57 散策
シュヴァルツブルクで行われた選帝侯会議は、恙なく終了した。想定されていた長期には及ばず、一か月の時を経ずして、先頃、無事閉幕した。これはジギスムントによる大盤振る舞いが主な原因であり、一同をより、驚愕させることとなった。
この時代、知識は宝であった。
有用な知識は、それそのものに貴重な価値があり、他の諸侯たちを出し抜くという意味でも、門外不出となるケースが多かった。しかし、ジギスムントは、その知の大盤振る舞いだけでなく、それに付随する様々な道具や、書物、作物、人員の派遣などを各選帝侯たちに約束した。ただし、軍事面における新技術などの供与は、最小限度にとどめ。
「―― おい、店主。この織物、本当にこの値付けで合っているのか?」
「なんです、うちでは値引きはしていませんよ。これほど上等な織物、他でこの値段で買えるところなんて、ありやしないんですからね」男に店主と呼ばれた、女主人が返す。
「ああ、分かっている。そのとおりだ。だから聞いているのだ。ケタがひとつふたつ少ないんじゃないのか?ってな。ひょっとすると、この価格表示は帝国の標準通貨単位ではなく、シュヴァルツヴァルト領内独自の通貨単位でもあるのではないのかと思ってな」
「1カイザーグルデンと1ライヒスターレル(=計5万円前後)で間違いありませんよ。私たちのとっての皇帝、帝国はひとつしかないんですから。だけど、もしもシュヴァルツヴァルトコインでのお支払いでしたら、ライヒスターレル分くらいはお負けしますよ」
シュヴァルツヴァルトコインとは、辺境伯領で独自に発行されている帝国通貨のことである。これはシュヴァルツヴァルト以外の各地でも同様で、統一規格の下、自領通貨が発行されている。金や銀の含有量、サイズなどを守っていれば問題なく、裏面に帝国を顕す刻印さえ入っていれば問題なく使えた。
ただし、当然のことながら偽造コインの問題もあった。通貨の鋳造技術がまだまだ低いこの時代、偽造は比較的容易であり、それゆえに精密で美しい、シュヴァルツヴァルトコインは、商人たちに安心感を与えていた(遠くへ行けば行くほど、コインそのものが倍値で売れることもあった)。
「悪いが、あいにくシュヴァルツヴァルトのコインはまだ手元にはない。シュタイアーマルク伯領の金貨と銀貨になるが、かまわぬかな?」
「ええ、もちろん。ただし、グルデンの入る取引なので、コインを比重計で測らせていただくので、少しお時間を頂きますよ」そう言って、男を測りの前に誘導し、コインを置く主人。
「見たことない型の比重計だな。これもシュヴァルツブルクの発明品か?」
「ええ、専門技術者の町で作られた高精度の比重計ですよ。試供品だとかいって、フェリクス様が各商店にお配りになられたものよ。あ、フェリクス様というのは、ノイシュタット子爵様のことね。本当にあの子のおかげで、この町も変わったわ」
(ここでもノイシュタット子爵の名が出るのか。本当にあの小僧がジギスムントの懐刀というわけか。それにしても―― )
「主人よ、あの子というのは、もしや主人はノイシュタット子爵と会話をしたことがあったりもするのか?」
「ええ、会話も何も、もっと子供の頃から知っているわよ。さっきだって、この店の前をひとりで歩いていて、挨拶してくれたし、今もまだそのへんにいるんじゃないの?」
店の奥にまで入ってきていた男は、思わず軒先を見遣った。
「辺境伯様とこのテオドール様もよく来るわね。長男のマクシミリアン様はたまにだけど、フェリクス様の婚約者になられたヒルデガルト様もけっこう城下に顔を出すわよ。あ、ほら、そこ、またフェリクス様!」
偶然のように、店の前を通りがかったフェリクスも、名前を呼ばれたことに気づいて振り向き、薄暗い店内を目を細め、見つめた。
「これはシュタイアーマルク伯様、このようなところでお会いするとは。奥方かどなたかへの土産物か何かの調達でございますか?」そう言って、店内に入ってきて、片膝をつき、左手を胸に当てるフェリクス。
女主人と会話していたのは、シュタイアーマルク伯ヴォルフラム、そのひとであった。
(少し髪を切り、髭も剃って、一般兵に変装しているつもりのヴォルフラム)
<アウレリア帝国内における通貨単位>
1カイザーグルデン(皇帝金貨)=20ライヒスターレル(帝国銀貨)=240ハイリヒクロイツァー(聖なる小型銀貨)=960ペニヒ(銅貨)
銅貨4枚で小型銀貨、小型銀貨12枚で帝国銀貨、帝国銀貨20枚で皇帝金貨と等価の計算。
複雑換算で、非常にややこしいが、史実でもこれに似た通貨単位なので、それに合わせてみた。ここでいう比重計とは、通常の重さだけでなく、浮力から金と銀の含有量を推定する装置。
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