02 現状考察①
フェリクスという名の「第二の生」を得て、この春で早四年の月日が流れようとしている。今のところ、前世の記憶も鮮明に残っており、まずは安心。―― でがあるのだが、それとは逆に、私を非常に混乱させていることが、ひとつある。それは他でもない、この世界そのものについてである。
誕生前、私は自分が未来へと転生するものだと、勝手に思い込んでいた。転生なのだから、死後と地続きの未来へ。それは至極当然な考えでもあった。しかし、どうやら結果は違ったらしい。
生後二か月ほどが経ち、視界もハッキリとしだした頃 ―― いや、実を言えば、それ以前からも薄々は勘づいてはいたことだが ―― どうやらここは、未来ではなく、むしろ「大きく時間が巻き戻された過去」のように見える世界であった。
いや、この表現は正確ではない。
前世でも聞き覚えのある地名などが、数多く存在する。だが、その一方で「前世の記憶にはない」王国や宗教なども存在しており、単純な過去とは言い難い状況だ。
(一度、文明そのものが崩壊し、また中世的な世界へと逆戻りしてしまったのか?)
この説も、どうにも怪しい。
この世界では、いまだに天動説などというものが、当然のことであるかのように信じられている。他にも、分かりやすい迷信や前時代的な考え方が、常識のように流布されてもいる。
黙示録以降からの再生の途上と考えるにも、「知識の断絶」が、あまりにも完璧に過ぎる世界。一番しっくりとくるのは、過去のどの時点かから分岐した「もうひとつの過去」。いわゆる<パラレルワールドの中世>といったあたりか。
もちろん、この仮説に関しても、まったく確証はない。ただ、言語化できない第六感のようなものが、この予想を強く支持しているに過ぎない。
◇
この家には、一冊の本も存在しない。
現在のところ、唯一、目にする機会のある文字情報。それはテオ(=今世の父)が上官に宛てて提出するレポートに記載された、テオによる帝国語。――であるのだが、このテオが書く文字は、非常に歪で、なかなかに判別が難しい。テオは、従士に取り立てられてから、読み書きを覚え始めたそうで、まだまだ完璧には程遠い、読み書きのレベルにあるという。
また、母のハンナも読み書きはまったくだという。だが、これも彼女が特別なわけではない。世間一般における「識字率」自体が、非常に低いことを意味する。まだ、近所を出歩く程度ではあるが、この一般区画にいる住人の大半が、読み書きが出来ないという話である。
◇
読んで吸収できるものが身の回りにない以上、後は「復習」に頼るほかない。幸い、私には他にあまり類を見ない、少々変わった能力が、ひとつあった。それは ―― <カメラアイ>である。
カメラアイとは、その名のとおり、一度目にしたものを「カメラで撮影したように」そのまま細部まで記憶しておくことの出来る<映像記憶能力>のことを意味する。
私は幸運にも、この能力を前世に続き、今世でも引き継ぐことが出来ていた。おかげで、前世で目視しただけの様々な本や記録、その他もろもろを<映像データ>として、今なお保持していた。しかも、それらをまるで目の前にあるものであるかのように、細部まで自在に思い出すことができたのである。
ただ、記憶とは言っても、その内容までをも「理解している」というわけではない。文字どおり、様々な事象を映像として切り取り、脳に保存しているだけに過ぎない。ゆえに内容を理解するためには、皆と同様に「読み解く」という作業が、後から必要となってくる。
―― 幸運なことに、いまの私には無限にも近しい時間が与えられている。私は、この「読解」の作業を、ハンナの胎内で意識を持ち始めた頃から、今世でも再開していた。おかげで、現在の私の知識量は、前世での死の直前とは、比較にはならぬほどの充実ぶりを見せ始めている。
しかし、様々な物事が、当人の意思とは関係なく、無作為に、克明に記憶されてもいた。結果、無慈悲な爆撃による「地獄の光景」のフラッシュバックなどにも、生後数か月のあいだは、ひどく苦しめられた。
産後の肥立ちも、あまり良くなかった母のハンナ。彼女には、制御の利かない度重なる夜泣きなどで、大変迷惑をかけてしまったと、今でも恐縮している。
蛇足パート(読み飛ばし可)
◇
―― それにしても、人間の脳とは、ほんとうに一体どのような構造をしているのであろうか?
前世の私は、人間の脳を「コンピュータ」のように解釈していた。
大脳部位をコンピュータの記憶媒体のように考え、視覚野をGPU、思考や感情、神経系ほかをコントロールする、その他の部位をCPU等のように、漠然と捉えていた。
しかし、この<前世のバックアップデータ>は一体どこから、どのようにして、現在の脳にダウンロードされたというのか(いや、インストールというべきか)?
<意識>についても同様だ。
現在の意識や感覚が、この新たな小さな脳内だけから生み出されているものであるとは、容易には肯定し難い。
ひょっとすると意識や感覚、記憶などのデータセットは<別次元のクラウド>のような場所に格納されており、それらをこの脳というプロセッサ器官に随時ダウンロードし、処理を行っているに過ぎないのではないのか?
考えれば考えるほど、「前世の記憶」と「感覚の継承」のメカニズムには、「不可解なものの介在」を感じざるを得ない。