42 狂気
正気を失った我が子が続ける世迷言ともいえる演説のはずであったが、話が進むにつれ、驚愕の色合いそのものを変えるクレメンス。
シュヴァルツブルク市内の上下水道の敷設と普及の進捗具合に始まり、祭りを思わせるほどの活気に満ちた往来の賑わい。大公衆浴場とそれに集まる人々の健康状態。ふらりと立ち寄った食事処でも他に類を見ない豊富なメニューに食材の数々(そして美味)。庶民でも平気で高級食材である肉を注文するほどの懐具合に、会話のレベルの高さ。聞くに庶民が無償で読み書きその他を学べる、公営の学校が街中にいくつも点在し、庶民が百戦錬磨のはずの商人たちとも平然と問答し、たじたじにさせていたその姿は、感動そのものであったと熱っぽく語るマルティン。
「……ちゃんとお聞きになられていますか、父上? まだまだこんなものではございませんよ、驚くのは」したり顔でクレメンスの顔を覗き込むマルティン。
「ま、まだあると申すか?」
「まだまだ、にございます。最も驚くべきはシュヴァルツブルクの城内で見たものにございます」
「……つ、続けよ」息を飲むクレメンス。
城内の清潔さは当然として、換気口を除く全窓に嵌められた透明のガラスと計算し尽くされた間接照明。同じく透明のガラスで作られた温室に季節を無視して咲き誇る花々。働く者たちも皆、清潔で身なりもよく、肌艶、髪艶共に極上。事前に公衆浴場で旅の汚れを洗い流してきた自分よりもさらに美しく、恥ずかしさすらをも覚えたというマルティン。そして件の辺境伯一家を描いた肖像画の話となった。
「―― あれぞ、まさに<神の筆致>。
絵と呼ぶにはあまりにも精密かつ生命を感じさせる一枚で、私は雷に打たれたようにしばらくその前で立ち尽くしてしまったのですが、さらにあのような礼拝堂までもが城内にあろうとは……」夢見心地のように、うっとりたした目つきで礼拝堂での光景を思い出すマルティン。
「礼拝堂があったのか、城内に?
異教の神を祀ったものではなく、ちゃんとヨハネス教の神を祀ったそれであったのか?」教会内では<異端者>の疑いを持つ者も少なくはない辺境伯一家の居城。その城内に礼拝堂があったということに素直に驚くクレメンス。
「まさに<我らが神>を描くフレスコ画が壁面だけでなく、天井までをも覆い尽くしておりました。しかも、その精緻なる筆跡と色彩は、まさに天国を思わせるもので……」
正確にはヨハネス教の神を描いたものではなく、ラファエロやミケランジェロ、ダ・ヴィンチが描いた宗教画をモチーフにアレンジしたもので、フェリクスがより精密に、時に<天井のない牢獄>の図書室で見た傑作映画のワンシーンを完全再現するような勢いで、西欧的絶対神と黙示録の世界を城内の一室に描き上げたものであった(もちろん彩色はお抱えの工房の手による)。
「あれを見れば、誰もが跪き、涙を流すこと間違いはございません。かくいう私も ―― 」熱に浮かれたように語り続けるマルティンであったが、クレメンスの表情を見て、ひとつ自分が重大なことを言い忘れていることに気づき「―― あ、そうそう。その絵画の作者こそ、何を隠そう神の子フェリクス様、そのひとにございまして」
「……はぁ?」
何もかもが想定外のマルティンの話に頭が回らなくなってきたクレメンス。
「それにこれまでに話してきた城内外の改革、その他の数々は、すべてフェリクス様による発案にございますぞ、父上」鬼の首でも取ったかのような微笑を浮かべるマルティン。
「…… はい?」
脳が焼かれるクレメンス。
理解がまったく追いつかない。
<フェリクスによる発案>とはいったいどういうことだ。たしかにこの地を訪れる商人、その他が運んでくる情報の中に「神童フェリクス」なる文言を耳にしたことは幾度もあった。だが、それらはジギスムントが自らの業績の目くらましに、多少は頭の切れる小僧を祀り上げていただけではなかったのか? 異教のどこかから運よく<大学者>でも引き入れ、一時的な隆盛を誇っているでのはないかと思いきや、まことにまだ小僧でしかないフェリクスが……だと?
「お前は何か幻でも見てきたのではないのか?
道中、悪魔にでも出遭ったに違いあるまい!」
語気を強めてはみたものの、冷静に見てみるとマルティンのその目に異常性を感じることも出来ず、むしろ可哀そうな目でこちらを見ていることに気づき、少し苛立ちを覚えるクレメンス。
「父上、まずはこれを」そう言ってマルティンが携帯してきた箱の中から取り出したものは、他でもない<望遠鏡>であった。
推敲、読み直しなしの剝き出しの投稿。
誤字脱字も余裕であると思われるので、よろしく!(何のよろしくやねん)




