54 使節団
「……ほぉ、決断したか。それは重畳」
バーゼル大司教ステファノへの処断の同意をフェリクスから伝えられ、ニヤリとするテオドール。フェリクスの同意を得る前に、ステファノの本家筋・シャフハウゼン伯爵家への伝令の手配を済ませ、すでに出発させていたテオドールにとって、フェリクスの方針変換は、うれしい誤算であった。
「そうなると、いよいよ事を進めても構わぬ……か」
テオドールにも、それなりの野心があった。
兄マクシミリアンと御家騒動を起こすつもりはないが、それなりの地位は目指したい。そのひとつの案として、シャフハウゼン伯爵家が、大部分を実質的に支配するバーゼルは、非常に魅力的な土地であった。ステファノさえ除けば、ファーター・ラインの上流にあり、シュヴァルツヴァルトと地中海を直線に繋ぐ、流通の要衝ともなりうる場所。それがバーゼルである。
「何をするつもりだ?」
聞いてくれ、と言わんばかりのテオドールの独り言に、合いの手を入れるフェリクス。
「シャフハウゼンには、血筋も良く、俺とも年近い令嬢が、ひとりいる」
◇
「―― これはいったい、どういうことだ?」
選帝侯会議の最中、中東から、イルマーン教国家のひとつであるイルマーニアからの大使節団が訪れた。これは想定外の来訪ではなく、辺境伯家と示し合わせた到着であったが、皇帝ヴィクトールとバイエルン公ルプレヒトを除けば、皆が一定の動揺を示した。
「邪教との交易など、ありえん! 誰か、やつらを早く捕縛せよっ!」とりわけ、ステファノは怒髪天の様相を示したが、ホストである辺境伯家は、彼の言葉など、どこ吹く風で、使節団に歓迎の意を表す。
「これは、これは……ヨハネス教の大司教でもある我々を目の前にして……」ドレステンの大司教であるエルンストが、横に立つ、同じくザールブリュッケンの大司教クレメンスに半ば、同意を求めるようにつぶやく。
「これもフェリクス殿の発案か、はたまたボヘミア王(=皇帝ヴィクトール)の企みか……いずれにせよ、辺境伯家が一枚噛んでいるのであれば、面白いものが見れるやもしれぬな」そんなことよりも、クレメンスが気になっていたのは、使節団が運び込んできた数々の荷の中身であった。これほどの数の異国の品に興味を持つなという方が、クレメンスには無理な話である。
「……これほどの荷が、ここまで無事に届けられたということは、バイエルン公もこの件に一枚噛んでいるということか」イルマーン教国圏から、シュヴァルツブルクに円滑に訪れるためには、バイエルン公領を通る必要がある。ルプレヒトの顔色を見ても、彼の預かり知らぬところでなかったように見えるため、シュタイアーマルク伯ヴォルフラムは、溜息をついた。そして、自領であるシュタイアーマルク領域を通ってない以上、ボヘミアもこれに関与していることを意味していた。
「それで、此度は何を運ばせて来たのだ、フェリクス?」
「主に香辛料や砂糖、高級織物などの嗜好品にございますが、天体観測に用いるアストロラーベや、蒸留装置、イルマーンの秘本なども含まれております。陛下」
「新型兵器などはないのか、フェリクス殿?」
兵器狂いの狼男(=軍務尚書のヴルク)は無視し、荷の中に含まれているはずの待望のコーヒー豆と、その苗木に思いを馳せるフェリクスであった。
補足)イルマーン(Ilmaan)は、Ilm(知)と Aman(平安)の合成語。知識と平和による救済を説く宗教。商人との親和性も高い。夜の祈りや、月の暦の使用などの習慣を持つ。
史実におけるコーヒーの歴史では、エチオピア原産の豆種が、まずイスラム圏で流通。後に欧州でも普及するが、これは門外不出の苗木をこっそりと盗み出し、手に入れたものだと言われている。
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