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紺碧のメサイア  作者: 蒼空駿
第2章
11/12

第2章3話 優しさにふれて

  ——————

  1

 

 文化祭まで後二週間。ほとんどのクラスが慌ただしく準備を進めており、どこを歩いていても賑やかな声が聞こえてくる。

 それは一と優が所属しているA組でも同じだった。二週間前ともなると授業は午前だけで終わり、午後は文化祭の準備に当てられる。昼食をとり終えると、すぐに準備開始だ。

 お化け屋敷となると道具も衣装も手間がかかるため、クラス総動員で取り組まなければ間に合わない。それぞれが役割を分担して準備を進めている。


「じゃあみんな、今日から色塗りの作業に入ろう」


 優が担当しているのは、パネルの絵の色塗りだった。美術部所属の美山が既に描いたものに色を塗っていくのが優たちの仕事だ。係の生徒は優と美山の他に二人の男女がおり、計四人の班となっている。


「よろしくね、矢車くん」


 そう美山に声をかけられたが、優は首を縦にふるだけだった。一たちとはちゃんと話せるくらいにはなったが、それ以外の人たちだとやはり恐怖心が拭えない。話そうとしても上手く声が出せず、結局誰とも会話をすることができていない。

 今も三人は楽しそうに談笑している中、ただ一人黙々と作業を進めている。本当は自分だって、この輪に入りたいというのに。


「そう言えばこの花ってなんの花?」


 一人のクラスメイトが美山に聞いた。優たちが今色を塗っているのは青い花の絵であり、一見するとお化け屋敷に似合わないが、これは委員長の意向だ。来てくれたお客さんにすっきりして帰ってほしいからと、最後はハッピーエンドになるようにしたいらしい。

 お化け屋敷のモチーフはファンタジーの森。モンスター溢れる暗闇をくぐり抜け、花畑にたどり着くというのが大筋のストーリーだ。


「この花はヤグルマギクだよ。お客さんの怖いって気持ちを和らげるにはこれが一番かなって」


「どうして?」


「昔ね、ルイーゼ王妃って人が王子たちを不安にさせないためにヤグルマギクで花冠を作ったっていう話があるんだ。だったら今回みたいに森の恐怖も消してくれるかなって」


「そんな話があるんだ。ものしりだね」


 こうして雑談している中でも、優は一人黙々と筆を動かしていた。


「矢車くんって塗るの上手だね」


 女子生徒から話しかけられても、少し頷くだけですぐに作業に戻ってしまった。無視してしまったみたいで申し訳ない。


「矢車ってほんと無口だな」


「それが矢車くんらしいでしょ。うるさいだけの男子よりかは全然良いわよ」


 優の行動は見方によれば失礼ともとれる態度だ。それでも美山たち責めることなどせず、むしろ個性として受け入れてくれている。そういったクラスメイトの人の良さには優も理解しつつ感謝している。このクラスには中学の時のような人たちはいない。そう頭ではわかっている。わかっていてもどうしても拭えない恐怖というのはある。

 このままにしてはおけないというのは、ずっとわかっている。このイベントを通して、少しはクラスメイトにも心を開くこと。それこそが優の密かな目標だ。しかしこの通り、うまくいっているとはいえない状況だった。

 こんな自分にできるのか。

 そんな不安が優の中でずっと渦巻いていた。ちゃんと対応しようとするが、どうしても緊張や恐怖が勝ってしまう。結局なんの進展もできず、今日の準備時間は過ぎていってしまった。

 

 

 

  ——————

  2

 

 段々と日が落ちてきた頃、優は図書室にきていた。夕焼けの光が木製の本棚を温かく照らし、外からは運動部の気合いのこもった声が聞こえる。ほとんどの生徒が文化祭準備に疲れたのか早々に帰宅し、図書室にはほとんど人がいない。足音もページを捲る音すらもない静寂がどこか心地よく感じる。

 本棚に並ぶ書物をなぞりながら、ある一冊を手にとった。入学当初もこれを借りて読んだが、ネットでもあるようなありきたりなものばかりで何一つ役には立たなかった。けれども今なら、これを活かせるのではと、淡い期待を持って本を開く。


「あれ、矢車くん」


 ふと声をかけられ振り向くと、狼樹が立っていた。


「あ、宝田。どうしたの? もしかして委員の仕事?」


「うん、今日は俺が当番なんだ。矢車くんは……あれ、その本」


 狼樹は優の持っている本に目を向ける。あまり友人に見られたくはなかった。今彼が持っているのは"人と仲良くなる方法"と書かれた本だ。まさか狼樹に見られるとは思わず、頬が赤くなる。しかしこの状況、どこか覚えがあるような気が……。


「もしかして、同じ係になった子たちと仲良くなりたいのかな」


 どきりと心臓が音を立てる。


「な、なんで?」


「だって矢車くん、本当はみんなと仲良くなりたいって思ってるでしょ。緊張してうまくできないけど、それでも頑張って戦ってる。そんな君だから、かな」


 完全に見透かされていた。さすが芸術家の卵。元から洞察力があるとは思っていたがここまでとは。


「う、うん。そんな、感じ」


 はたして自分にできるのだろうか。ネットで書かれたことも、似た本も読んだ。それでも今こうして苦戦を強いられている。よく知らない人と話そうとすると、どうしても恐怖がまさって何も言えなくなる。仲良くなっても、また中学の頃のようになってしまうのではないかと。

 そんなことを考えていると、自然と下を向いてしまう。わかりやすい態度に狼樹も何かを察したのだろう。


「そういえば、初めて会った時もその本を借りようとしていたよね」


「え、」


 初めて借りた時……そうだ。感じていた既視感はこれのことだったのだ。

 あれは五月の頃、クラスで友達を作れず今日みたいに対策を練ろうと図書室にいた。そこでこの本を見ていた時、それこそ今のように狼樹に声をかけられたのだ。

 あの時は驚きすぎて本で顔を隠してしまった。それ以降本を借りる時や廊下ですれ違った時に声をかけてくれるようになった。最初はちょっとした会釈だけだったが、少しずつ、おはようのおの文字から口を開いて、自分からも話しかけるようになった。狼樹も、優が人と話すことが苦手なのだと理解してくれていたからか、彼の辿々しい言葉を笑うことなく、一文字一文字丁寧に受け止めてくれた。

 そして今は、こうして話ができている。同じ使命を背負った仲間ではなく、一人の友人として。


「矢車くんはちゃんと変われてる。あの時から自分の弱さを受け止めて、向き合って、こうして自分から解決しようと動いている。それは誰にでもできることじゃなくて、れっきとした君の強さだよ。だから大丈夫」


 そう狼樹は微笑みかけた。

 違う。あの時は歩み寄ってくれたからだ。狼樹のおかげで人と関わることの恐怖が少しだけやわらいだのだ。自分からは何もできていない。だからこそ、今回こそは自分の力でやらなければならない。

 今度こそ、必ず。

 

 

 

  ——————

  3

 

 次の日も優たちは作業をしていた。今日こそは必ずと作業に集中しつつも三人の会話に耳を澄ませていた。


「それでこの前なんだけど——」


 しかし何度今だと思っても、うまく口が動かない。その間にも美山たちは話を膨らませ、絵もあと少しで完成というところまで来ている。どうにかして話かけなければ、チャンスを逃してしまう。まだ機会はあるかもしれないが、それを言い訳にしたくない。ちゃんと話に参加しなければ。


「あ、あの、」


 勇気を振り絞って声を出した。しかし、思わず身を乗り出してしまい、それにより筆を洗うようのバケツが零れ、絵に水がかかってしまった。


「あ!」


 バケツ自体は小さく、かかった量はそこまで多くはないが、それでも水が染み付いてしまった。


「ご、ごめん……俺の……せいで……」


 完全にやってしまった。ちゃんと話かけないとって焦って、周りをちゃんと見れていなかった。こんな失敗してしまっては、みんなから許されるはずなんてない。

 ヤグルマギクの花が水に沈んでいっているように見える。完成まじかの絵を台無しにするなんて、これまでのみんなの努力を無駄にしたも同然だ。


「ごめん……本当に……」


 下を向いて、謝罪することしかできない。みんながどんな顔をしているのか見ることすら怖い。そうして目を合わせられずにいる自分に対しても嫌悪感を抱く。自分が求めたから、ちゃんと人を信頼したいと願ってしまったから、こんなことが起きた。

 こんなことになってしまうなら、ずっと一人になってしまえば——。


「顔を上げて、矢車くん」


 美山からの言葉を受け、遂に顔を上げざるおえなくなった。顔を上げたらもう、全てを諦めよう。そう決心して美山の顔を見た。するとその瞬間、美山から頭を撫でられた。一瞬何が起こっているのか理解できなかった。


「大丈夫、これくらいならまだどうにかなるよ。だからそんなに謝らないで」


 その言葉に耳を疑った。


「そうだよ。まだ時間はあるんだし」


「むしろもっとやりがいが出たってもんよ」


 他のメンバーも優を責めるどころか励ましの言葉を述べた。そのことが信じられなかった。自分は今、みんなの努力の結晶を汚した。そんな人物は責められても文句は言えない。だから優もその覚悟を決めていた。けれど実際にかけられたのは全く正反対の言葉だった。


「……どうして」


「え?」


「どうして……みんなは責めないの?」


 本当に不思議でならなかった。自分が水をこぼしてしまった元凶だと言うのに、誰一人優のことを責めようとしていないことが。自分はみんなから非難の対象となるようなことをしでかしたというのに。


「矢車くんだって、悪気があってやったわけではないでしょ。だったら、君を責める理由なんてどこにもないよ」

「そうだぜ。うっかりなんて誰にでもあるもんだ」


「怖がらなくていいよ。失敗したって、やり直せるんだから」


 みんなの言葉を聞いて、心が温かくしみていくような感覚になっていく。ミスをした自分に対し、失敗してもいいと言って優を安心させる言葉を投げかけてくれる。心の中に染み込んでいき、涙が込み上げてくる。


(みんなすごく優しいな。こんな俺を励ましてくれて……またやり直そうって言ってくれてる。こんなにいい人たちに怯えてたなんて……)


「それじゃあ作業再開しようか。矢車くん、できそう?」


「うん、ありがとう」


 その後の作業では、優も会話に加わった。いつも寡黙な矢車くんがと、以外だとを言われたが、それでも歓迎してくれた。そうして楽しい時間はあっという間に過ぎていき、下校の時間となった。

 

 

 

  ——————

  4

 

「あーくっそ!」


 同じ頃。人気ひとけのない路地で缶ビールを片手に歩いているサラリーマンがいた。男は乱暴にポイ捨てされている缶を蹴りながら愚痴をこぼしている。ヨレヨレのシャツは数日は洗濯されていないようにも見える。

「部長のやろう無茶ばっか言いやがって、いっそ殺してやろうか」

 口々に悪口をこぼしていると、耳元から羽音が聞こえた。虫でもいるのかと思い振り払ったが、音が止むことはなく、むしろ音は大きくなっていく。さすがにおかしいと感じ辺りを見渡した。すると、信じられないものを見た。


「な、なんだありゃ……」


 男の後ろには、何匹もの黒い虫のような塊が、蜂の群れのように集まっていた。大量のそれは一斉に男の体に襲いかかった。


「う、うわぁぁぁぁ!」


 昼間の路地裏に、一人の男の叫び声が鳴り響いた。

 

 

 

 全く同じ時、帰宅していた優の頭に一つの声が響いた。獣の雄叫びに近い、鋭く禍々しい、命を刈り取る生命の声。フォートが現れたのだ。今日はみんなに少しだけ近づくことができたというのに、タイミングの悪い。おかげで浮かれた気分も台無しだ。だが奴らは待ってなどくれない。人が襲われているかもしれない。

 声が響く方へ、優は足を急がせた。

 

 

 

  ——————

  5

 

 気配を追ってたどり着いたのはショッピングモールの一階駐車場。一部破壊された柱の瓦礫と横転した車が散乱している。特に目を引くのは人一人が入れてしまうほど大きな穴がボコボコと空いており、中を覗くと底の見えない闇に覆われている。また、それよりも少し小さな穴が車にも空けられている。

 犯人の姿はそのすぐ近くにいた。モグラのようにまんまるとした頭部、フォートに共通する筋肉質な肉体、違うのは、両腕についているドリルだ。鋼のように輝きを放つその凶器でそこら中に穴を空けたのだろう。間違いなくモグラのフォートだ。

 すぐに変身して剣を構える。モグラもこちらに気づいてドリルの鋭利な先端を向けた。あの地中の穴は地面の中を移動していたということだろうか。そうとなれば逃げられた時に厄介だ。しかも硬いコンクリートの海をスイスイと削り取れるほどの力があのドリルにあるのだろう。くらえばひとたまりもない。この鎧がどこまで耐えられるか。

 互いに睨み合いが続く。下手に前に出れば返り討ちにあうだろう。そんな読みを見透かされたのか、モグラのフォートはドリルをふかしながらこちらに突進してきた。すぐさま避けたが回転しているドリルをバットのように振り回して鎧を砕こうとしてくる。当たってはまずいとかわし続けるがおかげで近づくことができない。機械的な音を鳴らすドリルを刃ではじいていくだけで精一杯だ。

 このままではらちがあかない。そう思ったと同時にフォートはドリルで地面を砕き地中へと姿を消した。土の中に逃げられれば追うのは不可能。穴の中はモグラにとってホームグラウンドだ。中に入ればこちらが袋のねずみ。アスファルトを破壊するわけにもいかず、待っていることしかできない。どうすればと考えていると、背後から何か気配を感じる。鎧を通して肌に直接殺気が伝わってくる。まさか奴が近づいているのか。

 それを証明するような地響きと共に、地中からモグラのフォートが出現した。振り返ると、ドリルをふかせてこちらを貫こうとしている。まずいと感じ取り刃を盾にしてドリルを防いだ。ただ勢いが強く後ろへと飛ばされてしまう。冷えたアスファルトの感触が全身に染み込む。

 痛みに耐えながらも何とか立ち上がる。傷を負ったものの、先ほどの感覚から大方の攻略法は見えた。後は再び潜るのを待つだけだ。

 モグラのフォートがまっすぐ優の元へと歩み寄ってくる。ここには遮蔽物も多い。逃げ続けて奴に潜らせれば勝ちだ。

 そう頭の中で策をたてていると、耳元に大きな声が流れてきた。


「うわぁぁぁぁ!」


 男性の叫び声。視線を向けると、そこにはなんと同じ係だった男の子と女の子がいた。恐らく寄り道で来たのだろう。まさか怪物に出会うとは思いもしなかったのだろうが。

 声を聞きつけ、フォートは狙いを二人に定め直した。


「ひいっ!」


 腰が抜けているのか、尻をついて動けないでいる。顔は恐怖で怯え、歯をガタガタと震わせていた。女の子は男の子の腕にがっしりと掴んで怯えている。

 このままではまずい。

 フォートは二人の目の前に立つと、恐怖を煽るようにドリルを回した。ギュルギュルとした凶暴な音が二人を絶望に叩き落としている。フォートは右腕を振り上げた。

 間に合え!

 すぐ様間に割って入り、ドリルを剣で受け止める。回転が刃を通して伝わってくる。こんなもので叩かれたらどれほどむごいことになるのか。想像もしたくない。片方のドリルの追撃が来る前にフォートの腹目掛けて蹴り飛ばした。向かいの車のフロントガラスにすっぽりと体がハマり抜け出せないでいる。これでしばらく出てこない。

 今のうちだ。


「だ、大丈、夫?」


 しゃがみ込み、二人に目線を合わせる。状況を飲み込めていないのか、ポカンと口を開いて固まってしまっている。とても逃げられる状態ではなさそうだ。


「こ、ここにいて」


 そう告げると、フォートの目の前までゆっくりと近づく。フォートは車を破壊して、無理矢理脱出していた。飛ばされたことが屈辱だったのか、狙いを優に定めているようだ。都合がいいと、二人から引き剥がすように優はフォートを遠くへ誘導する。

 二人を傷つけさせない。優しくされたからとか、知っている人だからじゃない。

 中学の時に起きた事件以来、他人が怖くなった。いつかまた、自分から離れるのではと不安だった。でも姫華も、一も、狼樹も、颯も、こんな自分のために戦って、友達になってくれた。この世には良い人も悪い人も両方いる。それは一目でわかることじゃない。だから信じたい。目の前で怯えている人が良い人であると。この手で少しでも多くの善人を守れるように。

 柱や車を使ってフォートの視界を撹乱する。姿を見せたかと思ったら身を隠してを繰り返し地上では攻撃は通らないと思わせるのだ。

 そうしてまんまと策にハマり地中へと潜り出した。

 チャンスだ。

 優は全神経を集中させる。目を瞑り、鼻息を止め、耳と肌の感覚を研ぎ澄ませる。地中でうごめくドリルの音、足元から伝わる微かな揺れ。優の固有能力、超感覚。任意の五感を高め、今のように闇の中にいる敵の位置を突き止めることができる。

 地中の揺れが強くなっていく。背後からの土を掘る音も近づきつつある。そろそろだと、右手に構えているアビステイルに力を込める。等々フォートが地面から飛び出してきた。ガラ空きとなっている胴に向け、漆黒の刃"ファントムスラッシュ"を叩き込む。ゴツゴツとした肉体は真っ二つに分かれ真っ黒い血がそこかしこに飛び散る。最後には幻に返るようにその巨体は姿を消した。

 後に残っているのは黒い鎧に身を包んだ竜騎士のみ。

 二人は大丈夫だろうか。いや、フォートを倒したのなら記憶は無くなっているだろう。今ごろどうしてこんなところでへたり込んでいるのかと困惑しているだろう。クラスメイトに命懸けで守ってもらったことも知らずに。だがそれでいい。何も知らないでいる方が彼らにとって幸せだ。

 怪物に命を奪われそうになったなんて、トラウマどころではない。そんなことでは折角の文化祭も楽しむことはできないだろう。

 後二週間。狼樹は演劇、颯はゼリー屋さんだっただろうか。お化け屋敷にもたくさん人が来て欲しい。初めての高校の文化祭。他にもどんなものがあるのか、今から楽しみだ。

 

 

 

  ——————

  おまけ

 

 昼休みの廊下と聞くと、初めに何が思い浮かぶだろうか。授業から解放された生徒たちの束の間の休息時間として、談笑や往来で賑やかしい光景が思いつくだろう。

 一が今いる場所はそれとは正反対の景色が広がっている。ここは二号館の一階。家庭科室や理科室などの専門的な教室が並ぶ校舎だ。そのため実技棟とも呼ばれている。移動教室でもない限りここを通ることはほぼないため、いくら昼休みといえどもこの一帯だけは静けさを保っている。

 どうしてここにいるのかというと、単純に散歩だ。昼食を済まして、特に課題や小テストもなく暇であったため、こうしてぶらぶらとこの二号館まで足を運んだのだ。

 ここはいい。誰もおらず静かで落ち着く。耳に入るのは自分の靴音のみ。ここにいると、学校に自分一人だけになったような心地になる。閉ざされた教室、窓から見える木々、そのどれもが静けさを保っている——と、落ち着いた心地に浸っている一の耳に小さな音が聞こえた。靴音でも木が揺れる音でもない。何か大きな物をずらしているような音だ。それはちょうどすぐそばの階段下から聞こえた。

 この校舎の階段下は吹き抜けになっており、下には使わない机や椅子が並べられている。音はこの、一階と二階を繋ぐ踊り場から聞こえる。ズズズと物を引きずり動かすような音、誰かいるのだろうか。無視することもできたが、好奇心の方が上回りそっと覗いてみる。真っ先に見えたのは見覚えのある紫の髪。背格好からもう相手が誰なのか想像がつく。


「優?」


 名前を呼ばれた背中はぴたりと止まり、後ろに振り向いた。


「あ、一。どうしたの?」


「優こそこんなところでどうしたの?」


 何やら机を動かして、隅っこに優の体がすっぽりと入れるスペースを作っているようだった。


「えっと、こういう薄暗いすみっことか好きで……」


 どうやら本館のトイレがどこも埋まっていたためにここまで来て、戻る道中でここを見つけたらしい。

 まさか友人の意外な好みを見つけることになるとは思いもしなかった。

 知り合う前は寡黙でクールなイメージがあったが、自室のぬいぐるみや今の隅っこ好きもあの当時では考えられなかっただろう。人は見かけによらないものだ。


「もしかして、教壇の下のスペースとかも好き?」


「好き」

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