体位が安定せず狙いにくいが、ようやくスカイジャンプのような姿勢に落ち着いたようだ。二人の存在に気づいたフォートは砲台を構えるがもう遅い。一と優も足を屈ませ勢いよく跳んで接近。それぞれ剣を高く突き上げ頭と心臓を串刺しにした。黒色の血が刃をつたうと同時に、フォートの体も塵となって風に消えていった。
昼が短くなってきたからか、空が夕焼け色に変わっている。川の水も空と同じようにオレンジ色を帯びて流れている。橋の上から芝生を眺めていると、ところどころに歪なクレーターがポツポツと存在し、以前のようなのどかさもどこか影がさしているように見えてくる。
いつもの通学路が、今の三人にとっては戦場の跡地としか見れなかった。敵を倒してももう、前のような形には戻らない。そうして少しずつ、日常の光景が壊されていくのだった。
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3
それから三日経った朝の学校。放課後の図書委員について話すため、狼樹は秋津を探していた。委員会は月に一度行われ、二人のうちのどちらかが出席するものと決まっている。しかし辺りを見渡しても見つからない。もう予鈴も鳴っておりほとんどの生徒が登校している。普段の彼女なら、机で朝の小テストの勉強をしているはずだ。
「ねぇ、秋津さん知らない?」
「秋津? 見てないけど、今日も休みじゃないか?」
「そっか、ありがとう」
秋津は一昨日から一度も学校に来ていない。優等生の彼女がズル休みということは考えられないため体調不良か家庭の事情か何かだろう。
「みんな、席につけ」
朝礼の時間になり、担任が教室に入る。ざわざわとした喧騒もなりを潜めていき、各々の席についていった。
みんなが席についても、担任は口を開こうとしない。いや、正確には開くことができないのだろう。唇を噛むように力がこもっており、小さく震えている。
生徒たちもどうしたのかなとざわめきだし、静かだった教室が朝の喧騒へと戻ってしまった。
「みんなに伝えなければならないことがある」
重たい口を開き、担任はようやく言葉を放った。その声に生徒たちも一斉に静まり返り、教師の言葉に耳を傾けた。
「とてもショックを与えることなんだが、落ち着いて聞いてほしい」
担任は何処か気まずそうな、悔しそうな、そんな表情をしていた。普段は厳しい鬼教師として生徒たちから恐れられていたためか、弱っているような面持ちがことの深刻さを感じさせられる。
「秋津が……行方不明になった」
担任の言葉に教室は騒然とする。
「今は親御さんと警察が捜索中だ」
「え、秋津さんが?」
「嘘でしょ⁉︎」
生徒たちは一斉にどよめきだした。それは朝の比ではない。困惑や不安感に包まれ、誰一人冷静ではいられずにいる。
それは狼樹も同じかと聞かれれば少し違う。勘のいい彼は今、秋津が行方不明となった原因についてある仮説が立っていた。彼女が休み出したのが一昨日。その前日に起こった事件といえば、トンボのフォートが出現したことだ。
タイミングとしては一致する。だとすれば彼女はもう、この教室に戻ってくることはない。今必死に探しているであろうご両親に対して、元気な笑顔を見せることは叶わない。
もしもあの時、もっと速く駆けつけられていれば、そんな後悔ばかりが湧き上がってくる。
「ねぇ、演劇の台本はどうするの?」
騒がしかった教室が、一気に静まり返る。
「ホントだ! 秋津さんがいなかったら台本できないじゃん!」
「締切前とはいえどうしよう。今から間に合う⁉︎」
「ちょっとそんなこと言ってる場合じゃないでしょ⁉︎ 秋津さんがいなくなったんだよ! 台本よりそっちの方が心配でしょ!」
「でも台本が出来なかったら困るのはこっちじゃん!」
静寂が再び混沌に包まれる。台本はどうするのか演劇はどうなるのか。そもそも秋津がなぜいなくなったのか。狼樹だけでなくクラス中も不安が募っていく。
こうも周りが騒然としていると、自分だけでも冷静にならなくてはという意識が高まってくる。やはり文化祭のことを心配している生徒がほとんどだ。正直、秋津よりもそっちを心配するのはどうかと思うが、この状況ではそうも言っていられない。
どうするべきか。実際脚本が無ければ文化祭の準備は進まない。それは秋津自身も望んでいないだろう。誰かが代わりをしなければならない。その不安さえ取り除けば、ひとまずは落ち着くだろう。
そっと席を立ち、落ち着きを失ったクラスメイトに聞こえるよう声をあげた。
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4
放課後になると、学校のいたるところに影が落ちるようになる。数日前まで忙しなく鳴いていた蝉の声をなりを潜め、風の音が涼しげに耳元を通り過ぎる。
特に今いる体育館近くのベンチ。建物が陰になっておりすぐ隣が校舎になっているおかげで風の通り道となっている。秋の始まりを感じるには最適な場所だが、今している話は心地のいいものではない。
「演劇の脚本を書くことになった⁉︎」
颯の驚いた声が秋風に乗って学校中に響き渡る。
「ちょっと、声大きいって」
委員会が終わり校舎からでたところ、ちょうど休憩時間の颯と遭遇し今にいたる。エアコンの効いた室内の方が涼しいだろうに、風を浴びたいからとわざわざ水筒を持ってここまで来ているらしい。
「わりぃわりぃ。けど何で引き受けたんだよ。お前背景の係もしてるんだろ」
「うん、そうなんだけど——」
狼樹は今朝あったことを話しだした。秋津のこと、文化祭のこと。
颯は狼樹をまっすぐ見つめて聞いていた。フォートの魔の手がクラスメイトにまで及ぶ。これは颯にも無関係なことではない。
「——という訳で、秋津さんが怪物に襲われたから行方不明になったとはまだ決まってない。けどその可能性があるのなら、それは助けられなかった俺の責任でもあると思って」
狼樹の言葉に、いつも明るい颯も神妙な面持ちになる。
「そのこと、優と一には言わないのか?」
狼樹は首を横にふる。そんな残酷な事実、共に戦った二人に言えるはずがない。
「言ってしまったら二人ともすごく責任感じちゃうから……特に天乃君は」
「確かに一はな」
サソリとの戦いの時、一から尋常ではない執念のようなものを感じられた。何があっても優を救う。もちろん狼樹と颯も同じ心象だった。けれども一は常軌を逸していた。それはまるで、自分の命を捨てるような、そんな危うさを感じ取れるものだった。もしもそれが、自分のせいと思い詰めていたからなのだとしたら、今回のことを伝えれば一体どう感じるのかは想像に難くない。
「わかった。俺もこのことは二人には黙っておく。けど、お前も一人で背追い込もうとするなよ。辛くなったら俺にぶちまけろ。わかったな」
狼樹の行動も、見方によれば自己犠牲的とも取れる。助けられなかった業を二人に打ち明けることなく一人で抱え込もうとしている。颯からしてみれば黙って見過ごすことはできないのだろう。
「うん。そう言ってもらえると結構楽になるね」
「絶対だぞ! 約束だからな!」
しつこく釘を刺す颯に狼樹は若干の苦笑いを浮かべた。けれども、それほど心配してくれることに対しては嬉しく思う。
「それで、どんな話をやるとか決めたのか?」
「うん。ていってもあんまり時間もないから、既存のものをオマージュしたものにしようと思う」
来週までと考えた時、今からだと凝った内容のものを作るのは難しい。それに集客の面を考えると知名度のある作品の方が敷居も高くないだろう。それに本番までのスケジュールや役者の人数、公演時間も考慮する必要がある。
「じゃあ何をやるんだ?」
狼樹はカバンを開けて、中から一冊の本を取り出す。
「王道だけど、ロミオとジュリエット。これならみんな大体知ってるから、役にも入りやすいと思うんだ」
「確かにある程度知ってる方がやりやすそうだもんな」
誰もが知っているシェイクスピアの戯曲。演劇の代名詞と言っても過言ではないだろう。そしてもう一つ、これを選んだ特別な理由があった。
「それにこの戯曲は、秋津さんがお気に入りだって言ってたんだ」
「……そうか」
彼女ならきっとこの題材を選んだだろう。短い付き合いだが、彼女が持っている情熱は本物だ。だからこそ必ず形にしなけらばならない。それが唯一できる贖罪だろう。
「頑張れよ。何か手伝って欲しいことがあったら遠慮なく言えよ」
「わかった。もしもの時は頼りにさせてもらう」
そろそろ練習に戻らないとと言って、颯は足早に体育館へと去っていった。かくいう狼樹も速く帰らなければ母がうるさい。涼しげな体育館から、夕日さす校門へと足を進めた。
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5
ロミオとジュリエット。
対立する二つの貴族、モンタギューとキャピュレットの子供として生まれた二人は何の因果か互いに恋をしてしまった。しかし両家の憎しみが生んだ悲劇によりロミオは追放され、ジュリエットは他の男と結婚させられそうになった。ジュリエットは毒を飲んで仮死状態となり、結婚を免れようとした。しかしロミオはジュリエットが死んだものと思い込み、毒を飲んで自害した。そしてジュリエットも後を追うように自らの胸を短剣で貫いた。これにより両家の確執は無くなった。
ざっくりとしたあらすじはこんなものだろう。
あれから家に帰り、早速借りてきた本を読んでいた。机を照らすデスクライトが白い紙を温かみのある色に染め上げている。文字と紙の境界が少し薄まったためか、こっちの方が目に優しく感じる。
幼い頃に読んだきりであったが、改めて目を通すと色々と考えさせられるところがある。
『あなたはどうしてロミオなの?』という有名なセリフも、ちゃんと読んでみれば何を表しているのかがよくわかる。彼がもしモンタギューの家の名を持っていなければ彼と堂々と結ばれた。もしロミオの名を捨てれば、あるいは自身もジュリエットの名を捨てれば……と。
家の名が枷となって本当に愛する人と結ばれない。きっと二人は己の出自を酷く呪いながら死んだのだろう。何かに縛られ、望んでいるものに視線すら向けることさえ許されない。
そんな二人に、不思議と親近感のようなものが感じられた。
なぜ、どうしてだ。
違和感が頭をよぎった時、ドアをノックする音が聞こえた。返事を待つことなくドアが開けられ、母が足を踏み入れてきた。
「狼樹、今いいかしら? ちょっと見てほしいものがあるのだけど」
そう言って母は、手に持っているフライヤーを差し出してきた。それはある有名な画家の個展のものだった。確か父と同年代であり、子供の頃一度彼の家に伺ったこともある。
「この方お父さんの知り合いらしくて、初日に挨拶に行くらしいの。良かったら狼樹もお父さんと一緒に行ってきたらどうかしら?」
父以外の画家にあう機会は滅多にない。プロを目指すものなら是が非でも行きたいものだろう。そう、プロを目指しているのなら。
だから母に、肯定の返事をした。
「あなたならそういうと思ったわ。ところで、それは何かしら?」
母が机の上の本を怪訝そうに指さす。
「ロミオとジュリエットだよ。今度の文化祭の出し物で、俺は背景の絵を担当するからチェックしておこうと思ってね」
「あらそうなの? でも文化祭なんだからそこまできっちりしなくていいんじゃないかしら?」
母は狼樹の行動をあまり好ましく思っていない。学校行事よりも画家になるために必要なことを優先してほしいと考えているからだろう。
「みんなが一生懸命だから、俺だけ手を抜くなんてできないよ」
「あら、本当に優しいわね。でもそっちにばかり時間を使ってはだめよ。文学作品は確かに教養を深めてくれるから良いのだけど、あなたは絵を描く方に時間をかけるべきよ。やめろとは言わないけど、自分は画家になるんだという意識を忘れないようにね」
「うん、わかってるよ」
「本当に物分りが良くて助かるわ。それじゃあ早く寝るのよ」
そう言い残して母は部屋を後にした。一人になった部屋は、いつもよりも静かに思えた。
「画家になる……か」
その言葉に酷い違和感を覚える。考えてみれば自分は画家になりたいなどとは一言も言ったことがない。ただ母親からなるように言われ続け、ずっとそういうものなのだと思って生きてきた。
画家として生きることこそ、母の願いであり、狼樹の幸せだと、そう教わってきた。自分には絵の才能がある。だから画家にならなければならない。自らの運命を受け入れて生きることが人生における最大幸福だとよく母は言い聞かせていた。
本当にそうだろうか。狼樹ももう高校生であり、やりたいこととむいていることが相違するなどわかっている。自分に当てはめると、絵を描くことにむいているのだろう。ならやりたいこととはなんだ。絵に関してはやりたいからしているというより、言われたからやっていて、それを今も続けているというだけだ。絵で食べていきたいかと言われれば、それは違う気がする。ならどうして描くのか。
(俺も……母さんに縛られてるのか?)
考えても仕方がない。今はただ、この脚本を完成させることだけに集中しなければならない。
心の靄に目を背け、その日は一晩中構想を練っていた。
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おまけ
青藍町は田舎だ。少なくとも都心と比べれば発展しているとは言い難い。だが田舎だとはっきりと言われたら意義を唱えたくなる。
駅前のショッピングモールは田舎町としてはかなり発展している方だろうと、買い物をしながら颯は思っていた。二階建ての店内にはスーパーマーケットにいくつもの服屋やアクセサリーショップ、本屋文具屋、少なくとも最低限必要なものは揃っている。
かくいう颯の手にも買ったばかりの秋服の入った袋をさげている。お気に入りのセレクトショップで買ったものだ。小さいながらも流行を抑えており、バスケ部の友達とも何度も通っている。こんなに先端をいく服屋、都会にもそうそうないと思いたい。
そんなことを一人考えていると、目線の先に見知った顔が見える。狼樹だ。どうやら店先に出されている服を見ているようだった。
この時点で嫌な予感を感じる。
成績優秀、運動神経抜群、有名画家の一人息子であり家はそこそこ金持ちで絵の才能もある。性格面も誰にでも優しく接する人格者。並べてみると嫉妬しそうになるほど完璧超人だ。噂では複数の女子から人気だという話もある。だが彼女たちは知らない。狼樹の欠点を。
「うっす、狼樹」
「あれ、颯」
もしかしたらと気になって近づけば案の定だった。今着ている服も手にとって見ているシャツも、狼樹が気に入っているジャンルのものだ。別にこれ自体は悪くない。颯自身も気に入ったものは買っている。ただ狼樹に関してはあまりにもイメージとのギャップがありすぎる。
「それ、買うのか?」
「うん、すごくいいと思うんだ」
そうして狼樹は颯に見えるように手にとっている服を……真ん中にデカデカと"芸術センス皆無"と書かれたシャツを見せてきた。ちなみに今着ている服には"恥さらし"と書かれている。
「中々考えさせられる服だよね。これを着ると、自分に対しての戒めになる気がするんだ」
そう狼樹は所謂ネタTを好んで着ている。それも突飛な理由で。
サソリのフォートとの一戦後、全てが終わって幸せムードの中、一も優も、もちろん俺もちらちらと気になっていた。狼樹の体のど真ん中に書かれた"筋肉こそパワー"という文字を。
何もかも完璧優等生の欠点。それはファッションセンスが壊滅的なことだ。




