第2章2話 思い出の味は今でも
もう何年も前の話だ。颯の姉、深宮珊瑚は産まれながらにして病を患っていた。彼が物心つく頃から入退院を繰り返し、家にいる時のほとんどは自宅療養のためあまり遊ぶことはできない。
だからこそ、あの小さな思い出は今でも忘れることは無いのだろう。
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1
一年B組は今、絶体絶命の危機を迎えていた。クラスメイトはみな神妙な面持ちをしており、今置かれている状況の切り抜け方を模索している。教室の空気は重々しい絶望の色へと変わり、誰かこの流れを打破できる勇者の登場を待ち望んでいた。
「誰か、他に案のあるやつはいないのか」
文化委員が必死に呼びかけるが、誰も顔を上げようとしない。名乗りでる勇気もアイデアも、一人として持っていなかったのだ。
「どうするんだみんな、このままでいいのか!」
文化委員が黒板を指さしてクラス中に問いかける。
どうしてこうなったのか。話は文化祭の出し物を決める時に遡る。
食べ物関連をやることは決まっているのだが、問題は中身だ。折角だから意外性のあるものをやろうと誰かが言いだたことからこの悲劇は始まった。焼き鳥やワッフルのような定番は避け、とにかく文化祭にあったら間違いなく目を引くようなインパクトを重視。結果出た案は、漬物バー、揚げたピザ、生クリーム直飲みと、飲食店としてはあまりにも常軌を逸したものばかりで、売り上げは期待できそうにない。そして気がついた頃にはもはや引き下がれないところまで来ていたのだ。
「どうするんだお前らこれでいいのか⁉︎」
いいはずがない、こんなものが売れてたまるかと誰もが思っていた。しかしここまで来て無難な物は出せない。ここを打破するためには誰かが生贄となりKYの烙印を自らに押さなければならない。そんな勇者の誕生を誰もが待ち望んでいた。
(俺が行くしかないのか……)
颯の心が強く揺れ動く。クラスのために自らが生贄となるしかないのだろうか。ただそれは、今のクラスの空気の流れから相反するものだ。逆らうことはフォートと戦う以上に勇気がいる。
根っからのヒーローなら進んで身を差し出すだろう。だがどんなに強大な力を持っていようと、颯も普通の高校一年生。周りの空気感に抗うことがどれほど難しいことか。メサイアとしての善性と年相応の心。その二つが颯を惑わせている。
そして永き沈黙の中、一人の男が立ち上がった。
「お、岡村?」
その男は名を岡村と呼び、クラスでも一際おおらかな人物だった。
「何か、案があるのか」
岡村は首を縦にふった。クラス全員が息を飲んで岡村を見つめる。等の本人はまだどこか躊躇っているのか、手元が震えている。首筋には汗を流しており、前を向くことができないからかずっと俯いている。
だがついに、意を決したように口を開いた。
「ゼリーとか、どうでしょう」
岡村はどこか諦めたような、失うものはもう何も無い、そんな清々しい表情をしていた。それはまさしく全てを捨ててでも世界を守ろうとする、勇者の顔をしていた。
「よし、ゼリーでいいな……決まりだな!」
文化委員は早々に切り上げようと無理矢理に決定したが、異を唱える人は誰もいなかった。クラス全員岡村に哀悼の意を評し、心の中で敬礼した。これにて一人の勇者の犠牲により、後のB組暗黙の獄事件は幕を下ろした。
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2
「ゼリーって珍しいほうじゃない?」
昼休みの屋上。衝撃の事実を一の口から告げられた。
文化祭でゼリーはあまり聞いたことがないと。意外性はそこまでないが、文化祭でやるにしては珍しい方だ。
クラス全員冷静さを欠いていたため誰一人気づくことがなかったのだろう。
「ということは、岡村の蘇生は可能なのか?」
「蘇生はわかんないけど、伝えたら元気でるんじゃないかな?」
この事実に心から安する。これで岡村の心の傷は帳消しにされるであろう。ただあれほどの業を背負わせることになってしまったことは申し訳ない。今度クラス一同で何か奢るべきであろう。
「それで、ゼリー屋さんってどんなことやるの?」
ゼリーを売るといっても市販のものを売るのか自分たちで作るのかと色々ある。そこをどのようにするかを考えるのも文化祭の醍醐味だ。
「あぁ、俺たちで作ってそれをデコるって言ってたな」
今どき普通のものを出してもあまり集客は期待できない。SNS映えを考慮したデコレーションするなどをして他と差別化しなければ。
「手作りか、楽しそうだね。颯って料理できるの?」
「え、あ~んまりだな。でも……」
正直あまり得意ではない。いや、完全にできない訳ではないが、単純に見た目が不恰好なのだ。野菜の大きさは不揃いで、オムライスの卵も穴だらけ、人様に出すにはあまりにもおざなりな出来だ。
ただ一つだけ、作れると言える料理がある。初めて作って以来、何度も繰り返し作り続けてきた唯一の得意料理であり、一生忘れることのないであろう味である。
「りんごゼリーは作れるぜ」
「りんごのゼリーか。じゃあ丁度いいね。でも、なんでそれならできるの?」
そう一は疑問を投げかけた。
ピンポイントすぎるため無理もないだろう。そんな可愛らしいもの、自分のイメージと合わないことなど難なく自覚できる。
「昔姉ちゃんと作ったからだな」
そうして語り出した。かつての姉との思い出を。
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3
颯には物心ついた頃からこびりついて離れない光景がある。それは姉の珊瑚が入院していた頃の記憶だ。様々な機械に繋がれて、酸素マスク越しのくぐもった声こそが地声だと勘違いしていたほど長い間寝たきりになっていた。
家でも病院でもベッドで苦しそうな声を出していたためか、姉弟で一緒に遊んだことはあまりなかった。
仲が悪いということは全くなく、珊瑚は遊んでやれないことを気にして、颯も無理をさせまいと近づこうとしなかった。そうして互いに気遣い合い、交わることはなかった。
重ならないのは両親も同じだった。珊瑚の体はいつ急変してもおかしくない。突然熱を出しては両親共々車を出して彼女を病院に送っていた。その間颯はいつも隣の家に預けられていた。
あの頃はいつも、病院に向かう父と母を見送っていた。
寂しかったかと聞かれれば、そんなはずはないとすぐに答える。あの頃一番苦しかったのは珊瑚の方だ。病にふせ、同年代の子たちと同じように駆け回ることもできず一人ベッドに寝転んだまま。朝起きてもいるのは医者と知らない人ばかり。颯は両親がいなくても町の人たちがいる。近所に住む子供たち、最近引っ越してきた夫婦や昔から住んでいるお爺さんまで、物心ついた頃から青藍町には颯の知り合いで溢れている。
だから寂しいはずがない。例え家族が姉に付きっきりであろうと、町の人たちがいれば寂しくなるわけがない。
だがそれでも、颯にあまり構ってあげられないことに両親は罪悪感を抱いていたのだろう。
小学校に入学してしばらく経ったある日。母はみんなでお菓子作りをしようと言いだした。今にして思えば、これは母親なりの家族の時間なのだろう。遠出ができない珊瑚でも楽しめるように家の中で楽しめるものとして提案したのだ。それを聞いた時は胸が躍った。お菓子作り自体が初めてであり、何よりも姉と一緒に何かできることが嬉しかったのだ。
その時に作ったのがりんごのゼリーだ。
母がカットしたりんごを、二人で手に持ってすり下ろした。皮のついていないりんごは滑りやすい。まだ小さい二人が怪我をしないようにという母の配慮だ。
あの日珊瑚に握られていた手の温もりを今でも覚えている。二人で作ったのは、あれが最初で最後だった。
第二回が開催される間もなく、珊瑚は再入院することになった。退院後もそんな余裕はなく、また前の日常に戻ってしまった。
ただ颯は、母と共にゼリーを作り続けていた。姉が元気になれるよう、また一緒に作れるよう、そんな願いを込めて。
珊瑚が退院できたのは、颯が中学に上がった頃だった。部活が本格的になったことで二人は時間を合わせづらくなり、結局あれから一度も作ることはなく、今日まで時間が過ぎてしまっていた。
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4
「——そんな感じでな……悪いな、長ったらしく話しちまって」
「ううん、そんなことないよ。すごくいい話だと思う」
「そうか、なんか照れくさいな」
自分で語っておきながら今さら恥ずかしくなる。一の真摯な眼差しが余計にむず痒い。
「ま、善は急げって言うし、放課後あたりにでも作ろうと思ってるんだ。よかったら——やっぱなんでもねぇ」
「う、うん?」
危うく試食を頼むところだった。最後に作ったのは小学六年の頃の話で、それ以降は調理実習くらいでしか包丁を持ったことがない。作る手順に関してもあやふやな点が多い。そんな状態で作ったものを出す訳にはいかない。
「ともかく、絶品の物を作ってやるから、当日楽しみにしててくれ」
「わかった。楽しみにしてるね」
絶品などという言葉を使ってみたが、正直言うと自信はあんまりない。だが宣言してしまった以上はやりきるしかないのだ。
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5
家に帰ると、早速調理に取り掛かった。必要な材料は下校の時に調達済み。しっかりと手洗いをし、エプロンをつけたらクッキングタイムのスタートだ。
「あれ、何か作るの?」
キッチンで準備をしていると珊瑚がリビングから顔を出してきた。
「あぁ、今度の文化祭でゼリーを売るからさ。そうとなったら俺のりんごゼリーの出番でしょ」
「そっか、でも一人で大丈夫? 今まで私かお母さんと一緒だったんでしょ」
そ颯はこれまで珊瑚か母と一緒に作っていたため、一人で作るのはこれがはじめてだった。これも颯の懸念点の一つだ。
「大丈夫だって、俺ももう高校生なんだから」
そう虚勢を張って、調理を始める。その様子を珊瑚は不安そうに見つめていた。やはり心配しているのだろう。それを払拭するためにも、一層注意しつつ作業をせねば。
「えっとまずはりんごの皮むきからだったな」
包丁を使って皮を剥いていくが、中々まっすぐにはいかない。手が滑って思った方向にむかわずところどころで切り損じた皮が残っている。
皮を剥いたりんごは、それはそれは優しい金色をしており、丸まった形が美しさを際立たせている。しかし颯が切ったりんごは、でこぼことして不格好。これでは金色もあまり引き立たない。
気を取り直して、次はすり下ろしやすい用一切れサイズに切っていく。昔も母がすり下ろしやすい用に切り分けてくれていた。それに倣って包丁を入れていくが、凸凹としたリンゴは切りづらく、個々のまとまりが一切ない。それでも、少しでも母の物に近づけようと手を動かした。
だが勢いの余り、鋭い刃が手の甲に激突してしまう。
「痛って!」
「颯!」
珊瑚はすぐに颯のそばに駆け寄り怪我の様子を見た。親指と人差し指の付け根辺りにまっすぐとした赤い線が広がっており、そこからじわじわと血液が染み出している。
「すぐに洗って薬塗って絆創膏貼ってきて」
そう珊瑚は言葉を畳み掛ける。彼女の勢いに気をられ、急いで手洗い場へと向かった。
キッチンに戻ると、目を丸くするようなものが飛び込んできた。綺麗に八等分されたリンゴが皿の上に盛り付けられ、そのすぐ隣には包丁を持った珊瑚が立っていた。
「あ、颯。ごめんね、勝手に切っちゃって」
姉のことだ。颯が怪我をしないように苦手なところはやっておいた方がいいと思ったのだろう。自分が不甲斐ないばかりに面倒をかけてしまった。
「いや、こっちこそごめん姉ちゃん。ここからは俺一人でできるから」
そう言うとビニール手袋をつけ、りんごをすりおろしはじめた。皮の剥がれたりんごは滑りやすくしっかりと握っていないと落としてしまいそうだ。しかもすり下ろしの上でもその滑らかさは変わらず、持っている手も、力の抜けたコマのようにぐらぐらしている。
先程のように怪我をしてしまえば、また珊瑚を心配させる訳にはいかない。手を滑らせないよう意識を集中させて挑まねば。
そう気を張っていた颯の手を、珊瑚は包み込むようにそっと握った。
「あ、いいよ姉ちゃん、一人でできるから」
「無理しないで。また怪我したから大変でしょ」
「でも……」
正直に言えば、珊瑚と一緒に作りたいという気持ちは大きい。だが颯としては、珊瑚に面倒をかけさせるのは本意ではない。もう少し気をつけていればこうはならなかったのではないか。
「それにね、これは私がやりたいからやってるの」
珊瑚の言葉に、思わずえ、っと声がもれた。
「ほら、こうやって二人で料理なんて小学生ぶりでしょ。入院してる時も、いつ颯とまたお菓子作りできるんだろうって考えてたんだ。颯も年頃だから、お姉ちゃんと料理って恥ずかしいかなってずっと黙ってたんだけどね」
そう珊瑚は照れくさそうに告げた。
姉がそんな風に思っていたとは考えもしなかった。
あの頃は何もできず、ただ黙ってそこにいることしかできなかった。自分が姉に対して何ができるのかわからずただ無理させないよう、両親にも心配させないようずっと笑顔でいることしかできていなかった。そんな自分が、珊瑚にとって少しでも助けになっていなのだと。
「いや、そんなことねぇよ。俺もいつかまた、一緒に何か出来たらなって、思ってたから……」
口からでた言葉のせいか、頬に熱がこもる。気恥しさからか、颯の顔は真っ赤に染まっていた。
「そっか。じゃあこれから色々作っていこ! まずはこれを完成させなきゃね」
そうして二人はあの日のように、思い出の結晶を作り上げた。二人の温もりが、より多くの人たちに届きますようにと、願いを込めて。
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おまけ
「あれ、優じゃねぇか」
ローファーに足を入れようとしていると、横から颯が話しかけてきた。この時間にいるということは今日は部活はないのだろう。
「一は一緒じゃないのか?」
「今日は図書委員があるんだって」
「へぇ、じゃあ一緒に帰ろうぜ」
ちょっと待ってなと言いながら颯は上靴を脱いでローファーへと履き替えた。
校門は帰宅する生徒たちで溢れており、二人もその群衆へと入っていく。道ゆく生徒のほとんどは顔も知らない他人同士。だが颯にとっては違った。すれ違いざまにじゃあなと声をかけ、通り過ぎる生徒からも声をかけられ、優と並びながらも何人もの人たちと挨拶を交わしている。
あいも変わらず颯の交友関係は広い。地元ということで小中一緒の子が多いとは聞いていたが、中には高校からの友人も半分はいるだろう。
ただ、こんなことは序の口。彼の本領はこの生徒の波を抜けてから発揮される。
彼の通学路の道中には商店街がある。蜘蛛のフォートと戦った旧商店街とは違い、今でも活気に溢れた場所だ。大勢の買い物客に、いらっしゃいという店主の声。食料品だけでなく服屋やクリーニング、ペットショップなど幅広い店舗が営業している。
ここを通る時はいつも賑やかに感じるが、颯といると尚それを肌で体感する。
「お、颯! もう帰りか?」
「あら颯くん、お姉さんは元気?」
「今度家族で飯食いにこいよ、サービスするぜ」
この通り、八百屋のバイト、買い物客のおばさん、定食屋のおじさんなど、色んな人が颯に声をかけていく。颯もいつものことのように笑顔で返事しており、地元であろうとここまで顔が広いのはいくらなんでも彼くらいだろう。実際姫華の店にくるお客さんも九割ほど颯の知り合いだ。逆に彼を知らない人間はこの町に何人いるのだろうか。
「なんだ、優。俺の顔になんかついてるか?」
ただ、これだけの人と知り合いということは、みんな颯の人柄が好きなのだろう。フレンドリーで接しやすく頼りがいのある。
今こうしていられるのも、颯が歩み寄ってくれたからだ。他者と関わることが怖かった自分に根気強く向き合ってくれたからこそ、ちゃんと自分の気持ちと向き合うことができた。
そういった意味で、彼に対して憧れと感謝の念を抱いている。もっと彼のようになれたら……と。
「なんでもない」
いつだって笑顔をくれる君に、少しでも近づけられたら。
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