39 観測者
深夜、奇妙な感覚をおぼえ、目を覚ますフェリクス。
時刻からすれば、まだ真夜中のはずだった。
しかし、大量の月明かりが差し込み、かつて記憶にないほどに、室内が明るい。
窓の方を見た。
月が異様に近く、窓枠いっぱいの満月が、部屋を覗いていた。
だが、それだけではなかった。
何かがおかしい。
この雰囲気は、いったい何だ?
室内を見渡す。
部屋の隅には、消し忘れたロウソクの炎が、ひとつだけ揺らめいて……揺らめいて……いない?
火は灯っているが、明らかに停止して見えるロウソクの炎。
もう一度、窓の方に視線を送る。
すると外套をまとった男が窓の前に立ち、こちらの方をじっと見ていた。
―― 突然、男が現れた?
否、先刻からすでに男はそこにいた。
視界にも入っていた。
しかし、どういうわけかその存在が知覚の外の状態にあり、いまこの瞬間、初めてフェリクスにその存在を認識されたのであった。
いや……ほんとうにこいつは男か?
若いのか、年寄りなのか?
そもそも……人間なのか?
存在が明らかにおかしい。
同じ空間にいながら、別の次元にいる存在と遭遇しているような感覚に陥るフェリクス。
「……夢?」
フェリクスの疑問は、至極まっとうなものであったが、男から返って来た言葉は、フェリクスをさらに混乱させた。
「夢といえば夢だが、夢と現実とを分け隔てるような境界は実際には存在しない。違いは事象に対する角度の差異ほどに過ぎぬ」
「!」
絶句するフェリクス。
停止した空間で呼吸を忘れ、金縛りに遭ったような衝撃を受ける。
この異界の住人が言っていることは、全て正しい。
それは論証を必要とはせず、強制的にフェリクスに突き付けられた、確定した決定項のようなものであった。
「完全には停止させておらぬ。
さすがの私でも完全な時間停止にはそれなりのコストがかかる上、また無意味。せいぜい一万分の一程度にまで流れを遅くしているに過ぎぬ」
「ア、アナタが私をこの世界に転生させた、神……なのですか?」
「お前の魂をこの世界に連れてきたのは私ではない。私は単なる<観測者>に過ぎぬ。そもそもお前たちが想像しうるところの神のような存在が、この箱庭を産み落としたわけでもない」
ひとつひとつの言葉が、フェリクスの背筋を凍らせ、同時に沸騰させる。
(……プログラマー?)
そんな言葉が脳裏をよぎる。
「この世界における事象の大半が、お前たち人間程度にも再現出来る数式だけで現わせてしまうことへの不可解さ。お前たち人間の中にも、違和感を覚える者は少なくはないであろう」
―― それ以上は言うな!という防御反応と、すべてを知りたい!という衝動とがぶつかり合い、我を失いそうになるフェリクス。
「この世界はすべてお前たちのものだ。
お前たちが想像しうることは全て起こり得る。
そういう風に初めから設計されている。
だから答えはお前たちは決めればいいし、すでに答えも数多く出ている」
気になる言葉が多すぎて、何を訊ねればいいのかも分からないくらい混乱するフェリクス。しかし、なんとか言葉を振り絞る。
「ア、アナタはなぜ……いま私の前に現れたのですか?」
「このレイヤーだけが、他の階層と比べ、明らかに異なる色彩を示していたからだ。お前たち人間がいうところのこの先の未来において」
「み、未来が……ですか?」
「過去、現在、未来というものは、人間が造り出した流れの概念に過ぎぬ。時とは本来、初めから確定しており、また双方向に関与できるものであるにも関わらずだ」
フェリクスの中での常識が、音を立てて崩れていく。
そういった傍流の学説があること自体は知ってはいた。
だが、これは……
「さ、先ほどおっしゃられた<初めからそういう風に設計されている>というのは、そういう意味ですか?」
「ほぉ、さすがに聡い。
このレイヤーにあれほどの絵が描かれた起点となった存在なだけはある」
「この世界の未来は……良いもの、に?」
「良し悪しについては私には分からぬ。
評価するつもりもない。
私はただ観測するだけの存在に過ぎぬ」
「……では先ほど、お前の魂をこの世界に連れてきたのは私ではない、とおっしゃられましたが、いったい何者がこの世界に私を?」
「あれは円環する以前のこのレイヤーで生きていたことのある、輪から外れた彷徨える男の魂。己の消滅とを引き換えに、お前の魂をこの階層にシフトさせた逸脱者だ」
―― 夢か、現か。
フェリクスの空想が産み出した夢なのか、それとも短編『メフィストファイルス』(n4838jx)ともリンクするエピソードなのか?




