62 ウルリヒ
ステファノが崖から転落死した原因。
それは意外なものであった。
ステファノの<清貧の行進>によって、出された食事に耐え切れず、周辺を勝手に散策した農夫たちがいた。彼らは運よく、すぐに茸の栽培地を見つけ、そこから数十本を失敬した。
茸は、自然に森の中に生えていたものではなく、すべて人工的に、計画的に育てられていたものであった。そのため、彼らは勝手に「すべて食用」であると判断し、ステファノに献上した。
献上当初、皆が毒性のものが混ざっていないかを心配した。だが、ステファノには、森の中で自生していたのを見つけたが、茸に詳しい者が「すべて大丈夫だと言っている」と、農夫は伝え、また他の者たちには「栽培されていたものだから大丈夫だ」と教えた。こうして、貧しい野営の晩餐に、丸まると太った茸類が加えられることとなった。
―― その茸類の中に「幻覚性の茸」が混ざっていたのであった。
「なるほどな……証言の食い違いはその茸が原因か。ステファノが可愛がっていた農夫は、他領で泥棒も平気で行う鼠であったというわけだな。呆れて物も言えんな」
フェリクスの説明に、怒りを通り越し、完全に呆れの顔を見せるテオドール。
「ああ、だから勝手に落ちたという証言が正解のようだ。偶然まだ手をつけていなかった者たちを除けば、盗んだ茸を食うこと自体に抵抗を持った敬虔な者たちだけが、事実を垣間見れた、というわけだ。しかし……」
「しかし?」
「こんな話、シャフハウゼンの者が、そのまま受け入れるかな?」
「ああ……事実はどうであれ、政治的利用を試みようとする者が出てくるであろう。厄介な話だが」
「明日、明後日にはおそらく、あちらからの調査員も訪れるはずだ。とりあえずは氷室からの氷を増やし、ステファノの遺体の保全。それと折れて、あらぬ方向に曲がっている首を出来るだけ元の位置にして……少しでもマシな心証となるよう、努力でもしておくか」
「どのみち、あやつは本家でも鼻つまみ者であったのだろ? わざわざそこまでする必要があるのか?」
「何事も配慮だよ。これは死者に尽くすための礼ではない」
「なるほどな……」
◇
「―― やあやあ、これはこれは。噂に名高きノイシュタット子爵フェリクス殿と、辺境伯家が次男、こちらも大変優秀とお噂のテオドール様にまとめてお逢いできるとは、光栄の極みにございます」
シャフハウゼン伯爵家から送られてきた調査員の中に、ひとり奇妙な若者がいた。
「我が名は、ウルリヒ・フォン・シャフハウゼン。此度の事故処理とシュヴァツルブルク家との今後の円満なる関係性の構築のために、シャフハウゼンより派遣されし、若輩者にございます……あっ」
若輩者という卑下した言葉を、自分よりも年下であろう二名に対し、行ってしまったことに気づき、少し焦るウルリヒ。この何とも言えない、間の抜けた自己紹介と、シャフハウゼンが円満な解決を望んでいるという言葉に、テオドールとフェリクスを心底安堵した。
「で、此度の事故の原因なのですが」
「あ、それについてはですね」
説明を始めようとするテオドール。
「おそらく、幻覚性の茸か何かを野営中に食べてしまい、混乱の最中、不幸にも崖から転落してしまった。といったあたりではありませんか?」
「「えっ、なぜそれを!?」」
テオドールとフェリクス、そしてシュヴァルツブルク陣営の調査員たちの全員が驚いた。
「証言の食い違いや状況を考えれば、最もありえそうな話ではないかなと。ひょっとして、証拠となる茸類なども、すでに目星がついていたりするのでしょうか?」
「えっ、ええ、はい……こちらにお持ち致しましょう……」
調査員のひとりに合図し、当日食べられたであろう茸類を詰め込んだ籠を、テーブル上に運ばせるフェリクス。
「ああ、よかった。現物があるのですね。念のため、こちらからもシュヴァルツヴァルトでも生育する<赤き幻影>を持参していたのですが、そちらは無駄になりましたね……ああ、なるほど。こいつか」
笑顔で、籠の中の茸を漁り、幻覚性の茸だけを的確に抜き出すウルリヒ。それを唖然と見つめる辺境伯陣営。
「これにて、叔父上の転落事故は無事解決ですね。そんなことよりも、今後の交易の再開などについてを、少しお話させていただけませんか。あ、もちろんシュヴァルツブルクまで同行し、ジギスムント様ともお話させていただくつもりですが、まずはシュヴァルツヴァルトの未来を担うお二方と下拵えなどを」
ただならぬ男、ウルリヒ・フォン・シャフハウゼンに、ずっとペースを握られ続けるフェリクスとテオドール。彼が、次のバーゼル大司教となる人物であると目されているいうことは、この時点で、まだ知る由もない二名であった。
天使か悪魔か。切れ者であることは間違いなさそうなウルリヒとその部下たち
ウルリヒ(Ulrich, Udalrich)は、古高ドイツ語 uodal(財産・遺産・家系の領地)+ rihhi(支配・権力・富)からの名。「祖先から受け継いだ領地の支配者」「家産を守る権威ある者」の意。
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