64 朝の会食
「―― それにしても、このビッタートランクなるものは、実に面白いな。ただ苦いだけではなく、この香り……何かこう、落ち着くというか……これもイルマーニアからの交易品だったね。苗木なども分けてもらうことは出来るのかな?」
マクシミリアン、テオドール、フェリクスの朝食に、なぜか当たり前のように参加しているウルリヒ。当初は、シュヴァルツブルク家全員の朝の会食への参加を願い出ていたが、ジギスムントの差配により、今後の未来を担う面々だけでの会食となっていた。
「……ウルリヒ殿。このビッタートランク一杯を抽出するのに、いったいいくらかかっているのか、お分かりですか?」朝から溜息をつきながら、頭を掻くテオドール。
「フェリクスたっての願いで、このイルマーニア秘伝の薬湯を手に入れましたが、この一杯だけでも一般兵ひとりの半月分の給与が支払えるような代物なのですよ」温厚なマクシミリアンも、さすがに朝からズケズケと自身の主張をするウルリヒに呆れ、目線も合わせず、冷たく吐き捨てた。
「ビッタートランクの苗木は、成木になるまでに三年の時を要し、その間も非常に繊細な温度調整が必要となります。我らが帝国領内で、その生育環境として見合う土地はなく、その生育には、全面ガラスで覆った温室や温泉の地熱などの活用も必要となってきます」フェリクスは、ビッタートランクと名付けたコーヒーをすすりながら、ウルリヒに答え、会釈した。
「なんと!それほどのものか!馬鹿げた費用は要するが、それゆえに貴族の飲み物としては相応しいな。どれくらい収穫できるかは分からんが、成功の暁には是非ともシャフハウゼンにも分けていただきたいものだ。もちろん対価は言い値で支払うゆえ」
強請り、集りの勢いの軽口かと思いきや、その価値を知ってなお「言い値で支払う」という言葉に、三名は、この男の頭の回転の速さを改めて思い出した。
「時に、テオドール殿。卿にはもうすでに決まった婚約者などはいるのかい?」
「え、いえ……まだに御座います……が?」
「シャフハウゼン家の当主レオポルドの娘で、我が妹でもあるマグダレーナとの縁談の話も勧めて来いと父上から言われてきたのだが、興味はあるかい?」
「え、私ににで御座いますか……?」
テオドールは、困惑した。マクシミリアンを狙っての縁談の話であれば、ある程度の予想もつくが、自分を狙ってきたことには、どういった意図が込められているのか、を勘ぐったためであった。
「マクシミリアン殿が婚約を解消し、今、自由の身となっているというのは、こちらも耳にしている。しかし、それは帝室との縁組が内定してのことであろう。それよりも君だ、テオドール殿。君はまたそこにいるフェリクスとは異なる秀才だと聞く。シャフハウゼン家としては、シュヴァルツブルク家との誼も含め、君ほど最適な<標的>もいないのだが、どうだ?」
あっさりと<標的>と言ってしまうあたりに、ウルリヒという男の大胆さと気持ち良さを感じ、テオドールの心は揺らいだ。
「兄への忠誠心も高く、けっして裏切ることはないだろうが、君にもそれなりの野心があることは理解している。君が結婚し、辺境伯家からフライブルクの領地を与えられるのであれば、我らはファーターライン(=ライン川)を挟んで隣接する、西岸の土地のすべてを君に送ろう。これならば、君の矜持を保つのにも、そこまで不足のある条件とはなるまい?」
川という防波堤もなく、フランカ王国とも隣接するシャフハウゼン家が抱える紛争地帯。交易がさかんであった頃には押さえておきたい土地でもあったが、今後の様々な改変を考えれば、シュヴァルツブルク家に持たせた方が、むしろ都合が良いというシャフハウゼン家の判断であった。
―― すべてが明け透け。
自分たちには価値のないものを高値で売りつける天才。まだ世間ズレを起こしていないシャヴァルツブルクの三名にとって、ウルリヒは油断ならぬが、また同時に学ぶべき相手だとも、強烈に印象付けられた瞬間であった。
【Bittertrank】フェリクスが命名したイルマーニア産「コーヒー」の帝国名。ジギスムントも、たいへん気に入っており、自身は『Wachtrunk=目覚めの飲み物』とも呼んでいる。
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