第二章:空席
朝の鐘が、森の奥にコーンと鳴り響いた。
ランドセルを背負って、クマぐるみのまま森の小道を歩く。
制服の上からクマの毛皮をかぶったこの姿は、もう当たり前になっていた。
鏡で見ても驚かなくなった。
“ぼく”が“クマくん”として暮らす日々は、静かに馴染んでいく。
校舎に入ると、教室にはケモノの仲間たちが集まっていた。
ウサギぐるみのミル、タヌキのポン、イヌのケン。
みんな、きっと昔は人間だった。でもその頃のことは誰も話さない。
「おはよう、クマくん!」
「今日の“森のルール”のテスト、覚えてる?」
「一緒に“けもの体操”しようね!」
みんなにそう言われて、ぼくも自然と笑って返していた。
笑うこと、しゃべること、体操すること――全部、ここで教わった通りに。
でも、その日の朝だけは、違和感がひとつあった。
――教室の奥の窓ぎわ、スズの席が空いていたのだ。
スズはリスぐるみの女の子。
ちょこちょこ動いてよく喋って、昨日までずっとそこにいた。
でも今朝、席はぽっかり空いていて、
出席をとる先生は、何も言わずスズの名前を読み上げなかった。
まるで最初から、そんな子いなかったみたいに。
周りの子たちも、スズの話を一言も出さない。
ぼくは、その沈黙に、言葉を失った。
以前にも――たしか“ミミ”って名前の子が、同じように消えていった。
その時も、誰も何も言わなかった。
ただ、静かに一つの席が空いて、そして、忘れられていった。
森の小学校には、“卒業”という言葉がない。
けれど、ときどき、こうやって「誰か」がいなくなる。
⸻
放課後、ぼくは校舎の裏庭へまわった。
誰も使っていない、壊れかけのうさぎ小屋。
その奥、木の影に、それはあった。
中身のない、リスの着ぐるみ。
スズの姿をしていたもの――それが、ただ静かに、ぺたんと落ちていた。
手も、顔も、耳も、全部そのまま。
でも“スズ”という名前も声も、そこにはなかった。
「……やっぱり」
思わず声がこぼれたその時、背後から聞こえた。
「見つけたんだね、クマくん」
振り返ると、そこには担任のシカぐるみの先生がいた。
あいかわらず静かで、やさしい声だった。
「スズちゃんは、“脱いだ”んだよ。
自分で決めて、“中身”を森に返したんだ」
「……どこへ行ったの?」
「きっと、森の奥で別のかたちになったんだろうね。
この着ぐるみは“殻”にすぎない。次の誰かが、またここに来るまで眠っているんだよ」
先生は、そう言ってスズの着ぐるみをそっと抱きあげる。
ぬいぐるみのように、やさしく。
まるで命がまだそこにあるみたいに。
「君はまだ、“ぼく”のままだね。名残りが残ってる。
でも、クマぐるみとしての暮らしが、それをゆっくり溶かしてくれる」
先生はそう言って、ぼくの頭を軽くなでた。
その手が、すごくあたたかくて、なぜか泣きそうになった。
⸻
夜。布団の中で目を閉じながら、ぼくは考えていた。
――スズは、森に帰った。
――ミミも、もうこの教室にはいない。
でも、ぼくはまだここにいる。
クマぐるみとして、まだ“名残り”を抱えたまま。
(きっと、ぼくもいつか……)
そんな考えがよぎるたびに、胸がきゅっと苦しくなる。
でも、明日もまた、朝の鐘が鳴る。
森の小学校で、ぼくは席に座る。
空いた席をちらっと見ながら、いつも通り「おはよう」と言う。
ぼくはまだ、ここにいる。