52 聖者
選帝侯会議、二日目。
バーゼル大司教ステファノは、体調不良を理由に会議を欠席した。通常であれば、会議は延期ともなり得るケースであったが、ジギスムントが新たに選帝侯の席に就いたことにより、票は「奇数」となり、むしろ、会議は円滑に回ることとなった。
◇
「―― で、ご用件とはいったい何で御座いましょうか。選帝侯会議に、ご欠席までなされて」
「無論、帝国版の聖書についてだ!」
フェリクスは、シュヴァルツブルクの城内の執務室で、予期せぬ男の訪問を受けていた。ステファノである。
「あの内容では、我々の出版部もご協力は出来ません。そのことに関しては、昨日もご説明させて頂きましたが?」
「お前は現在の教皇庁の振る舞いが、正しいとでも申すつもりか?」
フェリクスの正面に勝手に椅子を置き、着席するステファノ。
「そのような者のいったいどこが<神の子>だと申すのだ?」
返答に困る質問をぶつけてくるステファノ。
フェリクス自身も、根は素直である。
そのため、真面目に答えてしまいかねない問いの返答に、少し窮した。
「貴方の書かれた聖書は読ませていただきました。たしかに現在の教会内部に全く問題がないかといえば、そうとも言えません。しかしながらバーゼル大司教、貴方の主張には憶測による決めつけとそれに対する断罪が過分に含まれており、聖書としての役割を大きく逸脱しております。あれはいわば、弾劾文の印刷に協力せよという、本来の主旨とは異なる要求ではありませんか?」
「それの何が悪いのだ。正義は我が方にあろう。それに憶測や決めつけなどではない。ちゃんと私は確かな筋から聞いた話だ。あそこに書かれている教会内部の不正については」
「どなたからでしょうか?」
「いや、それは……だな。間違いのない確かな筋だ!」
「どの筋ですか?」
フェリクスは、ほぼ確信していた。
筋などは存在せず、バーゼル大司教、彼自身の根拠のない妄想であることを。
「が、外套を纏った聖者からだ!」
「!……外套を纏った……聖者?」
フェリクスの中で、何かが大きくグラついた。
(……あれは夢ではなかったというのか?)
「……聖者が言った。私が『ヨハネス教を正しい方向へと導け』と」
フェリクスの動揺した表情だけは読み取り、にやりとするステファノ。
「……聖者とはどこで出会った?(……あっ!)」
混乱のあまり、思わず大司教にタメ口を使ってしまったことに気づき、さらに焦るフェリクス。
「聖者様は真夜中に私の寝室を訪れ、お告げをなされたのだ。分かるか、偽の神の子よ?」
タメ口は気にも止めず、フェリクスのゆらぎに反比例して、余裕を取り戻すステファノ。
「だが、お前が優秀な男であることも私は理解している。だから、悪いことは言わぬ。帝国版の聖書の印刷を行え。不遜な教皇庁に鉄槌を下し、騙されている民たちを救うのだ。お前にも、神の御心に従う名誉をくれてやろう」
ステファノの「外套を纏った聖者から」という言葉は、苦し紛れに出た、いわゆる出まかせであった。しかし、フェリクスがこの発言に大きく動揺を見せたことにより、それはステファノにとっても「真実の出来事」へと、瞬く間に変化を見せた。
このエピソードに出てくる「外套を纏った聖者」で、フェリクスが思い浮かべているは、もちろん『39 観測者』に出てくる存在のことである。ある意味、本作でも最も読者の反応の悪い回でもあるため、絡めるか、迷いどころでもあったが、思いついちゃったんだから仕方がない。
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