第七章:ふたりが、ひとつになる
夜の校舎は、静かだった。
新しい“クマくん”は、布団の中で目を閉じながら、なかなか眠れずにいた。
耳の奥で、遠くのフクロウの声が鳴いている。
それ以外には、なにもない。
でも――心の奥のどこかで、“誰か”の気配を感じていた。
(……だれ?)
問いかけても、声は返ってこない。
ただ、胸の内側、毛皮の内側、
もっと深く、ぬくもりの核のような場所から、
やさしい感情がゆっくりと浮かび上がってくる。
――あたたかい。
――さみしい。
――だいじょうぶだよ。
それは、ことばじゃなかった。
記憶のかけら。
白いノート。
空席の机。
着ぐるみの腕で誰かを包んだ感触。
それらが、夢のように少年の心に流れ込んでくる。
「……これ……ぼくじゃないのに、
……なのに、なつかしい」
少年はそっと、自分の胸に手を当てた。
モコモコの毛の奥、ぬくもりのもっと奥に、
たしかに“誰か”が眠っている気がした。
⸻
次の日。
“クマくん”としての生活が、始まっていた。
ぼく、と呼ばれ、返事をする。
まるでそれがずっとそうだったかのように、自然に。
でも、ふとした瞬間――
手が勝手に教室の隅に目を向ける。
足が、無意識に裏庭に向かおうとする。
言葉の合間に、“昔のぼく”が思い出しそうになる。
そしてあるとき。
放課後の、人気のない図書室で。
本棚の陰に置かれていた、古びた白いノートを開いた瞬間。
少年の中に、“声”が流れこんできた。
「きみが入ってくれて、うれしいよ」
あのときの“ぼく”の声。
消えたと思っていた、完全に着ぐるみになったはずの意識が、
今、少年とひとつになろうとしていた。
⸻
その日から、クマくんの中には「ふたりぶんのぬくもり」があった。
新しく来た少年と、かつてここにいた“ぼく”。
名前はどちらも失っていた。
けれど、ひとつのクマぐるみの中で、互いを知り、抱き合って、
やがて区別がつかなくなっていった。
悲しみも、思い出も、やさしさも、
全部ひとつになって、クマぐるみの笑顔になった。
⸻
「クマくん、今日もありがとう!」
「ねえ、“ぼくのこと”覚えててね!」
みんなが手を振る。
その声に、クマぐるみの中で“ふたりのぼく”が、笑って応える。
「うん、だいじょうぶ。ちゃんと、いるよ」
それはもう、どちらの声でもなかった。
それでいて、とても“自然な声”だった。
クマぐるみは今日も、森の小学校で生きている。
誰かが入ってきたときにそっと迎え、
そして、忘れかけた記憶と一緒に、静かに生まれ変わっていく。